皆さんこんにちは
20歳のソウル監督の秋山です
まだ
コロナという
言葉も知らなかった
2019年11月
高橋健一先生にお願いして
市立船橋高校の見学に
お伺いしました
廊下や
大義くん在籍当時の部室
卵パックが貼られた音楽室
音楽室から見えるグランド
映画
20歳のソウルでも
この場所で
ロケをさせていただきました
大義くんが
高校時代を過ごした
市船の空気感が
そのまま今に繋がっています
リアルな場所でのロケに
許可をいただき
市船の皆様には
感謝しかないです
ありがとうございました
旧音楽部部室を見学したあと
みやしーも以前に書いていましたが
新設された
第三体育館を見学しました
ここが高校の施設?
と
びっくりするほど
広くて近代的な建物です
そこで
初めて
市船吹奏楽部の演奏する「市船ソウル」を
生で聞かせていただいたのですが
迫力がすごかった
そして
市船ソウルなら
いつでも演奏出来ますと
高橋健一先生もおっしゃっていましたが
皆さんの
市船ソウル愛が
すごかった
圧倒的演奏でした
その際に
フルートを吹いていたのが
佐藤美咲さんでした
フルートの腕前もさることながら
キャプテンとしての
存在感が群を抜いていました
我々が
高橋健一先生の部屋で
打ち合わせをしていた時
「失礼します」と
部屋に入って来て
美咲さんが
先生から指示を受ける姿が
堂々としていて
頼もしかった
そして
凛とした姿が
美しかった
その時思ったのです
映画
20歳のソウル
吹奏楽部キャプテンは
リアルな吹奏楽部キャプテンである
佐藤美咲さんに
演じて欲しい
と
その直感は
正しかったと思います
2年後
20歳のソウル撮影の時
第二の監督として
現場を仕切ってくれたのは
佐藤美咲さんだったからです
この時の出会いがなかったら
リアルな吹奏楽部の空気感は
出せなかったに
違いありません
佐藤美咲さんのことは
みやしーのインタビューを交えて
また
詳しく書きたいと思います
「こんにちは~、大義の母です。遠いところすみません」
まるで大義くんの同級生を迎え入れるかのような気さくな笑顔で浅野さんは出迎えてくださいました。
その満面の微笑みに、映像で見た大義くんの笑顔が重なりました。
浅野さんは小柄で物腰も柔らかで、よく笑う方でした。
少なくとも私が想像していた悲しみにくれる母親像とは全く違います。
私は一気に緊張が溶けていくのを感じました。
大義くんを幼馴染のように思ったのと同様、浅野さんのことも昔から知っているような安心感を感じたのです。
私は浅野さんの先導で、お家にお邪魔させていただきました。その時には、雨はすでに止んでいました。
忠義さんのお家は広い日本家屋でした。和式の居間に大きな仏壇と、壁一面に大義くんの写真が飾ってありました。
仏壇の前には大義くんの似顔絵の周りにびっしりと書かれた寄せ書きがあります。
大義くんの写真は、大義くんが赤ちゃんのころ、子供のころ、高校時代までたくさん飾られていました。
私はお菓子とお花をお供えし、大義くんのお位牌の前で手を合わせました。
心の中で
「やっと会えましたね、ここまで招いてくれてありがとう。どうぞよろしくお願いします」
と話しかけました。
その時、お家には大義くんのおじいちゃん、おばあちゃんもいらっしゃって
お二人も浅野さんと同様、とてもにこやかに出迎えてくださいました。
仏壇のある和室から地続きでテラスがあり、そこに椅子とテーブルがありました。
その椅子に座らせていただき、浅野さんと、忠義さんと向かい合いました。
浅野さんは終始ニコニコと話しています。
「お線香あげてくださってありがとうございます」
と仰ったので
「いえ、こちらこそ」
と深く頭を下げました。
予想していたよりもずっと暖かく優しく迎え入れてくださったことに私はリラックスして、大義くんを初めて知った時のこと、高橋先生を三度訪問させていただいたことなどをお話しました。
そして、よろしければ大義くんについてお話を伺いたいとも申し上げました。
浅野さんは終始頷きながら私の話を聞いてくださっていました。
「高橋先生から、とても熱意のある方なのでぜひ、とご連絡をいただいておりますから大丈夫です。高橋先生が良いと仰る方でしたらこちらは何も不都合はありませんので」
