皆さん、こんにちは。
中井由梨子です。
いよいよ本日で、多くの映画館が『20歳のソウル』の幕を閉じるそうです。訪れてくださった多くの皆様、ありがとうございました。まだ都内でも地方でも、月末まで上映を続けてくださる劇場さんがあります。引き続き、大義くんに会いに行ってください!
前回に引き続き、2017年の1月、大義くんの告別式当時の様子を細かく記したノートを掲載していきます。原作『20歳のソウル』に書かれている内容よりもかなり詳しく書かれたノートです。今日の内容は、あまりに生々しくセンシティブな内容です。本名は伏せてあります。大義くんのお母様と高橋先生の許可をいただいて掲載させていただいておりますが、読み返すと自分でも胸に突き上げるものがありました。
大義くんの物語が音楽のように永遠に伝わることを願って。
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14日、ユナさんはすぐに会場となるゆいまき斎苑を訪れ、担当の木村さんと話をしました。その会場の広さを見て、楽器演奏は難しいと思ったそうです。木村さんもさすがに前代未聞のお願いにびっくりしたそうです。
「何名くらいで演奏するんですか」
「まだ分からないんですけど…百名くらいかも…」
「それは…難しいですね…」
「なんとかお願いします」
ユナさんは頭では無理と分かっていてもなんとかできないかと考えていました。皆からは次々に参加の連絡がきます。中心となるのは自分たち赤ジャ。しっかりしなければと自分を奮い立たせます。しかし、一人では限界があります。助けを求めるとかつての同期、先輩が当たり前のように集まってくれました。大人数なので、練習の段取りを細かく考えておく必要があります。集合場所、時間、集まったみんなをどうやって学校に入れるか。細かいところまで相談し、楽器係や譜面台係と担当をつくりました。
参加予定人数は百名を越えると見込まれました。
ユナさんたちは膨大な量の楽譜を学校でコピーし、準備しました。譜面用のファイルは部活を引退したての「真映たちの代」が貸してくれました。卒業生の中には自分の楽器を持っていない人もたくさんいます。現役の「未来たちの代」が嫌な顔ひとつせず、自分たちの使っていた楽器を貸してくれました。19日の午後7時に集合し、全体での合奏練習を午後8時に開始すると決めました。大義くんの同期、赤ジャのメンバーはほぼ全員が集まりました。
どうしても仕事や遠方などで行けなかった三人以外の二十七名です。参加者の中の一人、Kさんは美容師になっていました。19日の練習日と告別式の21日にお休みが欲しいと言いましたが、通常冠婚葬祭でのお休みは1日だけ。ましてや身内ではなく友達の葬儀と知ると、なかなかお休みをもらえませんでした。
「ただの友達ではないんです、市船の仲間は。家族なんです」
Kさんは二時間、熱心に店長に訴え、やっとお休みをもらうことができました。当時一歳の子供を両親に預けて参加したIさんは言います。
「友達ではないんです、私たちは。仲良しこよしの友達じゃない。他の人に大義のことを理解してもらえないのは、ただの友達だと思われてるから。でも私たちは、いろんなことを一緒に経験してきたから、その絆は友達ではないんです。その深さを理解してもらえない」
それぞれがそれぞれの場所で「大切な人」のために頭を下げ、自分の仕事を切り上げ、時間を割きました。どうしても来られなかった人たちも、ギリギリまで頑張っていた人も多くいたことでしょう。心は皆と共にあったに違いありません。告別式の演奏に、仕事でどうしても行くことができなかったAさんは、後悔と共に振り返ります。
「どうしても行けなかったんです。でも行きたかった。その後悔があるから、今、大義のためにできることは何でもやりたいんです」
