みなさん、こんにちは。
中井由梨子です。
3月8日。
船橋ロータリークラブの皆様に招かれ、講演会をさせていただきました。
このご縁は、映画のスチールとしても入ってくださっていた青木写真館の青木さんからいただいたものです。
青木さんは、市船の目と鼻の先にある写真館として、長年市船の生徒さんを撮り続けてこられました。
もちろん、現役時代の大義くんのことも撮影しています。
そこで、私たちも映画のスチールを青木さんにお願いしたのです。
普段、生徒さんたちの生き生きした顔を撮っていらっしゃる方だからこそ。
そこにも「本物」にこだわる秋山組の精神があります。
ご出席された会員様は70名以上。
皆様、日々地域の活性化に貢献されています。
「20歳のソウル」では、多くのロケを船橋で行っています。
市立船橋高校、通学路、コンサートホール、病院、大義くんの家、ご葬儀の式場…。
すべてが船橋でした。
そして細部にわたって「本物」にこだわりました。
船橋の皆様が、この呼びかけに応えてご協力をくださったからこそ、まるでドキュメンタリーのような骨太な映画が出来上がったといっても過言ではありません。
だからこそ、船橋の魅力あふれる映画になっていると共に、決して「ご当地映画」にとどまらないスケールの大きな世界観に仕上げることができたのだと思います。
この講演会で私がお伝えしたかったことは、「誠意は必ず届く」ということです。
少し前のプロダクションノートでもお伝えしましたが、ロケ地交渉では、秋山組の制作担当、松田好太郎が本当に粘り強く頑張ってくれました。
大義くんの人生を描いたこの物語がなぜ人の心を打つのか、なぜ今、この映画を作らねばならないのか、この映画に溢れる想いを、伝え続けてくれました。
そして、船橋の多くの方々がその気持ちに賛同してくださいました。
今回、お話させていただいたロータリークラブの皆様も、私の話に熱心に耳を傾けてくださり、共感くださいました。
「映画、必ず観ます」
その言葉をたくさんいただきました。
ありがとうございます。
船橋で生まれ育ち、市船を愛した大義くん。
この映画で、故郷に錦を飾ってもらえたらと願います。
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
映画「20歳のソウル」の撮影開始時
当時の市船吹奏楽部の3年生は既に引退していたものの
ヨサコイのシーンなどで協力していただきました。
当時の市船吹奏楽部の3年生であり、部長を務めていたのが
勝部友理さん(ゆっぺさん)です。
市船吹奏楽部は、部長の名前をとって『○○たちの代』と呼んでいます。
友理たちの代が3年生になったばかりの年の4月
コロナの影響により市立船橋高校も休校となり、部活動自粛を余儀なくされていました。
そんな中、
市船吹奏楽部の取り組んでいた、テレワーク企画がありました。
たくさんのテレワーク企画動画が掲載される中に、『応援ソングに挑戦』があります。
こちらには浅野大義さんが作曲した『市船soul』も登場しています!
このような企画が注目され
千葉テレビ放送さんに特集されたそうです!
しかし、その後もコロナの猛威は拡がり続け
部活動の出来ない期間や大会やイベントの中止などいろいろなことがあったと思います。
例年12月に行われている定期演奏会
この年は延期を繰り返しながらも、なんとか3月に開催することが出来ました。
その様子も、再び千葉テレビ放送さんに特集されています。
コロナに翻弄されながら、引退公演となる定期演奏会も延期を繰り返し
本当に大変な1年間だったと思います。
高橋先生のおっしゃる
やり続けることの大切さ
いろいろな思いもあったと思いますが
今できることを一生懸命やろう
そんな市船吹奏楽部の皆さんの前向きな姿に僕もたくさん勇気をもらいました。
定期演奏会から数日後
「20歳のソウル」の撮影がスタートしました。
激動の年を過ごし
つい先日定期演奏会が終わったばかりにも関わらず
そんな様子など一切見せず
いつも明るく元気で素敵な笑顔の友理たちの代の皆さん!
そして部長のゆっぺさんには、
「20歳のソウル」では浅野大義さんを演じた神尾楓珠さんのトロンボーン指導や吹き替えをやって頂いたり
たくさんご協力いただきました。
本当にありがとうございました。
昨年開催された、後輩たちの定期演奏会では
たくさんのお客さんを前に、堂々とした姿で司会進行を務めていたゆっぺさん。
友理たちの代の市船吹奏楽部への熱い思い、魂は後輩たちに確実に引き継がれているはずです!