と仰いました。先立ってお話をしておいてくださった先生に感謝すると共に、浅野さんと先生との信頼関係の深さを改めて感じました。
※※※
今思えば、懐かしいですが、こうやって取材ノートを思い返すと、本当に感慨深くなります。
5年たっても今も変わらないのは、桂子さんの明るい笑顔です。
その笑顔に支えられて、ここまでくることができました。
この『取材ノート』はこれからも少しずつ公開していきたいと思います。
こんにちは、中井由梨子です。
先日2月14日のDCPチェックが終わり、3月。いよいよ初号試写が行われます。
大義くんのご家族に、映画『20歳のソウル』をお届けできます。
取材を始めて5年。
いろんなことがありました。
私にとって今、大義くんのご家族はかけがえのない方々です。
特に、お母さまの桂子さんとの関係性は、「取材させていただいている」ということだけでは括れない、あまりに深い関係を築かせていただいたと思っています。
今日は、私の『取材ノート』から、桂子さんと初めてお会いした日のことを抜粋したいと思います。
※※※
朝から雨が降っていました。しかもシトシトではなくドッサリと降っています。
私は玄関でレインブーツを履き、身なりをチェックしました。少し灰色がかった青いワンピースと紺のスプリングコート。
失礼がないようにと、何度も検討してコーディネートした服装です。
前日に自由が丘の人気パティセリ―で購入したお菓子の詰め合わせには、白いリボンをかけてもらいました。
駅前の花屋でお花を買って行こうと思いながら玄関の戸を開けます。青と白を基調にした花束がいいかも。
告別式の祭壇の色が素敵だったから…。
そんなことを考えながら緊張をほぐそうとします。しかし、高鳴る鼓動は抑えきれません。お会いしたらまずは何を切り出したらいいのだろう、どんな風に自分を説明したらいいのだろうと、高橋先生に初めてお会いした時よりも数倍の緊張を抱えて私は電車に乗り込みました。
五月二十六日。
初めて大義くんのお母さん、浅野桂子さんにお会いする日。
この前の週、五月二十一日の午後二時ごろ、私は勇気を出して先生から教えていただいていた浅野さんの電話番号を押しました。三回ほどコール音が鳴り、浅野さんが電話を取りました。高橋先生の時にはメールだったので文章を何度も再考できましたが、いきなり電話でお話せねばならないので私は上がってしまって物凄く高い声で喋っていた気がします。
「こんにちは、あの、私、中井と申しまして…」
「ああ、はい。高橋先生から伺ってます」
こちらの予想にまったく反して、浅野さんの声は明るく優し気でした。
「大義の祖父の家にいらしてください。仏壇もありますから」
と、仰ってくださいました。
大義くんにお線香をあげられると分かり、私はすっかり嬉しくなりました。
やっとご本人に挨拶ができる、と思ったのです。
浅野さんのご対応はなんともスマートで私は少し面食らいました。
考えてみれば、私の前に朝日新聞の記者の方が取材をしているので、そういった対応には慣れていらっしゃっるのかなとも思いました。
大義くんの実家と祖父の忠義さんのお家がある二和向台の駅までは、四度ほど乗り換えます。
茅場町から西船橋へ、西船橋から北習志野へ、北習志野から新京成電鉄に乗り換えて五駅です。
私の自宅の最寄りの駅からは一時間五十分ほどの道のり。ちょっとした旅行気分です。
しかし、この日の私は旅行などと気楽なことは言えず、じっと身じろぎもできずに電車の椅子に腰かけて手にした花束を見つめていました。
きちんとお約束をしていただいているのだから、門前払いということはないと思いましたが、もし私の来訪でご家族がお心を痛めるようなことになったらどうしようと不安でした。
私はこれまで(とても幸運なことに)近しい人を亡くした経験がほとんどありませんでした。ですから、もしかしたらお心に沿えないような無神経な言葉を発してしまうかもしれない。こちらに悪気はなくても、そうなってしまったら取り返しようがない…。そんなことばかり考えていました。
そもそも、大義くんのことが朝日新聞に取り上げられたきっかけは、浅野さんが、朝日新聞の投書欄『声』に告別式での市船生たちの演奏のことを投書したことがきっかけでした。
