20歳のソウル
監督の秋山です
20歳のソウルは
ちょうど一年前の
3月19日
大義くんの誕生日に
クランクインをしました
クランクイン時点では
まだ
緊急事態宣言が
発令されていたこともあり
(2日後に解除)
感染対策を徹底的に講じて
ロケを行いました
エキストラや学生の皆さんに
参加していただくロケ
学校内のロケは
解除後としたため
まず
ロケセット「浅野家」での
撮影で
クランクインすることに決めました
この
大義くんの部屋や
浅野家リビング
装飾(飾り)には
リアルな大義くんの持ち物や
楽譜、ノート、ポスター、写真など
宝物のような物たちを
お借りしました
室内のシーンでもあり
天候に関わらず撮影をしたい
また
貴重な物を飾るため
リスクを避けて
出来ることなら
物の移動を最小限にしたい
一か月飾りっぱなしにしたい
市船からの距離も
出来れば近く
ハードルが高い
ロケセット
探し続けていた場所は
まさかとしか言えない
身近なところにありました
「市船から近い、一軒家で、
一階リビングにピアノを置けて
二階に、大義くんの部屋を飾れる場所
階段から廊下の芝居もあり
メイク場所、待機場所も近くにあり
密にならない撮影が可能
雨降らしや、暗幕処理が可能」
ロケをしたことがある方なら
この条件が
どれだけシビアか
わかると思います
そんなロケセットあるわけない?
あったのです
探し続けていた
ロケハンの日々
記録(スクリプター)として参加してくれていた
俳優の吉木遼が
言いました
吉木遼は
2014年、藤井道人監督・島田荘司原作『幻肢』で主演デビューした俳優です
「僕の実家
一軒家で
いま親が二人で住んでいて
千葉にありますが
一階リビングにYAMAHAのピアノがあって
二階の僕の部屋は空いてますよ」
まさか??
「遼くん、すぐに動画撮影してきて」
その夜
遼くんから送られて来た動画を見て
我々はひっくり返りました
「まさか…浅野家とそっくりだ…」
20歳のソウル
たくさんのミラクルがありましたが
浅野家ロケセットが見つかった時も
みんなで
神様に感謝した
ミラクルの瞬間でした
ロケハンの様子です
遼くんのお父様、お母様
ありがとうございました
↓
明日に続きます
皆さん、こんにちは。
中井由梨子です。
18日に予告編解禁と共に、数々のテレビ番組で映画について取り上げていただいた録画を拝見しました。
大義くんの物語が、いよいよ広く皆さんにお伝えできる喜びと、きちんとした形でお届けしなければ、という責任を改めて感じました。
公開日の5月27日まで、一日一日大切に過ごしていきたいと思います。
さて、昨日は大義くんのお誕生日ということで、大義くんに会いに行きました。
大義くんのお母様の桂子さん、秋山純監督、ユッコ役の佐藤美咲さん、助監督チーフの宮下涼太くん、記録係だった吉木遼くん。
コアなメンバーで、とてもアットホームなお参りでした。
雨予報の空は、青空。
温かな春の風が吹いていて、心軽く出かけることができました。
コーラを7本購入。
今日は、大義くんと映画の完成を祝って乾杯したかったのです。
一年前の3月19日。
映画「20歳のソウル」はクランクインしました。
少数精鋭がポリシーの秋山組。
俳優がスタッフを兼任する全員野球スタイル。
コロナ禍での大規模ロケ。
毎日、毎日が喜びと驚き、苦しさと葛藤、不安と緊張に溢れて、眠れない日々。
1シーン、1シーン、ギリギリの準備に駆けまわりながら、必死で、心を込めて撮りました。
この映画が他の映画と大きく違っている点は、きっとこの制作過程にあると思います。
御覧いただければ「普通と違う」感じが良くお分かりいただけると思います。
予告編でも垣間見えるかもしれませんが、限りなくドキュメンタリーに近い映像です。
それは本当に市船で、本物の音楽室で、大義くんが実際に立った舞台で、映画を撮らせていただいたおかげかもしれません。
市船吹奏楽部の現役生が出演しているからかもしれません。
多くのロケを船橋で行ったからかもしれません。
けれど何よりも大きいのは、この映画に携わったすべての方々の心に、大義くんへの敬意と愛情があるからだと私は思っています。
それは、自分に与えられた過酷な試練に果敢に立ち向かい、人に優しくすることを忘れず、感謝を忘れず、精一杯生きたことへの敬意だと思います。
この映画に携わったすべての皆さんは、大義くんとの縁があって繋がっている。
今、このプロダクションノートを読んでくださっている貴方とも縁があり、
そしてこれから、この映画を通して出会ってくださる皆様も、何か縁があって繋がっているのだと思います。
この縁の輪を広げていくこと。それがこれからの私たちの仕事です。