本日もご覧いただき誠にありがとうございました!
みなさん、こんにちは。
中井由梨子です。
3月6日に行われた初号試写の後、はじめてゆっくりとお母さまの桂子さんとお会いしました。
朝に降っていた雨も上がり、空からは少し光が射していました。
船橋駅前の珈琲店。
しっとりと落ち着いた雰囲気。
16時に待ち合わせして、入店。
介護士のお仕事をしていらっしゃる桂子さん。
夜勤明けにも関わらず、いつも通りの明るい笑顔で来てくださいました。
瑞々しい苺のケーキに胸を躍らせながら、私たちは堰を切ったようにたくさん、たくさんお話しました。
「闘病中のシーンは、意外と冷静でした。経験済みのことですし、やはり現実のほうが辛かったので…映画のシーンを見ている時は、冷静でした」
「それよりも、一番嬉しかったことは、大義がこんなにキラキラとした、すっごく楽しい高校生活を、送っていたんだなって知ることができたことです。それが何より嬉しかった」
目を潤ませながらそうおっしゃいました。
そうです、この映画が一番伝えたいことは、大義くんが20歳で亡くなった、ということではないのです。
大義くんが、20年という月日を、力一杯、生ききった、ということなんです。
決して死を描く映画ではない。
生を描く映画なのです。
「ラストシーンで、大泣きすると思っていました。でも違いました。温かにじんわりと胸にくる感じで、でもだからこそ、心に強く残る」
とにかく、多くの方に見ていただきたい。
桂子さんは強くおっしゃってくださいました。
それは、ご自身の息子さんの人生の物語だから、という理由ではなく、すべての人がみな、一つずつ持っている、そして一つしかない「命」の物語だから。
「もし、この映画を、青年が若くして亡くなる辛い物語、泣ける物語だと思って敬遠する方がいたら、そうじゃなくて、これは希望の物語です。決して辛く悲しいだけの物語ではないと言いたいです。とにかく、みんな見て!って言いたい(笑)」
変わらない明るい笑顔。
そしてとても客観的な目線で、この映画を高く評価してくださいました。
このインタビューの様子は、後日「後編」として、動画で投稿させていただきます。
お店を出たのは20時。
(店員さんに「閉店ですので」と言われて席を立ちました。笑)
話しても話しても、お話が尽きない。
私と桂子さんは、この5年、いつもこんな感じです。
皆さんこんにちは。
「20歳のソウル」チーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
今日は昨日に引き続き、プレミアム初号試写会のお話をします。
初号試写会の開場準備が整うと
我々も入口で皆さんをお出迎えしました。
ご家族の皆さん
高橋先生を始めとする市船吹奏楽部顧問の先生方
愛来さん
そして「20歳のソウル」の原作本の出版社、
幻冬舎の見城徹社長も足を運んでくださいました。
また、キャストの方々や
市船吹奏楽部の卒業生であり、「20歳のソウル」にも出演してくださった
佐藤美咲さんと小島樹さんもご来場くださいました。
初号試写会は
原作・脚本の中井由梨子先生の挨拶でスタートし
上映後は秋山純監督の挨拶で終了しました。
きっと大義さんも観てくれていたと思います。
昨日の初号試写から一夜明けた
秋山監督のブログです。
https://www.akiyanj.com/post/20220307
秋山監督と中井先生のお言葉をお借りします。
「この映画は希望の映画です」
浅野大義さんの映画を
そしてこれからも一生色褪せることのない魂を
どうかたくさんの方々に届けたい
大義さん、ご家族の皆さん、高橋先生、この映画に関わってくださった全ての皆様
心より感謝申し上げます。
「大義くんが自分たちを選んでくれたのだと思います」
と、いつも口にする秋山監督と中井先生。
一人でも多くの方々にこの作品を届けるために
一日一日を大切に
我々も走り続けます。
本日もご覧頂き、誠にありがとうございました。
皆さんこんにちは。
「20歳のソウル』でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
2022年3月6日(日)晴れ
朝起きると、「20歳のソウル」の撮影初日と同じような青空が広がっていました。
テレビをつけると東京マラソンがやっていて
ゴール目指して一生懸命走っている選手の姿が、
公開日に向けて日々進んでいる僕らと少し重なりました。
今日は
