皆さん、こんにちは。
中井由梨子です。
全国公開スタートから1週間が経ちました。
SNS上でたくさんの感動の声を聞き、関係者一同感激しております。皆様本当にありがとうございます…!多くの方から「絶対見に行く!」という言葉をかけていただいているのですが、本日から上映回数が減ってしまう劇場が多く「こんなに期間短いの!?」と、とても残念です。
[caption id="attachment_1157" align="alignnone" width="388"] くまざわ書店シャポー船橋店にて[/caption]
#おかわりソウル で皆さんが呟いてくださっている通り、この映画は2度3度見てくださって初めて分かったり気づいたりすることがたくさんあります。人の第一印象が、二度三度会ううちに変わっていくのと似ている気がします。この映画は大義くんの人となりのように、回数を重ねるごとに見せる表情を変えていく…そんな映画です。
皆様、貴重な上映回をお見逃しなく!
まだまだよろしくお願いします!
[caption id="attachment_1134" align="alignnone" width="388"] 助監督チーフ宮下涼太のソウル[/caption]
さて、今日は連載三回目。
この映画でも登場する市船独自の演目「吹劇」を、私が初めて高橋先生にお会いした日の夜に見せていただいた時の描写です。
その時の驚きと気づきが、この5年間の私を引っ張ってきたのです。
※※※
時計は二十二時をとっくにまわり、二十三時が近づいていました。予定を上回る長居にも関わらず、先生は快く様々なお話をしてくださいました。最後に先生はiPadを開き、仰いました。
「これをぜひ見て欲しいんです」
iPadの液晶画面に映し出されたのは、演奏会の録画でした。
[caption id="attachment_1214" align="alignnone" width="388"] 2016吹劇「ひこうき雲~生きる~」より(市船吹奏楽部Twitterより)[/caption]
「我々は吹劇って呼んでるものなんですが」
吹劇、という聞いたことのない単語に私は首を捻りました。そのはずで、これは吹奏楽と劇を混ぜた、市船独自の造語らしいのです。市船吹奏楽部では、毎年十二月に定期演奏会を開催します。部員にとって一年で一番大きな演奏会といっても過言ではありません。この演奏会を最後に、三年生たちは引退していきます。三年間の集大成です。その演奏会で、この十二年間、欠かさず演じられてきたのがこの吹劇でした。高橋先生が考案し、作曲家の先生、ダンスの振付の先生が製作を手掛けます。一つのテーマに沿って音楽と身体表現を使い、観客に様々なイメージを喚起させるこの試みは、ただ音楽を聴かせるよりもはるかに観客に多くを問いかけ、感情を揺さぶるものだそうです。もちろん、演奏している生徒自身も、毎年取り組む壮大なテーマに向かって、自分たちなりに考え、解釈し、表現する重要な演目です。
先生がその時、見せてくださったのは昨年(二〇一六年)の十二月二十八日に習志野文化ホールで開催された第三十三回定期演奏会で演じられた吹劇でした。
「これを大義は見てたんですよ」
高橋先生が仰いました。私は、先生が再生してくださったその画面を見つめました。再生されると、約三十分のその演目が始まると、やがて私は目頭が熱くなりました。大義くんが亡くなったのは今年(二〇一七年)一月十二日。亡くなる二週間前に、最後の力を振り絞って観に来た後輩たちの演奏会。そこでまさかこんな演目を見ていたとはと、その偶然とは思えない巡り合わせに言葉をなくしてしまいました。
その吹劇のタイトルは『ひこうき雲~生ききる~』。
「ひこうき雲~生きる~」ダイジェスト(市船吹奏楽部制作)
松任谷由実さんの歌『ひこうき雲』をテーマに、余命を宣告された主人公が、嘆き、悲しみ、苦しみを乗り越えて、やがて自らの死を受け入れ、最後の瞬間まで生ききり、親しい人に別れを告げて静かに死んでいく様を描いた物語です。生徒たちも最後は涙を流しながら演奏し、歌い、演じていました。先生がその年の吹劇のテーマを「生ききる」にしたのは、大義くんのこととは全く関係がなかったそうです。
「まさか大義が死ぬなんて思ってもいませんでしたから」
終末期医療で働く看護師さんから、余命を宣告された方は死を待つのではなく、ご自分の残された時間をどう生ききるかなのだ、という話を聞いてこのテーマに取り組むことにしたそうです。
「神様が仕組んだこととしか思えないんですよね、これを大義が見たっていうのは」
私は先生の言葉に頷きました。先生は再び視線を宙に向け、誰かに問いかけるように仰いました。
「大義はいったいどんな思いで、これを見てたんだろう」
私も大義くんに向かって問いかけるような気持ちで考えました。ふと、確信めいた答えが胸のうちに返ってきました。
「勇気づけられたのではないでしょうか」
私は先生に言いました。不安でいっぱいの中、彼は後輩たちが全身全霊で演じたこの演目から、この先を生きていく道しるべを見出すことができたのではないかと感じたのです。
「そうですね」
先生は、深く頷いてくださいました。
[caption id="attachment_1215" align="alignnone" width="388"] 浅野大義さん(原作:幻冬舎文庫『20歳のソウル』より)[/caption]
二十三時三十分。私は慌てて立ち上がりました。まだまだお話を聞いていたかったのですが、このままでは本当に帰れなくなってしまいます。私は大変な長居を先生に詫びながら学校を立ち上がりました。最寄りの東船橋駅まで、先生は車で送ってくださると仰って、一緒に立ち上がります。真っ暗な廊下に出ると、少しひんやりとした空気が漂っていました。
もと来た中庭の階段から降りていきます。登ってきた時より教室の明かりが少なくなっていて、何も見えません。本当に足元が真っ暗です。私は急ぎながらも恐る恐る階段を降りていきました。先生はさすがに慣れてらして、ポンポンと段を下っていきます。
先生の車は中庭の脇にあり、私は促されるまま乗車しました。車を発進させながら、先生は仰いました。
「爽やかだったんですよね、大義の告別式は」
私はじっと先生の次の言葉を待ちました。
「二十歳の告別式がこんなに爽やかなのは、世界でも稀なことだと思いますよ」
今年五十六歳を迎える高橋先生は、これまでの長い教師生活の中で、教え子を三十人近く亡くしているといいます。病気や事故など、その原因はさまざまですが、どの生徒の告別式も悲しく、辛い。「なぜ先に」という思いがどうしてもぬぐえない。思い出すだけでも胸が苦しくなるといいます。大義くんの死も、先生にとっては大きな悲しみでした。
しかし、なぜか大義くんの告別式を思い出すたび先生はこう思うそうなのです。
「爽やかで、温かだった」
二十歳の爽やかな死。
どうしてそんな逝き方ができたんだろう。私は、ますます浅野大義という人を知りたくなりました。彼を育てた市船吹奏楽部が、彼の生き様に深く関わっていると感じました。
「また、来てもいいですか」
駅前で車を停めてくださった先生に私は問いました。先生は笑って仰いました。
「来るしかないでしょう」
私は深く頭を下げ、車を降りました。先生の車が学校に戻っていくのを見送ると、最終電車に向かって走り出しました。
※※※
ただいま、大ヒット上映中「20歳のソウル」引き続き劇場でお待ちしております!
[caption id="attachment_1177" align="alignnone" width="388"] どうぞお見逃しなく![/caption]
※中井由梨子が『20歳のソウル』を書くにあたり取材した記録。当時の様子が鮮明に書かれています。取材ノートのため、『20歳のソウル』に登場する人物以外の実名は伏せてあります。
©2022「20歳のソウル」製作委員会