『20歳のソウル』Production Notes

2022.06.02
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「誰も知らない取材ノート ~市船の象徴・斗真に出会うまで~」第二回

皆さん、こんにちは。

中井由梨子です。

 

浅野大義くん作曲「JASMINE」。

楽譜の画像をアップさせていただきます。神尾楓珠さん演じる大義くんや、佐野晶哉さん演じる斗真が弾いたピアノバージョン。ぜひ皆様も弾いてみていただきたいです。ピアノ以外の楽器で挑戦されるのも嬉しいです!

[caption id="attachment_1208" align="alignleft" width="273"] 楽譜制作:三國浩平[/caption]

 

 

さて、今日の『取材ノート』第二回は、後に「佐伯斗真」のモデルとなったIさんとの出会いを描いています。なんと高橋先生と初めて市船でお会いした夜に、母校に訪ねてきていたIさんとすでにお会いしていたのです。

 

※※※

 

緑色の絨毯、壇上にグランドピアノがあります。壁際にはティンパニやハープ、木琴、コントラバスなどの大型の楽器が並べてあり、カバーがかかっています。部屋の天井は平らではなく鋭角に三角形になっていて、防音の壁は、さらに紙製の卵パックのようなもので一面を覆われています。窓際の真ん中には指揮台がありました。思っていたより狭い印象です。現在の部員も百人以上いると、さっき天野先生が教えてくださいました。その人数が全員楽器を持つとして、どうやってこの空間に全員がおさまるんだろう、と思いました。私は先生に大義くんのトロンボーンはどんな音色だったのかを聞きました。

「上手かったと思います、特に三年の時は。一年の時は下手っぴ」

高橋先生は笑って仰いました。大義くんのことを話す時は、本当に楽しそうに話されるんだな、と思いました。大義くんが高校の三年間で腕を上げたのは、やはりこの吹奏楽部での練習あってのことだったのでしょうか。

 

 

[caption id="attachment_949" align="alignleft" width="388"] 映画ロケセットに飾られた大義の部屋のプレート[/caption]

 

 

「大義はとにかく音楽が好きだったから」

やはり上達には「好き」が一番なのか、と思いましたが、きっと相当練習を積んだのでしょう。再び音楽準備室に戻り、ちゃぶ台前に腰を下ろしながら私は伺いました。

「先生は音楽の先生なんですよね」

当たり前の質問をしてしまったと思いましたが、意外な答えが返ってきました。

「いえ、国語科です」

えっ!?と私は声を上げて驚きました。さきほどのトランペットの生徒への指導や、講師の方とのお話の内容から、音楽に精通した方だという印象を持っていたのでなおさらでした。詳しくお話を聞くと先生が吹奏楽の勉強を始めたのは十五年前のことです。吹奏楽部の顧問になったことがきっかけでした。指揮法を勉強するため指揮者に弟子入りし、師匠に叱られながら音楽を学んだそうです。最初のうちは全く分からず、指揮台に立って振っていても師匠に怒鳴られることも多く、「代われ!」と言われて指揮台を降ろされることもしばしばだったとか。師匠が指揮棒を振ると楽団は素晴らしい演奏をしたそうです。「なんで師匠が振ると音が変わるんだ?」という音楽の魔力に虜になり、それから何年もかけて学ぶうちに、音楽に精通するようになったとか。毎年、百名を超える部員たちを引っ張っていくカリスマ性は、膨大な勉強量と努力と挑戦にあるのだなあと思いました。

 

 

[caption id="attachment_766" align="alignleft" width="388"] 指導にあたる高橋健一先生[/caption]

その時、音楽準備室のドアが再びノックされて、今度はスーツ姿の男性が入ってきました。年は二十代前半くらい。軽く私に会釈をし、勝手知ったる様子でちゃぶ台前に座ります。

「ちょっとすみませんね」

高橋先生は私に一言断った上で、その男性との話を始めました。吹奏楽部の発表会での楽曲についてでしょうか。その男性が持ってきた音源を聴きながら、先生はいろいろと指示を伝えています。本当に次から次へと忙しいなあ…と感心しました。邪魔をしないようにと、黙って座っていると、高橋先生はふいに私を向いてその男性を指差して言いました。