「20歳のソウル」
プレミアム初号試写会の当日。
ご家族や高橋先生たちに「20歳のソウル」を初めてお披露目する大切な日。
試写会の会場となる東劇ビルへ。
今日の試写会はこの作品にとって、とても大切な方々へのお届けとなります。
試写会の会場に到着すると、日活の方々が既に準備をしてくださっていました。
素敵な「20歳のソウル」のポスターも飾られ、準備はばっちりです。
静かな試写室
その中に、秋山監督を発見
やはりとても大切な初号試写ということもあり、少し緊張した様子です。
ご家族と一緒に観てもらおうと、もちろん大義さんの席もご用意しました。
「大義くん、コーラ好きだから」
と、監督から大義さんへ差し入れです。
原作・脚本の中井さんも緊張した面持ちで準備を進めていました。
秋山組で一緒のメンバーも揃い
少し打ち合わせをしてから開場。
ここからは明日に続きます。
皆さん、こんにちは。
中井由梨子です。
明日は、初めて大義くんの記事が
朝日新聞に掲載されてから1799日目。
本日、2022年3月6日。映画『20歳のソウル』初号試写が行われます。
場所は築地、松竹本社にある東劇の試写室。
開館は1930年という伝統ある場所です。
やっと。
この世に映画として、産声を上げます。
大義さん。
大義さんのご家族。
高橋健一先生をはじめとした、市船吹奏楽部の先生方に見ていただく日。
お母様が朝日新聞の「声」欄に投書し、記事として取り上げられ、それを秋山監督が見て、私が取材に行きました。
それが2017年の4月。
ちょうど5年前のことです。
取材を続けながら、その年の11月、私は小説に先立って舞台『JASMINE~神様からのおくりもの~』を上演いたしました。
大義くん、恋人の愛来ちゃん、そして親友のヒロアキ。
たった三人の登場人物。
中野の小さな劇場での、ささやかな芝居。
まだ大義くんが亡くなって1年も経っていませんでした。
私たちは稽古場で、舞台で、大義くんの魂を感じ続けていました。
傍にいてくれている感覚がしていました。
会場には大義くんから贈られた青と白の花
客席に溢れた温かい涙。
そして翌年の2018年。
ついに小説という形で小学館さんから単行本が出版されます。
この小説を書くにあたり、一度も大義くんに会っていない私が書くには、あまりに高いハードルで、書くことを何度も躊躇しました。
お母様の目線で書くことも、私がやってはいけない気がしていました。
大義くんを知るたびに
「私が書いてはいけない」
そう思いました。
そんな私の背中を押してくださったのは、大義くんのお母さまの桂子さんの笑顔と、ご家族の温かさ、そして高橋健一先生と市船吹奏楽部の清々しい“市船魂”でした。
「中井の思う通りに書いてみろ」
高橋先生は、何度もそう言ってくださいました。
一章、一章、少しずつ進みました。
途中で「大義くん、もう分からないよ。助けて」そう言って投げ出したくなったこともあります。
けれどやめずに最後まで書ききることができたのは、皆さんの温かさがあったからです。
2021年1月26日。
秋山監督と私は
一本の電話を受けとりました。
幻冬舎の見城徹社長です。
(見城社長の755より)
「20歳のソウル」文庫版。
夢が目の前に現れた瞬間でした。
幻冬舎の皆様の誠意あるご尽力で、このお話からたった4ヶ月後の5月26日。
高橋健一先生の「後書き」をいただき、新しい姿で大義くんが世の中に出ていきました。
この文庫で、大義くんを知ってくださった方も数多くいらっしゃることでしょう。この本を愛して、日々お力添えをくださる幻冬舎の皆様に感謝は尽きません。
そしてコロナ旋風が吹き荒れていた2021年の春に、映画の撮影は敢行されました。奇跡的に、一度もコロナ感染者を出すことなく、予定から遅れることもなく、撮り漏れることもなく。
すべてのシーンを美しく、カメラに収めることができました。
大義くんと秋山組、そして市船をはじめご協力頂いたすべての皆さんの成せた神業でした。
舞台。
小学館さんからの単行本。
幻冬舎さんからの文庫本。
そして、今回ついに生まれる映画「20歳のソウル」。
すべての瞬間瞬間で手を差し伸べ、助けていただいた、たくさんの方々に心からの感謝を伝えたい。それがこの「映画」として伝えることができたなら。
本を出版してから、たくさんの方に言われました。
「どうして中井さんがこの話を書くことになったのですか?」
なんと言っていいのか分かりません。成り行き?巡り合わせ?
