『20歳のソウル』Production Notes

2022.04.23
最新情報
忘れられないロケの話 その①

 

20歳のソウル

監督の秋山です

 

昨日のプロダクションノートは

中井さんとみやしーが

懐かしの船橋市民ホールに行った話でしたね

 

仕事でご一緒出来ませんでしたが

僕も行きたかった…

 

その中に出てくる船橋市市民ホールのロケは

一年前の3月28日でした

 

その日は朝一で

写輪館のロケでした↓

 

 

お祖父様とパチリ↓

 

 

写輪館から移動して

僕らが市民ホールに到着した時

すでに会場では高橋健一先生の指導で

市船吹奏楽部の皆さんが入念なリハーサル

 

 

実際に演奏して

音も録音するので

緊張感が漂います

 

 

そして

高橋健一先生役の佐藤浩市さんをはじめ

吹奏楽部員役の俳優部が加わり

入念なリハーサル

 

 

客席には

市船吹奏楽部、保護者の皆様や関係者の皆様が

集まってくださいました

 

ありがとうございました

 

 

感染対策に始まり

皆様への謝礼にと

大量のオリジナルTシャツを

スタッフと一緒に配ってくださったのも

市船吹奏楽部関係者の皆様でした

 

 

本当に

お世話になりました

 

 

コンクールの演奏シーン

会場ホールのシーン

 

順調に撮影は進みます

 

会場ホールのシーンでは

大切な歌があり

演奏の指導を終えた高橋先生も

ずっと立ち会って

撮影を見守ってくださいました

 

 

 

市民ホールのラストカットを撮り終えた瞬間

 

 

高橋健一先生のスマホに

着信がありました

 

 

高橋先生は

僕らから離れた場所で短く話すと

僕のところに来て…

 

「いま、母が亡くなりました。今から、福島へ帰ります」

 

実は

数日前から高橋先生のお母様の

御容態が良くないとは聞いていたのですが

 

コロナのため病室に入ることが禁じられていたこともあり

ずっと東京に残り撮影に力を注いでくださっていました

 

先生はその足で

ご自分で車を運転して

福島へ向かわれました

 

「三日で戻ります。野球場のシーンには、必ず立ち会うから」

 

そう、笑顔で話して

 

 

高橋先生から

無事に福島に到着しました

と連絡があったのは

その日の22時半

 

どんな想いでハンドルを握っていたのか…

 

想像するだけで

今でも涙が出ます

 

そして

言われた通りに

三日後

 

高橋先生は

撮影現場に戻って来てくださいました

 

 

高橋先生から

いただいたメッセージの一部です

 

 

「28日の撮影を終え母のもとへ。

30日には葬儀、火葬、納骨まで終えることが出来ました。ちょうど市船関係の撮影のない時期です。

母がそうしてくれたのか、大義がそうしてくれたのか、わかりませんが、私は明日の野球場のシーンから皆様に合流出来ます」

 

 

20歳のソウルは

 

高橋健一先生をはじめとする

たくさんの大義くんの仲間が

力を合わせて完成した映画です

 

 

 

「なぜ、毎日プロダクションノートを書くのですか?」

 

そう尋ねられることがとても不思議です

 

 

この物語は

誰のものでもない

 

大義くんを愛する

全ての人の物語だから

 

僕らだけが知っている全てを

伝えて行きたいのです

 

 

明日は

高橋健一先生が戻って来た

野球場のロケについて書きます

©2022「20歳のソウル」製作委員会