こんにちは、中井由梨子です。
先日2月14日のDCPチェックが終わり、3月。いよいよ初号試写が行われます。
大義くんのご家族に、映画『20歳のソウル』をお届けできます。
取材を始めて5年。
いろんなことがありました。
私にとって今、大義くんのご家族はかけがえのない方々です。
特に、お母さまの桂子さんとの関係性は、「取材させていただいている」ということだけでは括れない、あまりに深い関係を築かせていただいたと思っています。
今日は、私の『取材ノート』から、桂子さんと初めてお会いした日のことを抜粋したいと思います。
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朝から雨が降っていました。しかもシトシトではなくドッサリと降っています。
私は玄関でレインブーツを履き、身なりをチェックしました。少し灰色がかった青いワンピースと紺のスプリングコート。
失礼がないようにと、何度も検討してコーディネートした服装です。
前日に自由が丘の人気パティセリ―で購入したお菓子の詰め合わせには、白いリボンをかけてもらいました。
駅前の花屋でお花を買って行こうと思いながら玄関の戸を開けます。青と白を基調にした花束がいいかも。
告別式の祭壇の色が素敵だったから…。
そんなことを考えながら緊張をほぐそうとします。しかし、高鳴る鼓動は抑えきれません。お会いしたらまずは何を切り出したらいいのだろう、どんな風に自分を説明したらいいのだろうと、高橋先生に初めてお会いした時よりも数倍の緊張を抱えて私は電車に乗り込みました。
五月二十六日。
初めて大義くんのお母さん、浅野桂子さんにお会いする日。
この前の週、五月二十一日の午後二時ごろ、私は勇気を出して先生から教えていただいていた浅野さんの電話番号を押しました。三回ほどコール音が鳴り、浅野さんが電話を取りました。高橋先生の時にはメールだったので文章を何度も再考できましたが、いきなり電話でお話せねばならないので私は上がってしまって物凄く高い声で喋っていた気がします。
「こんにちは、あの、私、中井と申しまして…」
「ああ、はい。高橋先生から伺ってます」
こちらの予想にまったく反して、浅野さんの声は明るく優し気でした。
「大義の祖父の家にいらしてください。仏壇もありますから」
と、仰ってくださいました。
大義くんにお線香をあげられると分かり、私はすっかり嬉しくなりました。
やっとご本人に挨拶ができる、と思ったのです。
浅野さんのご対応はなんともスマートで私は少し面食らいました。
考えてみれば、私の前に朝日新聞の記者の方が取材をしているので、そういった対応には慣れていらっしゃっるのかなとも思いました。
大義くんの実家と祖父の忠義さんのお家がある二和向台の駅までは、四度ほど乗り換えます。
茅場町から西船橋へ、西船橋から北習志野へ、北習志野から新京成電鉄に乗り換えて五駅です。
私の自宅の最寄りの駅からは一時間五十分ほどの道のり。ちょっとした旅行気分です。
しかし、この日の私は旅行などと気楽なことは言えず、じっと身じろぎもできずに電車の椅子に腰かけて手にした花束を見つめていました。
きちんとお約束をしていただいているのだから、門前払いということはないと思いましたが、もし私の来訪でご家族がお心を痛めるようなことになったらどうしようと不安でした。
私はこれまで(とても幸運なことに)近しい人を亡くした経験がほとんどありませんでした。ですから、もしかしたらお心に沿えないような無神経な言葉を発してしまうかもしれない。こちらに悪気はなくても、そうなってしまったら取り返しようがない…。そんなことばかり考えていました。
そもそも、大義くんのことが朝日新聞に取り上げられたきっかけは、浅野さんが、朝日新聞の投書欄『声』に告別式での市船生たちの演奏のことを投書したことがきっかけでした。
その投書の目的は、大義くんのことというよりも市船について、そして部活の素晴らしさについて世の中に知ってほしいというお気持ちだったように思いました。
後に、この記事を書いた時のことを浅野さんご自身にお伺いすると
「書き終わって見直してから、やはり送ろうかどうしようかと迷った時に、ふっと指が勝手に送信ボタンを押していた」
と仰いました。
浅野さんはそれを
「大義の仕業かな」
と笑っていらっしゃいました。
その浅野さんの記事を一部掲載させていただきます。
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「同級生、先輩、後輩、その数160名以上。皆それぞれの生活や仕事の都合をつけて集まってくれた。ただ一人のために。一度のために。同じ気持ちで演奏し、合唱してくれた。魂が奏でる音楽の中、息子を送り出すことができた。(中略)部活動を巡ってはさまざまな意見があるが、息子にとっては間違いなく部活をやっていて良かった。この先生の下で本当に良かった。 (平成二十九年一月二十六日朝日新聞投書欄『声』より)」
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二和向台の駅は、改札を出るとすぐ右手に踏み切りがありました。
浅野さんが「駅から歩いて一分ほど」と仰っていたのを思い出しながら踏切を渡り、電話をかけました。
詳しい場所を伺うつもりでした。
すると行く手に電話をかけながら立っておられる女性がいます。
私は慌てて電話を切って駆け寄りました。
「こんにちは~、大義の母です。遠いところすみません」
明日に続きます。
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