大義くん、まだまだ見守っていてくださいね。
みなさん、こんにちは。
中井由梨子です。
映画の予告編が公開され、本ポスターが完成いたしました。
これから映画の本編映像やポスターをネット上や街中で、テレビで、劇場で、皆様に御覧いただく機会が増えていくと思います。
5月27日の公開に向けて、皆様と共にカウントダウンをしていきたい。
どうぞよろしくお願いいたします。
さて、今日3月19日は。
319、ミュージックの日。
浅野大義さんのお誕生日です。
大義くんと知り合ってから、ご命日やお誕生日、何か節目の日には大義くんのお墓参りや、ご仏壇にご挨拶に行かせていただいておりますが、今年は特に、思いを込めてお参りに行きます。
※※※
中井由梨子「誰も知らない取材ノート」より
この取材の期間中、私は何度も二和向台へと足を運びました。
駅前の忠義さんのお宅で桂子さんや忠義さんとお話するのが常でしたが、そこから歩いて十分ほどのところにあるご自宅までも、お邪魔したことがあります。
大義くんのお部屋に入らせていただくと、部屋の奥の机に鎮座する八十八鍵のキーボードが目に入ります。
机には音楽論やスコアが何冊も並び、壁には賞状やコンサートのポスターが所狭しと貼られています。
そして、机の裏にスプレーで書かれた『市船』の文字。大義くんがいかに市船を愛していたかが分かります。
(※こちらは大義さんの大切なものをお借りして飾ったロケセットの写真です。)
大義くんにとっては「なんとなく」入った市船でしたが、大義くんはすぐに高橋先生のカリスマ性に魅了されたようです。
先生の言葉や指導に影響を受け、先生の筆跡の真似をして毛筆を使うようになったのもその一つでしょう。
365日のうち355日を部活で過ごした大義くんは、ほとんど家にはいませんでした。
「この頃のことは、私より市船の子たちのほうがよく知っていると思います」
(お母様の)桂子さんはそう仰いました。
それでも数々の大会やコンクール、YOSAKOIなども必ず応援へ行かれたそうです。
一年生の頃は高橋先生に「下手っぴ」と酷評されたトロンボーンの腕前はみるみるうちに上がり、三年の時には「上手いな…」と先生を唸らせるほどに上達していきました。同期のYさんは、きっと大義くんの腕が伸びたのは、下級生の頃から人数合わせのためにコンクールメンバーに入ったことで、先輩たちの中で練習を重ねて上手くなったのではと話してくれました。それに高橋先生はそう簡単には褒めません。大好きな先生に認めてもらいたくて、時間を忘れて練習していたのではないでしょうか。同期だったAくんは「大義は練習が大好きだった、ずっと楽しそうに吹いてた」と回想します。
大義くんを回想する時に、みんなが共通して出てくる言葉が「笑っていた」「楽しそう」というもの。
歯を食いしばって根性を見せた…というより、クールにカッコつけながら人知れず努力していた、という大義くん像が浮かび上がってきます。
桂子さんはご自身のスマートフォンで録画した動画を見せてくださいました。
それは大義くんが高校を卒業した直後、市船の仲間たちと船橋市文化会館でトロンボーンのミニコンサートを開催した時のものでした。
NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』のテーマソングを、仲間たちと一緒にノリノリで吹く姿が写っていました。
高橋先生に「吹くときは体を動かすな」と再三言われていたそうなのですが、そこに記録された大義くんは思いっきり身体をスウィングさせながら吹いています。
この『あまちゃん』のオープニングテーマが大好きだったという大義くん。
大好きな曲を大好きな仲間たちと吹くことができる喜び、それを聴いてくれる人がいるという喜びを全身で表していました。
「大義がトロンボーンを吹く姿、私、大好きだったんです」
桂子さんは少し照れたように仰いました。
私は頷きました。かっこつけ、ではなく本当にかっこいい姿がそこにありました。
※※※
この映像を見るたびに、もし、私が大義くんに出会っていたら、と想像します。
きっと…、気が合っていたと思います(笑)
自分の舞台で使用する楽曲を依頼したりして、共に創作活動を行っていたかもしれません。
何より、桂子さんと私の関係がそうであるように、話し始めたら止まらず、ずっと笑いあっているような気もします。
そんなことを考えながら、今日も大好きなコーラを持って、大義くんに会いに行きたいと思います。
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
今日は昨日までに引き続き野球場シーンの裏側について、ついに最終回です!!
