『20歳のソウル』Production Notes

2022.06.15
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「誰も知らない取材ノート ~市船の象徴・斗真に出会うまで~」第七回

皆さん、こんにちは。
中井由梨子です。

全国公開が始まって三週間。
たくさんの方々に御覧いただき、本当に感謝しています。今週で上映終了となってしまう映画館もあるそうですが、まだまだ上映を続けてくださる会館もたくさんあります!
「もう終わっちゃうの?」「もったいない!」というお声をSNSで目にするたびに胸が熱くなります。ただ、私達は100年残る映画を作ったつもりです。一過性のものではなく、永く多くの方々の心で燃え続ける炎となれるように、これからも変わらずPRを続けます。
引き続きよろしくお願いいたします!


さて、今日は連載七回目。
当時、高橋健一先生が毎日のように書かれていた blog から、大義くんが亡くなった頃に書き綴られてた言葉を掲載させていただきます。この頃の先生のお言葉が、映画の脚本やクライマックスへの根幹となっているように思います。

※※※

翌日、私は前日の取材をノートにまとめていました。前日の先生との面会は、取材と言いながら、お会いしてお話をすることが精一杯で、録音もしていなければメモも取っていませんでした。記憶が鮮明なうちに、先生との会話、先生の表情や言葉に込められた思いをまとめて書いておかなければと文章に書き綴りました。
先生は「ブログを書いているから見てください」と仰っていました。私は一通り取材をまとめ終えると、先生のブログをインターネットで検索しました。ブログのタイトルは『顧問の勝手な言い分。―市立船橋高校吹奏楽部顧問、高橋健一の勝手気ままに書き綴る考察日記―』というもの。前日お会いした先生のお人柄と、この『勝手な言い分』というタイトルが妙にしっくりきました。

【2016 年 12 月 26 日】
『待っているぞ』
昨年の9月。白子にて私たちはマーチング強化合宿中。本校吹奏楽部卒業生二十歳の彼は、その合宿に遊びに来ていた。すこぶる元気。いつものように冗談を言い合っていた。その1週間後、止まることのない咳に異変を感じ病院へ。
胚細胞腫瘍と診断される。いわゆる癌である。
見つかった時点で、縦隔、肺、肝臓に転移していた。10月より抗ガン剤治療が始まる。酷い副作用に苦しみながらも腫瘍を小さくすることに成功し、年明けに腫瘍摘出手術をする。
無事摘出。
しかし、治ったと喜んだのも束の間。翌年、つまり今年の5月。腫瘍が脳に転移していたことが発覚。今度は脳の手術。頭を切ることとなる。手術後、確実に腫瘍を潰す為に再び抗ガン剤治療を開始。その副作用の苦しみは想像を絶するものだったと彼は言っていた。もう二度と味わいたくないと言っていた。
脳の腫瘍は完全に消えた。
と思ったその三ヶ月後の8月、消えたはずの脳の同じ場所に腫瘍が再発。二度目の手術となる。手術後、抗ガン剤は脳に届きにくいということで、今度は放射線治療をすることとなる。
2回目の脳の手術は、かなり危険な手術だったという。もうこれで治ったであろうと退院し、市船にも遊びに来てくれた。抗ガン剤の影響で髪の毛はなかったが、元気であった。
しかし今月、骨髄への転移、肺に再び転移していることがわかる。緊急を要するということで、骨髄に抗ガン剤を直接注射する。現在経過観察中である。年明けに肺の手術をする予定である。
私の教え子である。
この市船吹奏楽部を卒業した教え子である。音楽が大好きで、音楽大学の作曲家に進んだ。
彼の苦悩は、私にはわからない。私の前ではいつも明るく振る舞っている。常に前向きな姿勢を見せてくれる。しかし、人知れず恐怖と孤独と闘っているに違いない。その暗闇は私にはわからない。寄り添おうといつも思っているが、あまりに闇が深過ぎて、簡単に寄り添えるものではない。私は彼の弱音を聞いたことがない。一度もない。反対に私が勇気付けられる。いつもそうだ。
彼は癌と上手に付き合いながら、生きていきます。と言っていた。実際にそうしている。
私は祈ることしか出来ない。が、彼は癌と上手に付き合いながら、必ず社会復帰すると信じている。そして、人の感情を揺さぶる曲を作ると信じている。
待っているぞ。
私も負けぬくらい頑張る。

【2016 年 1 月 20 日】
『浅野大義』
1月12日の夜、浅野大義くんが亡くなった。
亡くなられた直後、会いに行ったが、それでもまだ信じられなかった。現実として考えられなかった。
今でも実感が湧かない。
(中略)
大義が旗を降る姿は鮮やかに私の目に焼きついている。
とにかく優しい。
困っている人を放っておけない。合同合宿で知り合った長野県の高校にまで応援へと駆けつけるような男だった。
大義を慕う人は多い。
癌になってからは周囲に心配をかけまいとしていた。特に昨年の12月入院した時、癌の痛みは想像を越えるものであったであろうに、それでも自分のことより人の心配をしていた。
(中略)
明日が、もう今日だ、今日がお通夜。明日土曜日が告別式。
大義が作曲した運動部応援曲「市船ソウル」は未来永劫野球場で、サッカー競技場で流れ続けるだろう。
人間は二度死ぬという。
一度目は死そのもの。二度目は人々から忘れ去られた時。
運動部応援曲「市船ソウル」は浅野大義そのもの。忘れずに語り継いでほしい。
浅野大義は死なない。
私たちの心に生き続ける。

