20歳のソウル
監督の秋山です
昨日の続きです
船橋市民ホールの撮影中に
お母様が亡くなり
福島まで車を飛ばした高橋健一先生
3日後の
野球場ロケ前夜に帰京して
朝一には
スタンドにいらっしゃいました
印象的な雲が空に出た日でした
先生からいただいた言葉です
「私は生まれた時から、この歳になるまで
母に守られ生かされて来たことを
痛感しております
これからは
お空から見守ってくれていると思います」
野球場のロケは
以前
みやしーが連載したように
とても過酷な撮影でした
俳優部に加え
市船吹奏楽部
市船ダンス部
市船野球部OBや野球部役の大学生
卒業生の皆様
保護者の皆様
ボランティアエキストラの皆様
700人を超える大所帯でした
スケジュール
最初は3日で考えていましたが
コロナのリスクを考え
全シーンを
1日で撮り切ることを決断
幸いにも
晴天に恵まれ
我々は
まさに我を忘れて撮り続けました
その日の写真をご覧ください
高橋健一先生は
一枚も写真に写っていません
先生は
スタンドの一番上に陣取り
ロケが潤滑に進むように
吹奏楽部だけでなく
市船関係
全ての生徒たちに
指示を出して下さっていたのです
市船ソウルが演奏される時
スタンドでは
市船独特の
応援の動きがあります
吹奏楽部の演奏だけでなく
演奏にからむ何もかもについて
高橋健一先生は
スタンドの一番上から
的確に指示を出し
先生の力をお借りして初めて
我々は
リアルな応援シーンを
撮影することが出来たのです
ロケも終盤に差し掛かり
太陽が
今にも沈もうとする中
カメラ班は
グラウンドでスコアボードなどの撮影を続け
スタンドでは
俳優部と、吹奏楽部の皆さんの
声録りが続いていました
その時
高橋健一先生が
みやしーに言ったそうです
「みやしー、俳優部に一旦待ってもらい、先に生徒たちの声を録ってくれ」
すっかり辺りは暮れていました
真夏のような日差しは
いつしか無くなり
まだ、肌寒い三月終わり
真夏の設定のため
生徒たちの服装は
半袖半ズボンでした
僕らは
撮り切ることに必死で
待って下さっている
皆さんの服装まで
気が行き届いていなかったのです
いつも
冷静に温かく
生徒たちを思いやる
高橋健一先生
吹奏楽部やダンス部の
声を録り
待ってもらった俳優部の声を録り
無事に
3日分を撮り切りました
先生は
さわやかな笑顔で
球場を後にしました
全てが終わったとき
陽は沈み
真っ暗になっていました
完成した
20歳のソウル
野球場シーンは
臨場感あふれる
迫力満点のシーンとなりました
そのシーンを見るたび
福島から
とんぼ返りして
ロケに立ち会って下さった
高橋健一先生のことを
思います
先生
ありがとうございました
©2022「20歳のソウル」製作委員会