「船橋のご出身なんですか?」
「吹奏楽部だったんですか?」
どれも、違います。
本当に、どうして私が大義くんの話を書かせていただくことになったのでしょう。
なんのために私と大義くんが出会ったのか、今日、答えが分かる気がします。
映画を観た感想というものは、一人一人違うものです。
ですから「こう思ってほしい」という考えを押しつけることはできない。
けれど、確実に伝えたいことはあります。
今、なぜ大義君の物語を世の中に出さなければならないのか。
今日という、なんでもない一日を、生ききる。
それが一番尊いこと。
そして、一番幸せなこと。
神様の、命という贈り物なのだと。
全世界の皆様に、大義くんからのメッセージを伝えたい。
一人の人間が、その人生を精一杯生きること、生ききること、そしてそれを互いに支え合うことが「愛」なのだと。
当たり前の今日が、明日も続きますように。
平和な日々を心の底から祈りながら、新しい命が生まれる、今日の瞬間を待ちます。
大義くんの、もう一つの人生の始まりとなることを願うから。
そしてそれは、私たちすべての人間が、死んでなお続く魂を持っていることを、この映画は思い出させてくれるはずだから。
この映画に秋山監督が託した想いが、世界中に届くことを祈って。
「この映画は、希望の映画です」
20歳のソウル
監督の秋山です
いよいよ
3月6日に
20歳のソウル
初号試写会が開かれます
コロナ禍の中であり
人数が限定された中の開催
お集まりいただける皆様
開催にご尽力いただいた皆様
ありがとうございました
ついに
大義くんの生きた証が
スクリーンに流れます
大義くんの
ご家族の皆様や
高橋健一先生
そして
お世話になった
皆様に
見ていただける日が
すぐ目の前です
大義くん
お待たせしました
一緒に
映画を見てください
20歳のソウル
監督の秋山です
大義くんの
高校時代の友人
洋一を演じているのが
若林時英くん
市船吹奏楽部の
ユーフォニウム奏者として
神尾楓珠くん
佐野晶哉くん
前田航基くんと
仲良し四人組として
確かな存在感を示してくれました
初めて触れるという
ユーフォニウムの練習に
3ヶ月間
ヤマハのスタジオに通い
難しい楽器を
自分のものとした
ど根性男です
現場でも
よく話す機会があったのですが
若い頃(今も若いですが)
かなり
やんちゃだったそうで
雪駄を履いて大事なパーティーに行って
大目玉を食らった話など
なんだか
若い頃の自分を見ているようで…
時英くんが
お世話になった人として
高橋努くんの名前が出てきたり
(ドラマ、「陽はまた昇る」で、佐藤浩市さん演じる警察学校教官の下、チームをまとめる教場長の役で、僕もお世話になりました。面倒見がよくて、最高の男、俳優です)
不思議な縁を感じました
実は
人一倍真面目なところにも
会った時から気づいていました
自分の撮影が無い日でも
現場にやって来ては
録音部の戸部さんの後ろに座り
目立たないように注意して
佐藤浩市さんや
尾野真千子さんの芝居を見学
クランクアップのロケとなった
164人による
告別式での市船ソウル
演奏シーン
前日にも
ヤマハに通い
ユーフォニウムの稽古をしたそうです
時英くんの
日々の努力は
映画にきちんと
刻み込まれたと思います
おっちょこちょいで
優しくて
涙もろくて
熱い男
洋一は
時英くんにしか
演じられない
素敵な男でした
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
今日は、市船吹奏楽部が演奏した出前コンサートについてのお話をしたいと思います!
授業の一環として行われた出前コンサート
場所は船橋市立三咲小学校
浅野大義さんの母校です!
市船吹奏楽部の保護者の方が三咲小学校の先生だったこと
三咲小学校が大義さんの母校であったことなど
色々なご縁で実現した出前コンサート
よくよくお話を聞いてみると
高橋先生と校長先生も古くからの友人なんだとか!
ご縁というのはどこで繋がるかわからないものですね。
これは、是非我々もお伺いしたいと
秋山組のスタッフもお邪魔させていただきました!