そう言って、私の取材にも快く協力してくださいました。私は、その人の心に寄り添う行動や気持ちがこんなにも溢れていることに感動しました。ユナさんも高橋先生と同様に、「大義じゃなくても仲間なら集まった」という所以はここにあると思いました。それが大義くんが愛した『市船魂』なのです。
演奏の曲目は、どの代も一度は演奏したことがあるものを選びました。
「魔女の宅急便」
「星条旗よ永遠なれ」
「手紙」
「夜明け」
そして、出棺の時には、大義くんの「市船soul」。
楽器がどうしても手に入らなかった人や、もう長く扱っていないという人は、合唱のみで参加した人もいたそうです。19日の午後7時、約束通り皆学校に集まりました。参加者百人、という知らせを受けて木村さんは焦りました。「どうにか人数を減らせないか」と相談するつもりで、市船にやってきたそうです。が、来てみると集まった人数はさらに増えて140人。木村さんは内心「どうしよう」と思っていたといいます。
全員は一度、渡り廊下に集合しました。Nさんもその場にいました。大義くんと特に仲が良かったNさんに、何人もが「大丈夫か」と声をかけてくれたそうです。しかしNさんはずっと実感がなく、曖昧に「はい」と応えるだけでした。ユナさんは、集まってくれた面々を見ながらしっかりしないと、と思っていました。しかしその中には尊敬する先輩方もたくさんいます。全員が、ユナさんが話すのを待っていました。ユナさんは緊張で足が震えたといいます。
「皆さん忙しい中、来てくださってありがとうございます。久々に会う人も多くて、同窓会気分になっちゃうかもしれないけど、高橋先生の仰るように、それは違います。今日集まった目的は、大義のためです。大義の大好きな音楽で送り出したい。みんなも、そういう気持ちを持ってきてくれたと思うので、どういう練習にすればいいのか、自分たちで考えて行動してほしいです。練習が成功しなければ本番は成功しない。今日が絶対に重要です。少しでも無駄な時間があってはいけない。大義を最高の形で送り出したいです」
誰もが、ユナさんの言葉を真剣に聞いていました。「練習が成功しなければ本番も成功しない」とは素晴らしい言葉です。ユナさんはじめ、みんなの中には「ただ集まってやるだけでいい」という感情論は決してありませんでした。「良い演奏をする」「成功させる」という気持ちで臨んでいました。大義くんに、最高の音楽を届けたかったのです。みんなも同じ気持ちでいてくれたとユナさんは振り返ります。とても静かに練習に入りました。
傍でこの様子を見ていた木村さんは、「とても断れない」と思ったそうです。高橋先生と打ち合わせし、どういう配置にすれば全員が入り、段取りよくいけるか、式場の図面を広げていろいろとよく話し合いました。木村さんは「もう後にひけない、やってやる」と思っていたそうです。
午後8時。全員が音楽室に揃い、高橋先生が指揮台に立ちました。全員が、最初の音合わせのBの音を一斉に鳴らしました。その音を聴いた瞬間、高橋先生はこみ上げてくるものを我慢することができませんでした。目から大粒の涙が零れ落ちます。なかなか指揮棒を振ることができません。皆も堰を切ったように泣き始めました。こらえていたものが噴き出したようでした。しばらくの間、泣いて泣いて、ただ泣いていました。
Hさんは、泣いている皆の中で一人、自分だけがポツンとしていると感じました。涙が出ないのです。ただ、ぼんやりしているという感覚でした。それはNさんも同じでした。自分ひとりだけが感情をどこかに置き忘れてきているんじゃないかという錯覚を起こすほどに何も感じなかったというのです。
私は、この二人の話を聞いて、ぽっかりと開いた穴を想像しました。HさんとNさんにとっては「いて当たり前」のはずだった存在が、少し会わない間に、あっという間に消え去ってしまった。この喪失感が穴になり、感情が追い付かないのだろうか、と分析しました。
