みなさん、こんにちは。
中井由梨子です。
映画の予告編が公開され、本ポスターが完成いたしました。
これから映画の本編映像やポスターをネット上や街中で、テレビで、劇場で、皆様に御覧いただく機会が増えていくと思います。
5月27日の公開に向けて、皆様と共にカウントダウンをしていきたい。
どうぞよろしくお願いいたします。
さて、今日3月19日は。
319、ミュージックの日。
浅野大義さんのお誕生日です。
大義くんと知り合ってから、ご命日やお誕生日、何か節目の日には大義くんのお墓参りや、ご仏壇にご挨拶に行かせていただいておりますが、今年は特に、思いを込めてお参りに行きます。
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中井由梨子「誰も知らない取材ノート」より
この取材の期間中、私は何度も二和向台へと足を運びました。
駅前の忠義さんのお宅で桂子さんや忠義さんとお話するのが常でしたが、そこから歩いて十分ほどのところにあるご自宅までも、お邪魔したことがあります。
大義くんのお部屋に入らせていただくと、部屋の奥の机に鎮座する八十八鍵のキーボードが目に入ります。
机には音楽論やスコアが何冊も並び、壁には賞状やコンサートのポスターが所狭しと貼られています。
そして、机の裏にスプレーで書かれた『市船』の文字。大義くんがいかに市船を愛していたかが分かります。
(※こちらは大義さんの大切なものをお借りして飾ったロケセットの写真です。)
大義くんにとっては「なんとなく」入った市船でしたが、大義くんはすぐに高橋先生のカリスマ性に魅了されたようです。
先生の言葉や指導に影響を受け、先生の筆跡の真似をして毛筆を使うようになったのもその一つでしょう。
365日のうち355日を部活で過ごした大義くんは、ほとんど家にはいませんでした。
「この頃のことは、私より市船の子たちのほうがよく知っていると思います」
(お母様の)桂子さんはそう仰いました。
それでも数々の大会やコンクール、YOSAKOIなども必ず応援へ行かれたそうです。
一年生の頃は高橋先生に「下手っぴ」と酷評されたトロンボーンの腕前はみるみるうちに上がり、三年の時には「上手いな…」と先生を唸らせるほどに上達していきました。同期のYさんは、きっと大義くんの腕が伸びたのは、下級生の頃から人数合わせのためにコンクールメンバーに入ったことで、先輩たちの中で練習を重ねて上手くなったのではと話してくれました。それに高橋先生はそう簡単には褒めません。大好きな先生に認めてもらいたくて、時間を忘れて練習していたのではないでしょうか。同期だったAくんは「大義は練習が大好きだった、ずっと楽しそうに吹いてた」と回想します。
大義くんを回想する時に、みんなが共通して出てくる言葉が「笑っていた」「楽しそう」というもの。
歯を食いしばって根性を見せた…というより、クールにカッコつけながら人知れず努力していた、という大義くん像が浮かび上がってきます。
桂子さんはご自身のスマートフォンで録画した動画を見せてくださいました。
それは大義くんが高校を卒業した直後、市船の仲間たちと船橋市文化会館でトロンボーンのミニコンサートを開催した時のものでした。
NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』のテーマソングを、仲間たちと一緒にノリノリで吹く姿が写っていました。
高橋先生に「吹くときは体を動かすな」と再三言われていたそうなのですが、そこに記録された大義くんは思いっきり身体をスウィングさせながら吹いています。
この『あまちゃん』のオープニングテーマが大好きだったという大義くん。
大好きな曲を大好きな仲間たちと吹くことができる喜び、それを聴いてくれる人がいるという喜びを全身で表していました。
「大義がトロンボーンを吹く姿、私、大好きだったんです」
桂子さんは少し照れたように仰いました。
私は頷きました。かっこつけ、ではなく本当にかっこいい姿がそこにありました。
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この映像を見るたびに、もし、私が大義くんに出会っていたら、と想像します。
きっと…、気が合っていたと思います(笑)
自分の舞台で使用する楽曲を依頼したりして、共に創作活動を行っていたかもしれません。
何より、桂子さんと私の関係がそうであるように、話し始めたら止まらず、ずっと笑いあっているような気もします。
そんなことを考えながら、今日も大好きなコーラを持って、大義くんに会いに行きたいと思います。
©2022「20歳のソウル」製作委員会