その投書の目的は、大義くんのことというよりも市船について、そして部活の素晴らしさについて世の中に知ってほしいというお気持ちだったように思いました。
後に、この記事を書いた時のことを浅野さんご自身にお伺いすると
「書き終わって見直してから、やはり送ろうかどうしようかと迷った時に、ふっと指が勝手に送信ボタンを押していた」
と仰いました。
浅野さんはそれを
「大義の仕業かな」
と笑っていらっしゃいました。
その浅野さんの記事を一部掲載させていただきます。
***
「同級生、先輩、後輩、その数160名以上。皆それぞれの生活や仕事の都合をつけて集まってくれた。ただ一人のために。一度のために。同じ気持ちで演奏し、合唱してくれた。魂が奏でる音楽の中、息子を送り出すことができた。(中略)部活動を巡ってはさまざまな意見があるが、息子にとっては間違いなく部活をやっていて良かった。この先生の下で本当に良かった。 (平成二十九年一月二十六日朝日新聞投書欄『声』より)」
***
二和向台の駅は、改札を出るとすぐ右手に踏み切りがありました。
浅野さんが「駅から歩いて一分ほど」と仰っていたのを思い出しながら踏切を渡り、電話をかけました。
詳しい場所を伺うつもりでした。
すると行く手に電話をかけながら立っておられる女性がいます。
私は慌てて電話を切って駆け寄りました。
「こんにちは~、大義の母です。遠いところすみません」
明日に続きます。
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
今日は映画「20歳のソウル」のロケ地についてお話したいと思います。
作品がより良い作品となるためには、『ロケ地』もとても大切な要素となります。
監督やプロデューサー陣が話し合い、時間をかけて色々なロケ地の候補が上がり
ロケハンやロケ地交渉へと移ります。
そして今回、ロケ地の交渉という大役のほとんどを担ったのがこの方!
松田好太郎さんです!
松田さんも普段は俳優として活動しながら、「20歳のソウル」ではスタッフとして参加された方の一人です。
今回「20歳のソウル」ではロケ地探しに難儀することもありました。
そのうちの一つが病院のロケ地です。
病院は患者さん、お見舞いの方、スタッフの方などたくさんの人が出入りします。
当時もコロナの状況を考えると、千葉県の実際の病院を借りることは難易度が高く
移動のことを考えると、都内のロケスタジオを借りることはスケジュール的に厳しい
そんな中、ミラクルは起きました。
最後の最後に候補として挙がった船橋市にある施設。
なんと
その施設はまだオープン前で、市船のすぐ近くに建設中だったのです。
しかし、オープンを控えた新しい施設
そして今後コロナがどうなるかわからない状況
交渉は難しいのではないかと思われました。
初めてロケ地として使用したいとお願いした時は、さすがにびっくりされたそうです。
まだ完成していない施設です。
設備も、すべて整っているわけではありませんでした。
それでもロケ地としてお貸しいただけたのは、松田さんの熱意でした。
「20歳のソウル」が、いかに素晴らしい映画であるか
原作・脚本の中井さん(松田さんの師匠です)が
どれほどの想いでこの本を書いたのか
秋山組のメンバーが、この映画にどれだけかけているか
その交渉が、一つのドラマのようでした。
撮影の時も施設の方々には本当にたくさん助けていただきました。
施設で使用予定の機材を貸していただいたり
キャストやエキストラの方々の控室や支度部屋としてのお部屋も貸して頂きました。
また、併設している診療所はオープンしていたのですが
撮影日には我々と患者さんが遭遇することのないように
と、あらゆる面でご配慮いただきました。
なかなか見つからなった病院のロケ地でしたが
結果、素晴らしい場所で、これ以上ない撮影をすることができました。
なんといっても、厳しい状況の中
撮影に最大限のご協力、ご配慮いただいた施設の方々には
本当に感謝しきれない思いです。
どんなシーンになっているのか
是非、皆さんも劇場で観てみてください!
また、松田さんの起こしたミラクルはこれだけではありません!
そのお話は、また次の機会に書かせていただきます!
本日もご覧いただきありがとうございました!