「こいつも卒業生です」

えっ?と私が彼を見ると、もう一度彼は「はあ、どうも」と会釈しました。そのIさんは、現在は会社員として働きながら、母校の活動のための作曲や編曲の仕事を請け負っているとのことでした。その日、先生と打ち合わせをしていたのは、市船吹奏楽部が毎年参加している『北海道ヨサコイ祭り』のヨサコイ踊りのための楽曲でした。このヨサコイ、という行事に参加することが市船吹奏楽部にとって楽器演奏と同じくらい重要視されています。私が最初に見た大義くんの告別式の映像で、大義くんが振っていた大きな旗は、まさにそのヨサコイの旗だったのでした。

 

 

[caption id="attachment_632" align="alignleft" width="388"] 大旗を振る大義くん[/caption]

 

 

「大義は一番お利口さんでしたよ、俺らの中では」

Iさんはそう教えてくれました。

「お前らがひどかった」

と、高橋先生は笑って仰いました。Iさんも「たしかに」と苦笑いです。大義くんの代の部員は、全部で三十名という歴代でも部員の少ない代だったそうです。学年色は赤いジャージ。そのため、「赤ジャ」と呼ばれていました。赤ジャの中でも男子部員は六名。その六名の男子部員(男部と略されて呼ばれていたそうです)は、選りすぐりの悪ガキ揃いだったそうです。

「どんな風に悪かったんですか?」

と聞くと先生は「とにかく全員プライドが高い」と仰います。悪ガキと聞いて、私はまさか非行かな、と思ったのですがそうではなく、音楽に関するプライドが高かったために起きたトラブルが数多くあるというのです。

「根拠のない自信だけで周りをバカにして、反抗していました」

と、Iさんは内省も込めたような口調で教えてくれました。

「根拠のない自信」なら私も身に覚えがあります。高校時代、演劇に目覚めたころの私は、誰よりも面白い脚本が書けると自信を持っていました。若気の至り、世間知らずの怖いもの知らずといったところでしょうか。その自信は大人になり、世間に自分の作品を出して評価されたり、価値観の違う人とお仕事を共にすることによって見事に削られ、丸まっていきましたが。十代の頃は確かに精神的にも尖る時期なのかもしれません。

Iさんは口調も穏やかで物腰も柔らかで人当たりの良い印象でしたから、反抗していたといってもあまり想像ができませんでした。

「現役時代は目が吊り上がっていましたよ(笑)。今はだいぶ丸くなったほうだと思います」

先生は、吹奏楽部の部員の中では、家庭環境に問題を抱える生徒も少なくないといいます。その日お会いしたIさんも、吹奏楽部で過ごした三年間でだいぶ落ち着たそうです。他にも部活中の自虐行為や、自殺未遂事件、妊娠沙汰など、家庭の問題や友人の問題を抱えるありとあらゆる生徒と、先生は向き合って来られたんだそうです。

その後、Iさんは後輩たちのパート練習を指導すると言って部屋を出ていきました。卒業して三年以上過ぎてもまだ、こうやって母校とつながっている部活っていいなあと思いました。

 

※※※

 

このⅠさんとの出会いが、大義くん像を色濃くした最初のきっかけだったことは言うまでもありません。そして後に、このピアノバージョン「JASMINE」をアレンジしてくださったのはIさんなのです。

「生前は叶わなかった、大義とのコラボレーションだと思って」

そう仰って作ってくださったピアノバージョン。

 

ぜひ皆様の手で奏でていただけたら嬉しいです。

 

 

 

ただいま、大ヒット上映中「20歳のソウル」引き続き劇場でお待ちしております!

 

 

 

 

 

※中井由梨子が『20歳のソウル』を書くにあたり取材した記録。当時の様子が鮮明に書かれています。取材ノートのため、『20歳のソウル』に登場する人物以外の実名は伏せてあります。

 

 

 

 

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