やっと落ち着いて、演奏の練習が始まりました。黙々と、皆で音を合わせていきました。数年のブランクはすぐに取り戻すことができました。全員の音が先生の指揮に集まり、音が重なってまとまっていきます。その日の練習は午後10時すぎまで続き、ユナさんたち幹部6人は終電間際まで打ち合わせをしました。
通夜の日。
訪れる弔問客の中に、Iさんの姿がありました。たった一人で夜に焼香に訪れたといいます。高校時代、いろんなことがあったけれど、同じように作曲をして音楽を勉強していた仲間だったからこそ、志半ばで…という思いがこみ上げました。12月の定期演奏会で大義くんがIさんに「(演奏会の)曲、作ったの?お疲れ。けっこう、やり直しさせられたんだって?」と笑いながら話しかけてきたことを思い出しました。その時は「お前、皮肉かよ」と思ったのですが、それもすべて過去のことになってしまいました。最後に病室を訪れた時、大義くんの枕元に楽典が置かれているのも思い出しました。大義くんは「暇だから」読んでいたらしいのですが、その内容はとても難しいものだそうです。それを彼は読んでいた…と思った時、「あの本、どこまで読めたのかな」という思いが胸に湧きました。最後まで読めなかったかもしれない。Iさんはただ無念さに立ち尽くしていたそうです。
Nさんも焼香に訪れました。
夜でしたから人もまばらになり、身内の方しかいませんでした。Nさんはお棺に近づき、大義くんの死に顔を眺めたそうです。最後の挨拶を、と思いましたがなんの言葉も浮かんできません。ただ、見慣れたはずの大義くんの顔をじっと眺めていました。頭が空っぽのまま、時だけが過ぎていきました。
2017年1月21日。告別式の朝。
午前7時に、木村さんは会場を開けました。この一週間、あまり寝ていませんでした。寝てもすぐに起きてしまったり。眠りが浅かったり。隣で眠っている妻に心配されるほどでした。演奏が成功するか、大人数をしっかりと仕切れるか。何より、大義くんの身体は保ってくれるか。しかしその日まで、大義くんはしっかり頑張ってくれました。きれいな死に顔のまま、祭壇の前に花々に囲まれて眠っていました。
午前8時。
ユナさんたち幹部が到着します。楽器のトラックが到着し、次々と楽器を会食室へと運びました。木村さんの配慮で市船生だけの献花が行われました。Sさんは大義くんの顔を見て「これは大義じゃない」と思えてしまったそうです。空っぽの殻にしか見えない。本当の大義はどこか別の場所にいるはず、と。
「告別式の朝、早く行って大義に対面して、触ってみたりしたけど、どう見ても大義に見えない。大義はここにいないと思いました。みんなに聞いてみたら、大義は一緒に演奏してるっていう人もいれば、見てたっていう人もいます。どちらにしても、あそこに横たわっていたのは、殻だと思った。この塊は何なんだろうと思っていました。だから、悲しみをどうやってぶつけたらいいのか分かりませんでした。でもみんな自然に泣いてしまった。そしてひたすら演奏をする。そうするしかなかった、この殻を送るために」
午前11時。葬儀が始まりました。
読経、弔電、喪主挨拶と続きます。市船生たちは会食室でじっと待機していました。最終的に、演奏のために集まった数は、164人となりました。ユナさんは、演奏が終わるまでは、とにかく踏ん張ろうと思っていました。自分は、この164人を束ねる立場にあるのです。泣いてはいけない、泣いてはいけないと心に言い聞かせて、木村さんはじめ式場のスタッフと連携して演奏の出番を待っていました。式は滞りなく進みました。
正午。告別式です。
一気に椅子が移動され、市船生たちは楽器を持って式場へ移動しました。余計なおしゃべりは一切ありません。厳かに列をなして進んでいきます。大義くんの棺は式場の真ん中に移動され、演奏会と同時に家族と親戚による献花が行われる段取りになっていました。