20歳のソウル
監督の秋山です
松大くんにも
特別な思い出があります
松大くんには
大義くんたちと同級生
市船野球部三年生部員、滝沢を
演じてもらいました
20歳のソウルを
編集しているとき
出来るだけ
客観的な目線を失わないように
役に
寄り添いすぎないように
気をつけていたのですが
滝沢のシーンになると
どうしても
涙が出てしまうのです
吹奏楽部ではないけれども
大義くんと
素敵な絆で結ばれた
野球部滝沢は
いわば
僕たちの分身
なんだか
自分を見ているような
気持ちになる
そんな存在なのです
それは
中井さんから
5年前の夏
高校野球千葉大会のことを
よく聞いたからかもしれません
まだ
コロナを知らなかった夏
千葉大会のスタンドでは
大義くんが作曲した
市船ソウルが
誇らしげに鳴り響いていました
報道ステーションの企画取材で
市船吹奏楽部を訪れた中井さん
まだ
今のように
吹奏楽部の皆さんと
顔馴染みでもなかったものの
毎日
炎天下に通う中井さんに
ある日
野球部のレギュラー以外の部員が
話しかけてくれたそうです
その部員の言葉から
野球部の皆さんが
どれだけ
市船ソウルを愛しているか
大義くんが作った曲を
嬉しく思っているか
を
身に染みて
感じることが
出来たそうです
そんな
野球部員への
熱い想いから生まれた
滝沢というキャラクター
まさに
松大くんは
体当たりで
演じてくれました
野球部員だからと
まずは
イケメンの長い髪をバッサリ
丸坊主で
撮影に臨みます
そして
吹奏楽部に混じって
応援団の大太鼓を稽古
大太鼓は
持ち帰れないから
大太鼓のバチを持ち帰り
ひたすら
個人練習をしたと聞きました
クランクインすると
どうしても
明るい顔が出来ない役でもあり
最初は
悲しい表情ばかり
空も
滝沢の気持ちに合わせて
黒い雲で
覆われていました
百束カメラマンと
パチリ
珍しく
明るい顔
松大くんは
役になり切っていたから
こんな笑顔は
数少ない
シャッターチャンスでした
気がつけば
いつも
僕の後ろにいて
じっと
僕を見ていた
松大くん
少しでも
芝居のヒントになればという姿勢が
素晴らしい
松大くんの演じた
野球部員、滝沢
きっと
スクリーンで見た皆さんも
知らず知らずのうちに
涙が流れていると思います
先日
久しぶりに会った
松大くんは
髪も伸びてイケメンでした
また
丸坊主になって
一緒に仕事したい
そんなことを
思いました
20歳のソウル
監督の秋山です
福本莉子さんとは
20歳のソウルで
初めてご一緒させていただきました
現在も
主演映画が公開中で
ドラマも舞台も
主演作
ヒロイン
目白押しで
飛ぶ鳥を落とす勢いですね
桜が咲き誇る中での
神尾楓珠くんとのシーン
とても美しかったです
一枚だけ
ツーショット写真をパチリ
ファンの皆様
ごめんなさい
美女と◯◯…
福本莉子さんは
カメラが回っていない時は
いつもナチュラルな距離感を保ち
現場で決して目立たないのですが
カメラが回った瞬間に
オーラが湧き立つような存在でした
セリフが聞こえないくらい
大風が吹く中
鬼気迫るシーンもありました
悲しいシーンも多かった
大義くんの
心の糧として
最後まで向き合い
寄り添う
ヒロインでした
福本莉子さん
クランクイン前には
大義くんのお墓参りに行ったと
聞きました
そして
モデルとなった
宮田愛来さんのことについて
愛来さんと親しい中井由梨子さんに
たくさん質問して
実際の言葉やエピソードを聞き
役のイメージを
膨らませたそうです
福本莉子さんについて
宮田愛来さんに
インタビューしました
言葉をしっかりと選びながら
丁寧に答えていただきました
愛来さんと
福本莉子さん
二人とも美しく
誠実なところが
とても似ていると思いました
楽しいシーンは
数えるほどしか無く
心が痛い
毎日だったと思います
大義くんに
真っ直ぐ向き合った
愛来さんのように
真っ直ぐに
役と向き合っていただいたこと
スクリーンから
全国の皆さんに
必ず届くと信じています
20歳のソウル
監督の秋山です
宮部のぞみさんは
20歳のソウル撮影当時は
17歳の高校生
メインキャストの中で
最年少でした
撮影に参加していただいた
市船吹奏楽部の皆さんと
同い年
そして
宮部さん自身も
吹奏楽部でトランペット奏者だったこともあり
吹奏楽部の皆さんの中に入った
合同練習でも
すぐに打ち解け
