『20歳のソウル』Production Notes

2022.06.06
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「誰も知らない取材ノート ~市船の象徴・斗真に出会うまで~」第五回

皆さん、こんにちは。

中井由梨子です。

 

先週末。本当に多くの方が劇場に足を運んでくださいました!

満員でチケットが買えない、入れない、といった劇場さんも何か所かあったと伺っています。せっかくこの映画のためにお時間を使ってくださった方には、本当に申し訳ないです。この状況を受けて、上映回数が徐々に増えている劇場もあるようです。皆様、ぜひご来場ください!本当に、心からお待ちしています。

#20歳のソウル の発信は、関係者一同、可能な限り追いかけさせていただきます!秋山監督自ら、SNSのご感想やコメントにお答えしております。「そこまでするの?」と驚かれた方もいらっしゃるでしょうが、私達にとっては「そこまでする」映画です。御覧いただければお分かりになると思います。

よろしくお願いします!

 

 

さて、今日は連載五回目。

市船の吹部の根幹にある『吹部ノート』についてです。映画の中で健一(佐藤浩市さんが演じている)と生徒たちが対話する台詞は、この部活ノートを見せていただいたことから導かれたものが多いのです。

 

※※※

 

連休明けの五月十日、私はもう一度市船を訪れました。

その日は、朝から雨が降っていました。学校に到着したのは午後五時頃でしたが、雨はまだ降り続けていました。工事中のシンフォニーフォールを横目に見ながら裏門を入り、中庭へ抜けていきます。校舎の中の階段を通って四階へ上がれば良かったのですが、私はこの中庭からの出入りが少し気に入ってしまい、その日も中庭の階段へ向かいました。傘をさしながら急ぎ足で中庭を突っ切ろうとしたその時です。ステン!と自分でも予期しないタイミングで私は転んでいました。雨で中庭のタイルが滑りやすくなっていたのです。思いっきり水たまりに尻餅をつき、スプリングコートはベッシャリと濡れました。中に履いていたズボンにも水が染みこんだ様子です。慌てて立ち上がりましたが、どうしよう…と一瞬立ち尽くしてしまいました。しかし引き返すことはできないし、と私は階段を登りました。

ようやく音楽準備室に着きましたが、「先生、こんにちは」と挨拶をすると同時に私は畳に座れないことに気づきました。前回と同じく、ちゃぶ台を前にして畳に座っていた先生は「どうも」と私を見上げてらっしゃいますが、入り口に立ったまま動けませんでした。

「すみません、先生…さっき転んで…!」

と事情を説明しながら、さすがに情けなさがこみ上げてきます。先生は「え?」と驚いたような顔をなさいましたが、すぐに大笑いされました。「やっちゃいましたか!」と。

 

 

 

ズボンも濡れてしまった私にジャージを貸してくださったのは、講師の吉野綾先生でした。吉野先生も市船吹奏楽部の卒業生だそうです。吉野先生からジャージをお借りしました(後に聞いたら天野先生の私物でした)。高橋先生は「私はトイレに行ってますから」と席を立ってくださり、私は吉野先生に促されて慌ててそれを履き変え、畳の上に上がりました。吉野先生がストーブをつけてくださり、濡れたズボンとコートをストーブの前で乾かしました。先生方のお気遣いが身に染みる思いでした。

「あの中庭よく滑るんですよ。私も前に転びました、ステーン!って」

戻ってこられた高橋先生は相変わらずの大きな声で楽しそうにそう仰いました。訪問二回目で水たまりに転んで衣服を乾かしていただくとは…と心底情けなかったのですが、高橋先生も吉野先生も笑って出迎えてくださり、なんだか温かさを感じました。

 

しばらくすると先生はちゃぶ台の上に、ドサッと何十冊ものノートを重ねて置きました。

「読んでみてください」

と仰います。私は表紙に手書きで『部活ノート』と書かれた一冊を手に取りました。市船の部員たちは、三年間、この『部活ノート』と共に過ごします。週に一回の提出が決められていて、内容は何を書いてもいいそうです。本当に何を書いても良いのですが、生徒たちは自然にその時の自分の考えや気持ち、状態を書き綴るそうです。練習がうまくいっていない、人間関係で問題がある、嫌なことがあった、集中できない、自己嫌悪、恋愛問題、家庭問題。思春期の高校生たちは実に多くの悩みを日々抱えて過ごしています。部活動も集団生活ですから、必ず人間関係のストレスは生まれてきます。高橋先生は、その摩擦や歪を決してそのままにして放置してはいけないと仰います。そこにこそ、彼らの本質があるからです。その問題を表に出し、解決に向かって努力することで人間は成長することができる、と先生は仰います。