撮影当日と撮影後のお話について、一部松谷さんのインタビューを含めてお伝えします。
野球場シーンは迫力満点です!
広いグラウンドでプレーをする野球部の選手、
客席では応援する野球部員、吹奏楽部、そしてたくさんの観客がいます。
なんとこの日の撮影のために、実際の市船ダンス部も駆けつけてくださいました!
迫力満点の野球応援シーンは、まさに市船の応援そのものです!
この日の撮影のために用意されたカメラの台数は・・・
なんと8台!!!
普段から常時4カメを使用する秋山組ですが、
この日は限られた時間内で大掛かりな撮影ということで、
いつもの倍の数を用意して挑みました!
ついに撮影開始!
監督、助監督の僕と伊藤さんはスタンドで撮影準備を、
グラウンドではユニフォームを着た松谷さんが仕切りを、
大人数の撮影に最少人数のスタッフ
さばききれない部分はスタイリスト助手の橋谷さん、記録の吉木さん、制作部の方や原作者の中井さんがカバーをしてくれました。
(左:秋山監督/右:吉木さん)
(橋谷さん)
(左:伊藤さん/右:中井さん)
当日のグラウンドでの様子を松谷さんに伺ってみました。
宮下
「グラウンドの様子はどうだった?」
松谷
「グラウンドは熱気にあふれてましたね!
ベンチは “声出そうぜー!”って自然と盛り上げくれて。」
宮下
「そうだったんだ!
あと今回はかなり計算された演出プランだったよね。
撮影の時間内にうまくいくか不安だと言っていたけど、当日どうだった?」
松谷
「そうですね。
監督からすごく細かい演出プランを頂いていたので、みんなに事前に説明して撮影に臨みました。」
細かい演出プランでプレーを連続して続けるのは、とても難しいことです。
そこでなんと奇跡的なことが起こりました。
プレーが想像以上に連続して進み、監督はカットをかけずにプレーが進むのを見守っていると、長いシーンでカットがかからずに、細かい演出プラン通りうまくいったんです!
あれは本当にびっくりしました!」
宮下
「あの時はスタンドも本当に盛り上がったよ!」
松谷
「グラウンドから聞いていて、スタンドの応援がすごかったですもん!
そのおかげでプレーする選手もさらに盛り上がったんだと思います!」
撮影が終わったときはすっかり日が暮れていました。
グラウンドで大きな声で指示を出していた松谷さんの声はがらがら。
そして今回参加してくださったエキストラの皆さん一人一人に御礼を伝えながら、
20歳のソウルTシャツを配る中井さん、プロデューサーの松本さん、佐藤浩市さんのチーフマネージャーの笹野さんの姿が。
その中には今回スタッフが不足していると聞き、応援に駆けつけてくれた南翔太さん(僕が所属する東京やんちゃボーイズのリーダー)の姿もありました。
激動の1日を一緒に戦ってくれた南さんにも秋山監督から市船ジャージをプレゼント。
青ジャの3人でパシャリ!
(左:吉木さん/中央:松田さん/右:南さん)
秋山組の現場は全員野球!
それぞれが足りない部分をみんなで補い合います。
野球場シーンの撮影もまさにその全員野球で、
難しいと思われた撮影を乗り切りました!