違和感なく溶けこんでくれました
2019年、ミス・ティーン・ジャパンのグランプリ
遠くから見ても
すぐにわかるくらい
華がありますし
トランペットの腕前も素晴らしい
いつも現場で会うと
弾けるような笑顔を見せてくれました
演奏しながらのシーンでも
セリフが飛んだことは
一度もなかったと思います
しかし実は
彼女が演じた
ミナ
という役は
等身大で演じるには
とても難しい役でした
大義くんの
市船吹奏楽部トロンボーン奏者として
青春を謳歌した高校時代を描く上で
鍵を握るひとり
ミナの心の動きを通して語られる
大義くんの姿が
物語の根底を支えています
佐藤浩市さんと
一対一でやりあうシーンもあります
ユッコ役
佐藤美咲さんとの
濃いシーンもありました
きっと
相当なプレッシャーがあったと思います
リハーサルをしない
テストをあまり繰り返さない
20歳のソウルは
そんなスタイルで撮影しましたが
実は
宮部のぞみさんのシーンは
撮影前にリハーサルをしました
ユッコ役の
佐藤美咲さんと一緒に
二人だけのリハーサル
必要なら
何日か繰り返して
リハーサルをするつもりでした
しかし
一回目のリハーサルを見て
気持ちが変わりました
宮部さんは
リハーサル一回目から
ミナ
でした
リハーサルは
一日だけで
残りはキャンセルしてもらいました
彼女に言ったことは
ひとつだけ
「今のまま、自分が感じるままに、演じてください」
自然に演じてください
と
よく耳にしますが
自然など
撮影現場には、ありません
自分を狙う
たくさんのカメラ
見つめる鋭い目
晒される緊張感
そんな極限状況は
決して自然なものではないから
自然に演じて
という
言葉自体が
ナンセンスだと
僕は思います
なので
「自然に演じて欲しい」という言葉は
極力言わないようにしているのですが
どうも
宮部さんには
言ってしまったらしいです
(公式のコメントを読むと)
きっと
最初にミナを演じた姿が
あまりにもイメージ通りだったから
口にしてしまったのかもしれません
作り込めば
逆に
説得力が無くなる
難しい役なのです
宮部さんは
本番でも
期待以上に
市船吹奏楽部副キャプテン
ミナとして
そこに存在してくれました
あれから一年
先日
久しぶりに会ったのですが
18歳になって
大人の魅力も加わり
キラキラした存在感に磨きがかかっていました
ロケ現場では
いつも
明るく元気に
ミナを演じてくれた
宮部さん
僕らには決して見せなかったですが
カメラの前に立つ前は
数えきれないくらい
眠れぬ夜を
過ごしたと思います
クランクアップした時の
ほっとした笑顔が
とても素敵でした
明日は
福本莉子さんについて
モデルになった
宮田愛来さんのインタビューを交えて
書かせていただきます
こんにちは!
中井由梨子です。
前3回に渡って、みやしーが市船のマーチングについて書き連ねてくれました!
お疲れ様、みやしー!
市船は、マーチングやコンクールはもちろん素晴らしいのですが、その原動力は、
なんといっても毎年参加している、札幌のヨサコイソーラン祭りへのエネルギーだと思います。
取材を始めて最初に驚いたのがこのヨサコイを踊るということ。
高橋先生は、武田鉄矢さん主演のドラマ「金八先生」でヨサコイを踊るシーンを観てから
吹奏楽部でもヨサコイをやろう!と着想されたそうですが、
本当にそのアイデアに部員全員がついてくる、
というのは、先生の並々ならぬ信念と情熱があったからこそと思います。
取材を始めて間もない頃、高橋先生から2013年のヨサコイ祭りのDVDをお借りしました。大義くんが3年生の時のヨサコイ。
大義くんが大旗を振ったヨサコイです。
DVDには旗を振り回しながら何度も何度も走り回っている大義くんの姿がありました。そして、カメラマンの前でにっこり笑う大義くんのアップ。
演舞、凄いかっこよかったよ、というカメラマンの言葉に
「気持ちいい。もうなんでもできそう!」と満面の大義スマイル。
人たらし、という言葉がぴったりの太陽のような笑顔でした。
映画の中で、なんども検討を重ねて書き直しをしながらも、このヨサコイや大旗を振るシーンをカットしなかったのは、この笑顔があったからです。
大義くんにとってヨサコイの大旗は、間違いなく「市船soul」なんだと思います。
この大義くんのかっこよさは、映画のスクリーンで皆様にドーンとお見せしたい!!
