『20歳のソウル』Production Notes

2022.07.02
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「誰も知らない取材ノート ~市船の象徴・斗真に出会うまで~」第11回

皆さん、こんにちは。

中井由梨子です。

 

7月。全国公開から6週目を迎えますが、まだ多くの劇場様が上映を続けてくださっています!いよいよ今月は夏の選抜甲子園の予選が始まります。『市船soul』がスタンドに鳴り響く夏。この猛暑が少し心配ではありますが、私も聴きに行きたいと思っています!

さて、プロダクションノートも、もう少し続きます!

今日は佐伯斗真(佐野晶哉さん)のモデルとなったIさん、田崎洋一(若林慈英さん)のモデルとなったTさんへ取材をした2017年の冬の記録です。

 

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「兄弟姉妹が一気に三十人できた感覚です」

Iさんは言います。近ければ近いほど、摩擦も起きやすくなっていきます。その度にミーティングを重ね、嫌な自分と向き合う日々。「正直きつかったです」と苦笑いします。

朝七時頃からは朝練といって、基本的に自主練習の時間です。しかし帰宅するのが遅いので朝に練習するというのはなかなか難しかったとか。一度、演奏会前に男声コーラスの練習を朝やろうとした時もありましたが、毎日誰かが欠けている。全員揃ったためしがないとTさんも笑います。今思えば、渦中の時には苦しいことのほうが多かった部活ですが、終わってみるとやはり市船でなければできない経験をたくさんさせてもらえた、やってよかったという気持ちのほうが大きいといいます。今では考えられないけれど、あんなに音楽に没頭した(させてもらった)時間はないんじゃないかと。

 

高橋先生は、赤ジャの男部は問題児揃いと仰っていますが、具体的にどういう感じだったのかと聞きますと、「とにかくやる気がなかった」「反抗していた」という答え。それもそのはずで、そもそも楽器がやりたくて入った吹奏楽部だというのに、市船は「歌って踊れる吹奏楽部」。部活ノート、ミーティング、YOSAKOI、吹劇…。「正直、来る場所を間違えたと最初の一年間は本気で思っていました」とIさん。そんな反発から、楽器を演奏する以外のやるべきことがあまりにもたくさんあってそれらが納得できない時には「くだらない」「やりたくない」と態度に表す。言葉に出して反抗する。先輩の作った楽譜が間違っていた場合には「これちょっとおかしくないですか」と指摘…確かに、先輩からすれば生意気と捉えられることでしょう。その度に先輩は嫌な顔をし、先生からは叱られる、だから余計に反発する…その悪循環を繰り返していたそうです。市船は先輩と後輩の上下関係が厳しくありません。むしろ先輩のほうが謙虚だったりします。その環境も反抗に拍車をかけたところもあったそうです。

ただし、大義くんは別でした。前述のように大義くんにとって高橋先生は「雲の上の人」だったわけで、反抗などとんでもなく、一風変わったイベントや練習にもヘラっと笑いながら対応していた様子が想像できます。

大義くんは、後輩たちから本当に慕われていました。カリスマ性もあった、とIさんもTさんも言います。(それがただのカッコつけだと同期たちは見抜いてしまう時もあったようですが)いい意味でも悪い意味でも、自分の色が強い人だったという印象だそうです。

Iさんは同じ作曲をやっているせいか、少しライバル心のような、そこはかとない距離をおいて接することのほうが多かったそうです。とはいえ、「同じ釜の飯を食う」仲の男部は基本的にいつもふざけ合っていたとか。大義くんはいつも目新しい物をよく持っていたといいます。新しいデザインのスニーカーやサングラスもなぜか持っていたし、iPhoneをいち早く買ったのも大義くんでした。特注で作った『市船吹奏楽部』の文字が入ったiPhoneケースをしていて「一体あれはどこで手に入れたんだ」というものばかり。

お二人から見れば大義くんはすこしちゃっかり者でした。ある時は、マーチングの練習で、大義くんは「腰が痛い」と言って練習を抜けて休んだことがありました。その後、今度はYOSAKOIの練習をすることになった時、旗手の大義くんが休んでいるのでどうしたらいいかと話をしているとひょっこり部室から出てきて嬉々として旗を振っていたそうです。先生から怒られたり「下手」と言われてもどこかケロっとしていて、激しく落ち込んだり悔しがったりするところを見せなかった大義くんですが、一度だけ、落ち込んだところを見たことがあるとIさんは教えてくださいました。