野球場シーンの撮影時は、夕方は寒さの残る季節でした。
そんな中、吹奏楽部の皆さんやダンス部の皆さんには、真夏の野球応援の格好で長時間の撮影にご協力いただきました。
観客として参加してくださった皆さんは、実際の市船タオルや応援グッズをご持参いただきました。
野球部員として参加してくださった皆さんやご紹介頂いた方々。
本当にたくさんの方々のご協力なくしては撮影は成り立ちませんでした。
誠に感謝申し上げます。
撮影の翌日、お借りしたユニフォームの手洗いをしたのですが、原作の中井さんと、そして市船吹奏楽部の皆さんが手伝ってくださいました。
誠にありがとうございました。
野球場シーンはキャスト、スタッフ、ご協力頂いた皆さんの思いが奇跡を生んだ熱いシーンとなっております!
是非、劇場でご覧になってください!
本日もご覧いただき誠にありがとうございました!
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
昨日は野球場シーンでの野球部の選手や観客の方々に
どのように集まって頂いたのかをお話しました。
たくさんの方々にご協力いただき、なんとか準備は整いました。
さあ、ついに野球場シーンの撮影当日!
今日そして明日は撮影がどのように進んでいったのか、
引き続き松谷さんとお話ししていこうと思います!
宮下
「今日は野球場シーンの撮影当日の話を聞かせてください!」
松谷
「野球場シーンを撮影する数日前に、監督からプレーに関する演出プランがスタッフに渡されていました。
それを事前にチェックしていて、当日は行きの車の中で監督や演出部のスタッフと打ち合わせをしてから撮影に臨みましたね。」
宮下
「そうだったね。
野球の演出プランは、見ても全くイメージがわかなかったんだよね(汗)」
松谷
「自分は野球をずっとやっていたので理解することはできました。
ただ、かなり計算された演出プランだったので、撮影の時間内にうまくいくかなという不安は少しだけありましたね。」
宮下
「やっぱりそんなに難しかったんだ。」
松谷
「撮影時間が限られていたことと、演出プランに合わせて打つ方向やタイミングもプレーをしながら合わせなければいけなかったので、それが難しかったですね。」
宮下
「なるほどね。
確かに1日で撮り切れる量ではなかったよね(笑)
秋山監督じゃなかったらたぶんやろうとも思わなかったよね(笑)」
松谷
「そうですね(笑)
神がかってましたね。」
宮下
「球場に着いてからはどうだったの?」
松谷
「まず、一部のユニフォームが当日球場での受け取りだったんですよ。
なので最初に背番号を縫うところから始めました。
そしてなんと、浅野大義さんのお母様と市船吹奏楽部の保護者会の皆さんが一緒に手伝ってくださったんですよ。」
宮下
「そうだったね。本当にたくさん助けていただいたよね。」
松谷
「はい。スタッフの人数も最小限でしたし、僕らだけでは間に合わなかったかもしれません。
本当に皆さんには感謝してもしきれません。」
宮下
「そうだね。」
松谷
「その時は応援席の準備は、どんな様子だったんですか?」
宮下
「応援席では、横断幕を準備して、皆さんの着替えが終わったら位置についてもらって、楽器の準備をしてもらったり、応援グッズを渡したり、あと野球応援の時の部員の踊り練習とかをしてたよ。」
松谷
「そうだったんですね。」
宮下
「それもすごいありがたくてさ。
踊りの振付と掛け声を市船野球部のOBの方々率先して皆さんに教えてくれて、すごく助けていただいたんだよね。」
松谷
「それも本当に感謝ですね。」
宮下
「そうだね。
そういえば鷹也、撮影の時ユニフォーム着てベンチにいたよね?」
松谷
「はい。すぐ指示が出せるようにそれでやろうっていうことになって。
自分もメンバーの一員としてやらせてもらいました。」
宮下
「鷹也やっぱりユニフォーム似合ってたもんね!」
松谷
「あの時は久しぶりにユニフォーム着たのもあって、すごいテンションあがりましたね!」
いよいよ撮影当日の準備が整い、ついにプレイボール!
明日に続きます!
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
ここまで、
野球場シーンの小道具がどのように集められたか、
野球のユニフォームがどのように使用許可がおりたか、
そして対戦相手となる高校にどのように交渉したのかを
ご紹介してきました。
まだ読んでいない方は、ぜひご覧ください!