神尾楓珠さんもかなり力を入れて演じてくださったシーンなので、皆さんに見ていただきたいです。
さて、明日は秋山監督にバトンを戻します!
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」助監督チーフを務めました、俳優の宮下涼太です!
本日は昨日お話した、市船吹奏楽部の第34回全日本マーチングコンテストの続編です!
本番前、全国から集まった強豪校が順に音出しを行い、ついに市船の番です。
市船の皆さん、すごいオーラです!
ここで、後輩たちの応援に駆けつけていた市船吹奏楽部OBの小島樹さんに遭遇!
小島さんには「20歳のソウル」に出演していただいただけでなく
神尾さんのピアノ指導を担当していただいたり、本当にお世話になりました。
小島さんから後輩へのメッセージはこちらから
市船の音出しが終わると、我々も市船関係者の皆様と一緒に大阪城ホールへ移動
本番が近づくにつれて我々も緊張感が高まります。
僕はマーチングコンテストを見るのが初めてでした!
記念にパンフレットとバッジを購入!
ものすごい広さの大阪城ホールが、静寂と緊張感に包まれていました。
そんな中、市船のマーチングが始まりました。
みんなの集中した表情
市船の優雅で壮大なマーチング演奏
本当に素晴らしかったです。
何よりみんなが楽しんでマーチング演奏をやっているのが伝わってきて、見ているこちらも笑顔になりました。
演奏終了後のみんなの表情は、緊張感から解放され、笑顔が見られました!
保護者の方々や応援に来た先輩方もほっとした様子でした。
マーチングコンテストの夜、ミーティングにお邪魔させていただきました。
結果は、高橋先生から発表されました。
市船の全日本マーチングコンテストの結果は、銀賞でした。
「結果が全てではない。3年間の部活動を通して一人一人が悩み考えること、そして苦楽を共にした仲間がいるということが大切」
と、高橋先生。
そして、みんなとても素敵な笑顔です!
部長の近藤さんとドラムメジャーを務めた木田さんからお話を伺うことができました。
近藤さん↓
木田さん↓
市船吹奏楽部のマーチング取材を通して
市船の『絆』と逆境にも負けない『強さ』を感じました。
「生徒たちとたくさん思い出を作りたい」
そう話してくださった高橋先生。
昨年のマーチングコンテストも先生と吹奏楽部の皆さんにとって忘れられない思い出になったに違いありません!
本日もご覧いただき、誠にありがとうございました!
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」助監督チーフを務めました、俳優の宮下涼太です。
今日は昨日の内容に引き続き、
全日本マーチングコンテストの時の市船のお話をしたいと思います!
まともに練習時間を確保できないなか
東関東マーチングコンテストで金賞を受賞し、見事全国大会出場を決めた市船!
第34回全日本マーチングコンテストの開催場所は大阪城ホール。
当日の朝、僕は新幹線に乗り、大阪城ホールへ向かいました。
同行してくれたのは、俳優で僕も所属する俳優バンド“東京やんちゃボーイズ”のメンバーでもある橋谷拓玖さん。
映画「20歳のソウル」ではスタイリストアシスタントとして参加し、苦楽をともにした仲間です。
大阪城ホールの近くで待っていると市船吹奏楽部の乗ったバスが到着しました。
「昨日のリハーサルはあまり良くなかったんだけど、今日の午前中は良い練習ができたと思います」と先生からは少し笑顔も見られました。
綺麗な衣装に身を纏い、大阪城ホールへ向かう市船吹奏楽部の皆さん
楽器の準備をしている時も緊張感は漂います。
マーチングでの指揮者、ドラムメジャーを務めた木田さんは先輩方から気合いを入れてもらっていました。
市船吹奏楽部の応援には保護者の皆さんや市船吹奏楽部の先輩方もたくさん来ていました。
こちらは
「私たち保護者も生徒のみんなと一緒に戦っているんです」
と、話してくださった昨年の保護者会会長の横山さん
そして
合宿も含め、後輩たちのマーチング練習を指導した市船吹奏楽部の卒業生の一人である、平柳さん
楽器の用意ができると、各学校が順番に外で音出しを行っていました。
さすが強豪校が集まる全国大会、迫力が違います。
音出しが終了すると、再び本番会場に向かいます。
この続きはまた明日お話しします!
©2022「20歳のソウル」製作委員会