閑静な住宅街にある三咲小学校
児童の皆さんはとても元気よく挨拶してくれます!
(写真:大義さんのご家族と中井さん)
出前コンサートを行う体育館に着くとステージ上にはこんなに大きくて素敵な看板が!
そしていつも我々が大変お世話になっている
市船吹奏楽部の保護者の皆さんにもお会いすることができました!
児童の皆さんが集まり、出前コンサートがスタート!
三咲小学校の大先輩である浅野大義さんが作曲した
『市船soul』も三咲小学校の皆さんに初お披露目されました!
出前コンサートでは楽器を使った演奏だけではなく
大迫力のヨサコイや
替え歌アレンジを取り入れた合唱など面白い楽曲が盛沢山!
学校の先生方や児童の皆さん笑顔で
市船吹奏楽部のコンサートをとても楽しんでいる様子でした!
また高橋先生が大義さんのお話をされている時も
皆さん真剣に耳を傾けていました。
授業の一環として、今回のような取り組みがされていることが
とても素敵だなと感じました。
最後、監督と中井さんから「20歳のソウル」のお話が終わると
三咲小学校の皆さんから花束のプレゼントが!
温かい雰囲気の中、幕を閉じた市船吹奏楽部の出前コンサート!
市船吹奏楽部のパフォーマンスを観て、吹奏楽ってこんなに楽しいアレンジができるんだと初めて知りました!
僕たち秋山組のメンバーも本当に素敵な時間を三咲小学校の皆さんと共有させてもらいました!
本当にありがとうございました。
本日もご覧いただき誠にありがとうございました!
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です!
今回はロケ地となった、音楽ホールについてお話しようと思います。
「20歳のソウル」において
コンクール・定期演奏会のシーンは、音楽ホールを使用しました。
これらのシーンは多くのエキストラの方々にご協力を頂いたシーンで
映画の見所の一つとなっています。
当初、コンクール・定期演奏会のシーンはいずれも、船橋市民文化ホールで撮影予定でした。
船橋市民文化ホールでのコンクールのシーンは当初の予定通り撮影が進み、とても素敵なシーンとなりました。
しかし、
コンクールのシーンは、船橋市民文化ホールで撮影が出来たものの
定期演奏会のシーンは
コンクールのシーンと同じ会場を使用することが懸念されたことや
コロナの状況などを考え日程の変更が必要でした。
なんとか予定撮影期間内にロケをするべく手を尽くしたところ
撮影期間と俳優のスケジュールが奇跡的に合致した一日がありました。
しかも場所は千葉県文化会館。
『千葉県文化会館は吹奏楽の聖地』
という言葉を高橋先生から伺っていた制作の松田さんは
なんとか成立させたいと考えました。
しかし撮影目前の調整となってしまいます。
監督に相談したところ、監督も松田さんと同じ思いをお持ちでした。
結果、
定期演奏会のシーンは千葉県文化会館で撮影することが決まりました。
しかし撮影の日は目の前で
コロナに最大の注意をしながら500人以上のエキストラを集めなくてはいけません。
市船吹奏楽部の保護者会の方々や関係者の皆様のご協力もあり、
約150人が集まって頂けることとなっていました。
しかし、まだ倍以上のエキストラが必要でした。
何とか撮影を成立させたい松田さんは
四方八方に手を尽くしたそうです。
そして
松田さんがお付き合いのあった『よさこい柏紅塾』の代表にお話ししたところ、
高橋先生ともご縁のある千葉よさこい連絡協議会
『CHIよREN北天魁(ちよれんほくてんかい)』の方々をご紹介いただきました。
松田さんが直接相談に行き
この映画にかけるみんなの想いをお伝えすると
「なんとかできることをします!」
とおっしゃってくださいました。
そして、千葉県文化会館の撮影当日
『CHIよREN北天魁』からは関係者の方々も含め、延べ250人以上の方々が参加してくださり
最終的には、計500人以上もの方々が集まってくださいました。
市船吹奏楽部関係者の方々、『CHIよREN北天魁』の方々、
たくさんの方々のご協力のおかげで
定期演奏会のシーンも本当に壮大なシーンとなりました。
本当にありがとうございました。
たくさんの想いが詰まった音楽ホールのシーン、
是非ご注目ください!
本日もご覧いただき誠にありがとうございました!
©2022「20歳のソウル」製作委員会