私は手に取った一冊を開いて見ました。二年生の女子生徒のノートでした。練習について、なかなかうまくいかないことが書かれていましたが、その中の一言が心に残りました。

「日常は分厚い」

そう書かれてあります。短いけど、深い言葉だなと思いました。読み進めると、その言葉は高橋先生の口癖なのだと分かりました。楽器の練習は、一日一日の積み重ねが大事です。今日一日をサボるのか、精一杯練習するのか、それによって結果は大きく変わってきます。本番の一日が分厚いのではなく、本番までの日常こそが分厚いのです。

私はこの言葉で、自分の日常を思い出しました。

果たして、私は分厚い日常を過ごせているだろうか。残念ながら答えは否です。市船の部員たちに比べて、私の日常はなんて薄っぺらいんだろうと思いました。楽をしたい気持ちが誘惑となって日常を襲い、それに負けてしまう自分。「まあ、いいか」で済ませていることがなんと多いことか。それによって達成できなかった事がいくつあるんだろう…そんな深い反省をしてしまいました。

 

「大義の部活ノートが、一度だけプリントで取り上げられたことがありました」

と見せてくださったプリントに、確かに大義くんの言葉が書かれていました。

それは、高橋先生が毎年関わっておられ、市船吹部も出演している船橋市の音楽イベント「千人の音楽祭」を担当する後継者がいないと漏らした時に、大義くんが部活ノートに書いて先生に渡した言葉でした。

 

***

「先生、本気で考えていることがあります。もし、千人の音楽祭が第20回で終わってしまった場合、第21回は僕が開催します。人間は揃っています。少し間があくと思いますが第21回は必ず開催されます。本気です。なので待っていて下さい。どれだけ大変な事かは今回の千人でわかりました。生意気かもしれませんが、必ず復活させます。目標は30回。すでに案もあります。無理だろうと思うかも知れませんが、やり遂げます。その為には僕が成長しないといけないので時間を下さい。人と少し違う自分の頭を上手く使って面白い音楽祭にします。本気です。              (1年 浅野大義)」

***

 

一年生らしい、溌溂とした、怖いもの知らずな言葉です。何より高橋先生が大好きで、先

生のために頑張りたい、認めてほしいという気持ちが全面に出ているような気がします。

もし私が先生の立場なら、感動して大義くんに「ありがとう!」と言っていたかもしれま

せん。大義くんは何と良い子なんだろうと感心していただけかもしれません。

しかし、高橋先生は違いました。この大義くんの言葉に対して、プリントの最後で先生が

応えた返事は以下のような内容でした。

 

***

大義の気持ちは嬉しいが、W(大義くんの先輩の三年生)は引退直前まで大義のいい加減

さについて悩んでいた。そんないい加減な自分のこともまともにできない人が5000人

の人を相手に千人の音楽祭を運営できるものなのか…。人間、口ではなんでも言えるんだよ

な。あー来年が最後の千人か。信じられない。

 

***

 

私は少し笑ってしまいました。大義くんはさぞ、苦い思いをしたことでしょう。確かに大義くんの言葉は「口ではなんでも言える」レベルだからです。まだ一年生で(楽器も下手っぴだったころ)、何一つやり遂げていない人間が、大きな口を叩くものではないと、先生は戒めたのでしょう。そうやって突っぱねる姿勢に、先生の思慮を感じました。生徒のことを本気で考えているから、先生からも本気の言葉が出てくるのだと思いました。愛情を感じました。

 

「かっこつけ」だった大義くんも、こうして日々先生に叩かれて成長していったのでしょう。この六年後、二〇一七年二月十二日に開催された第二十四回「千人の音楽祭」で、グランドフィナーレの編曲を手掛けたのは大義くんでした。

高橋先生は、この一年生の時の部活ノートでのやりとりを覚えていたのか、二〇一七年の音楽祭は大義くんに頼みたいと思ったそうです。心のどこかで「今でなければ叶わない」と思っていたとも仰いました。大義くんは入退院を繰り返す日々の中で見事に編曲をやり遂げ、素晴らしいグランドフィナーレを作り上げました。

第二十四回千人の音楽祭、本番の日。大義くんは空の上で、あの日の部活ノートを思い出しながら、その演奏を聴いていたのでしょうか。

 

※※※

 

ただいま、大ヒット上映中「20歳のソウル」引き続き劇場でお待ちしております!

 

※中井由梨子が『20歳のソウル』を書くにあたり取材した記録。当時の様子が鮮明に書かれています。取材ノートのため、『20歳のソウル』に登場する人物以外の実名は伏せてあります。

 

©2022「20歳のソウル」製作委員会