【2017 年 1 月 22 日】
『暖かな葬儀』
1月21日。
浅野大義君の告別式。
式場の方の数々のご配慮。
最高の形で大義を送り出すことが出来ました。特に式場の木村さんには心より感謝しております。ありがとうございました。浅野大義という20歳の若者がどれだけ多くの人に愛されているかを噛み締めた1日でした。浅野大義が、これほどまで人々に愛される理由。それは、自分を後回しにして人を思いやって生きて来たから。

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「浅野大義が、これほどまで人々に愛される理由。それは、自分を後回しにして人を思いやって生きて来たから」
私はしばらくの間、先生のこの文章を見つめていました。自分を後回しにして人を思いやることができた優しい青年。生きていた時間、彼が人に捧げた時間は人生最後のセレモニーの時に、皆から返ってきた。そんな考えが浮かびました。
私はもう一度、朝日新聞の記事を検索しました。告別式の動画をもう一度再生して見てみました。皆が奏でる『市船soul』は、最初に聞いた時よりも悲しい音に聞こえました。演奏者たちが泣いているから音も泣いているのだと思いました。その涙が、先生の仰るような浄化となり、悲しみが祈りへと変わっていったのでしょう。本来、葬儀とはそうあるべきなのだと改めて思いました。悲しみよりも強いのは祈り。私たち全員がいずれ必ず死ぬからこそ、送り出す者に必要なのは希望に向かうための願いなのだと。大義くんは、最後まで周囲に明るい光のようなものを届けていったのだなあと漠然と感じました。
この一月、高橋先生は折に触れて大義くんのことを書いていらっしゃいます。先生が大義くんの死の意味を、心と体でじんわりと受け止めていかれている様子が伺われます。

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【2017 年 1 月 24 日】
『浅野大義は大忙し!!』
「忙」という漢字。
りっしんべんです。りっしんべんは「心」という意味です。
私は折にふれ、生徒へ「忙しい」の「忙」の字は「心を亡くす」と書く。と言って来ました。だから、みんな、忙しい時こそ心を大切にしようね、と。心を亡くすことは怖い。忙しさのせいにするのは、やめようね、と。
今回、大義が亡くなり、別な意味を思いました。
「亡くなった方は忙しい。」です。
きっと、これから沢山の方々が、何かある度に大義に話しかけると思います。
「大義、守ってね。」
「大義、助けて。」
「大義、いつもありがとう。」
願いを伝えたり、祈ったり、感謝をしたり、実に多くの人たちが日常の中で大義に話しかける。
それをいちいち聞く大義は大忙し!!
大義は、みんなの思いを聞きながら、みんなの中で生きていく。きっと誠意を持ち、丁寧に聞いてくれる。既に私は、もう大義、力を貸してくれと頼んでしまった!
「忙」という漢字は、
「亡くなられた方が皆の心のすぐ横に寄り添い、その気持ちに応えるから、忙しくなる。」
と別な意味を思いつきました。
ちなみに
「忘」という漢字。
心が下になり、亡くなられた方を思い出すことさえ消えてしまう。願いごともしなければ、祈ることもない。すっかり自分の心から消えてしまった状態。だから、忘れてしまう。
大義の場合、そんなことはありませんが。
大義は大忙しだと思います。そして、大義のことだから、一つ一つ誠実に応えてくれていると思います。こりゃ大変だ。本当に大義は大忙しだー!顔晴れ大義!!
亡くなった後も忙しくしていられるか。つまり、それは亡くなった後も必要とされているか、それとも亡くなった後はヒマになるか。つまり、それは必要とされていないか。
それは今生きているこの瞬間、瞬間をどう生きているかにつながっていると、改めて大義に教えてもらいました。
ありがとう。

***

亡くなった後も必要とされるかどうか、人間の価値はそこで決まると、私も思います。生きている間に持っていた物質的なものは何一つ残りません。その人が生きていた証は、物ではなくて、残された人の心の中にいつまでも忘れずに、自分が存在し続けることなのです。
そのことを、まさに先生も書いていらっしゃる記事があります。

【2017 年 1 月 28 日】
『自分の価値』
大義の告別式。
あの時、誰もが自分自身のことを考えたに違いない。自分が亡くなった時、どれだけの人たちが本当の涙を流してくれるのかと。
本当の涙 = 人の為に生きたか
と大義は教えてくれました。
とてもとても大切なことを教えてくれました。
人から愛されたいのなら、
人を愛するのだと。
人に求めるのではなく、与えるのだと。
教えてくれました。
死んだ時に自分の本当の価値がわかります。
自分の生き方が問われます。

 

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ただいま、絶賛上映中「20 歳のソウル」引き続き劇場でお待ちしております!

 

※中井由梨子が『20 歳のソウル』を書くにあたり取材した記録。当時の様子が鮮明に書かれています。取材ノートのため『20 歳のソウル』に登場する人物以外の実名は伏せてあります。

©2022「20歳のソウル」製作委員会