「一年生の定期演奏会で、大義は歌のパートを任されていました。そこはとても目立つポジションで、誰もがなりたいと思う役。一年生で抜擢されて誇らしかったと思うんですが、しかし本番直前に交代させられちゃったんです。本番の日、舞台裏でうなだれて座っているところを見かけた時、辛いだろうな…て思いましたね。でも落ち込んでいるところを見たのはその時だけかもしれない」

 

お話しているうちに、次から次へと思い出が湧いてくるのか「あんなこともあった」「こんなこともあった」と話題が尽きません。お二人に『市船soul』について聞いてみると、「あれは凄くいいと思う」と口を揃えます。しかし、実際に大義くんに声をかけたことはありませんでした。自分たちよりも運動部や野球ファンや、他の周りの人々のほうが評価が高かったので、わざわざ自分たちが褒めなくてもいいと思えたと仰っていますが、やはり仲間同士の照れもあったのでしょうか。Iさんは今振り返ってこう話してくださいました。

「かっこいい曲。ソウルは憶えやすいんですよ。全然難しくない。それが最高だと思う。

これは大義の完全オリジナルだし、良いと思います」

Tさんもその意見に同調していました。

「あれは大義っぽいって言う感じもあるし、クオリティとしても高いから、伝統として吹き続けられると思う。正直「こんなの作れるんだ!」って感心しましたよ。大義が作ったものの中ですごく成功したものだと思う」

 

お二人とのお話も、長時間に及びました。私は、そんなお二人に聞いてみたいことがありました。今、大義くんの死をどう捉えているか、ということです。彼の死によって、自分の中で変わったことはないかと。お二人はしばらく沈黙しています。やがてTさんが言葉をゆっくり選ぶように話し始めました。

「この年でも死ぬ人っているんだなって改めて実感しました。ありふれてるけど、いざ親しい人だとその大きさを感じます。今、自分の人生を振り返ることはないですが、ずっと感じていることは、みんないつ死ぬか分からない、だったらいろんなことをやろうっていうこと。寿命や運命は決まっているものかもしれない。その決まっていることの中で、いろんな人のために役に立つことをしようと思いました。同世代で知っている人が死ぬってことはそういうものなんだと思いました。自分の命を他の人のために使わないといけない。自分にしかできないことをやろうと」

私は、「自分の命を他の人のために…」と言ったTさんの言葉が印象的でした。なぜそう思うのかとさらに問いますと、こう応えてくださいました。

「自分のためだけなら結局は自己満足です。結局、満たされない。大義が一貫してやろうとしていたことは、誰かのために曲を作ることだったから。俺も、誰かの心の中に残ることができたらいいなと思います」

私は頷きました。Iさんもその言葉をじっと聞いていて、そしてご自分の気持ちを語ってくださいました。

「いま、日常生活で深く思い出すことはないんです。でも、(作曲や編曲の)仕事が忙しすぎて、誰かに助けて欲しいと思う時、ふと大義のことを思い出します。大義がいたら頼めたんじゃないか、助けてくれと。一生忘れないです。自分だっていつかは死ぬんだし、死んだ時にまた会えたらと思いますよ」

Iさんは続けて仰いました。

「大義が亡くなったことで、とにかく誰にたいしても優しくしようと思いました。「なんであんなこと言ったんだ…」と思いたくない。今、実は思うんです。「もっと大義にしてあげられることがあったんじゃないか」とか、一言「あの曲良かったよ」と言ってあげればよかったとか…。だから、明日死んでも後悔しない立ち振る舞いをしないといけないと思います。取り返しのつかないことが、なるべくないようにしたいです。言葉も音楽と一緒で、一度音を出したらそれは取り消せない。

大義は人に優しかったです。こんな自分にも、いつも優しくしてくれてました。だから高校時代も上手く言ってたんだと思います。大義は寛容だったと思います。これも自分が死んだあとに、会ったら言いますが」

 

 

 

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ただいま、絶賛上映中「20歳のソウル」引き続き劇場でお待ちしております!

 

※中井由梨子が『20歳のソウル』を書くにあたり取材した記録です。当時の様子が鮮明に書かれています。取材ノートのため、『20歳のソウル』に登場する人物以外の実名は伏せてあります。

 

©2022「20歳のソウル」製作委員会