忠義さんの旧友が、ビデオカメラを回しました。大義くんの幼い頃から思い出を映像に残してきた彼は、大義くんの最後の瞬間も映像にとどめようと必死に回し続けました。しかし、こみ上げてくる涙と悲しみでカメラはぶれ、何度もやめようかと思いました。しかし最後まで撮り続けました。私が最初にみた映像は、この映像だったのです。普通は、葬儀を撮影することはありません。それが忠義さんの友情により、奇跡的に残されたのです。吹奏楽部164人の演奏も全てが撮影されました。
大義くんを囲むような形で全員が配置につきました。祭壇前に、高橋先生が立ちます。一斉に式場に鳴り響くBの音。ゆっくりと先生が指揮棒を振りました。一曲目は宮崎駿のアニメーション映画『魔女の宅急便』のテーマ曲です。何度も演奏した思い出の曲です。廊下にも弔問客が溢れ、じっと演奏を見守りました。先生も演奏する市船生も、泣いて演奏が止まってしまうことはありませんでした。頬を涙がつたっても、誰も手を止めませんでした。ひたすらに吹き続けました。Nさんは合唱で参加しました。壁際に立って、演奏するみんなを眺めていました。音がゆっくり流れているように感じました。もう終わるんだな、これで本当に終わるんだな、と思いました。やがて『手紙』の合唱が始まりました。静かにお棺の蓋が開けられます。大義くんのご家族、親族が献花をしました。
「今負けそうで泣きそうで消えてしまいそうな僕は」
何度も歌ってきたはずの歌詞が、みんなの心に突き刺さっていきます。棺にすがって泣き崩れる千鶴さんの姿がありました。愛来さんは棺に近づき、最後のお別れをしようと思いましたが何も言葉になりませんでした。ただ涙が後から後から零れ落ちました。
「大義の声が足りないと思いました」
Aさんが振り返ります。歌うことが大好きだった大義くんは、合唱の時間も大きな声で朗々と歌っていました。いつもすぐ傍で聞こえていたはずの大義くんの声だけが足りない。
「頭の中では聞こえるんです、でも大義はどこにもいない。変な感じでした」
棺の中の大義くんの胸には、「ユナたちの代」で作った市船のオリジナルタオルがかけてありました。大義くんの字で「市船吹奏楽部」と書かれてあるタオルです。ペンと新しい五線譜も入っていました。「これからも曲、書くんだね」と語りかけました。
いよいよ出棺の時となりました。
高橋先生が皆に大きな声を出します。「それでは元気に大義を送りたいと思います」皆は一斉に楽器を構えます。この悲しみに打ち勝ってちゃんとやろう、いい演奏をしよう。そんな姿勢でした。そして今この時を大切にしようという心も。
「大義が作った曲だ。いくぞー!」
疾走感のあるドラムの音とドンドンドンと響く大太鼓が高らかに打ち鳴らされました。
「大義、大義、大義!」
「攻めろ、守れ、決めろ、市船!」の掛け声の部分は高橋先生の提案で大義くんの名前を呼びました。力の限りみんなで呼びました。勇ましく闘いを鼓舞する応援曲は、泣いているように聞こえました。
『市船soul』の中、大義くんは静かに式場をあとにしました。桂子さんは何度も何度もみんなに頭を下げ、千鶴さんに身体を支えられて出ていきました。高橋先生は手を上げます。最後の和音が響き渡りました。「市船魂ここにあり!」の和音です。
愛来さんは、親族と共に火葬場へ同行しました。最後の最後まで大義くんを見届けようと思っていました。人数の関係で高橋先生と赤ジャとトロンボーンパートの人だけが階下に降り、大義くんを乗せた車を見送りました。
雲一つない晴天の真っ青な空の下、大義くんはみんなのもとを去っていきました。
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ただいま、絶賛上映中「20歳のソウル」引き続き劇場でお待ちしております!
※中井由梨子が『20歳のソウル』を書くにあたり取材した記録です。当時の様子が鮮明に書かれています。取材ノートのため、『20歳のソウル』に登場する人物以外の実名は伏せてあります。
©2022「20歳のソウル」製作委員会