今回は、野球部の選手・スタンドの応援している観客などの
実際の撮影シーンのメンバーをどのように集めたのか、
引き続き、松谷さんにお話を聞いていきたいと思います!
宮下
「今日は、野球場のシーンの選手やスタンドの方々が、どのように集められたのか教えてもらえますか?」
松谷
「まず、野球部の選手に関してはユニフォームは使用許可が出たのですが、実際の高校野球部の選手は出演することができませんでした。
なので、市船や学館船橋の野球部のOBの方々に協力して頂きました。」
宮下
「そうだったね。スタンドにいる部員も結構な人数が必要だったよね。」
松谷
「そうですね。スタンドも野球部員だけで50人近く必要でした。」
宮下
「その部員たちはどうやって集めていったの?」
松谷
「最初はSNSを使っていろんな大学の野球サークルに声をかけていったんですけど、なかなか出演してくれるところが見つからなくて…」
宮下
「そうだったんだね。」
松谷
「そこで監督からある方を紹介して頂いて、その方から大学のサークルや関東地区大学準硬式野球連盟を紹介して頂きました。」
宮下
「関東地区大学準硬式野球連盟にも交渉に行ってたよね。」
松谷
「はい。関東地区大学準硬式野球連盟の理事長の方にお会いしました。」
宮下
「なかなかそんな機会ないよね!」
松谷
「そうですね!
そしたら理事長の方も20歳のソウルの原作本を読んでくださっていたんですよ!
“感動しました!是非協力させてください!”と言ってくださって!
本当にありがたかったですね!」
宮下
「そうなんだ!本当に色んな方が協力してくれたよね。
ところで、ここが一番大変だったみたいなのってあるかな?」
松谷
「鉢巻坊主ですかね(笑)」
宮下
「鉢巻坊主?(笑)」
松谷
「市船の野球応援のYouTubeとか見ると、坊主頭で鉢巻をして応援してる部員が数名いるんですよ。
でもなかなか坊主頭の人が見つからなくて(汗)」
宮下
「そうだったね。危うく俺たち坊主にするところだったよね(笑)」
松谷
「はい(笑)
自分とタクさん(スタイリスト助手の橋谷さん)とみやしーさんが坊主にするって話もありましたもんね(笑)」
宮下
「でもなんとか集まったんだね。」
松谷
「はい。
スポーツ系専門のエキストラ会社も当たってみたんですけど、人数も必要だったのもあって結構な金額で(汗)
そこは最終手段にしようという話になって、好太郎さん(制作の松田さん)の知り合いの方に当たってもらったり自分の知り合いとか色々当たって、色んな方に協力してもらいました。」
宮下
「そうだったね。観客は市船の関係者の皆さんが協力してくれたり、伊藤さん(助監督)が募集したりしてくれて結構集まって頂けたよね。」
松谷
「そうでしたね!
ご協力いただいた皆様に、本当に感謝です。」
このようにたくさんの方々のご協力のもと
集めるのが難しかった野球部の選手やスタンドの観客を、
目標人数まで集めることができました!
明日は撮影当日の様子をお届けしたいと思います!
お楽しみに!
本日もご覧頂き、誠にありがとうございました!
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
今日は、昨日から始まった「20歳のソウル」野球場シーンの裏側のお話の続きです!
撮影の1ヶ月前、撮影する球場が決まり
準備、そして現場の仕切りの専任スタッフとして声がかかった松谷鷹也さん!
野球場のシーンの撮影準備がどのように進められていったのか
今回から松谷さんのインタビューを交えてお話します!
(緑ジャ:松谷鷹也さん/赤ジャ:宮下涼太)
※ここからは会話のため普段の呼び名で失礼します。
宮下
「まず、撮影の準備ってどういうふうに進めていったのか教えてください!」
松谷
「最初はボールやバット、帽子など
劇中で必要な小道具を集めるところから始めました。
タイアップで道具を貸していただける会社がないか探し、
監督のお知り合いの方から紹介していただいて、
ミズノ株式会社や株式会社デサントに行ってお願いしましたね。」
宮下
「そうだったね。鷹也と中井さんが、
メーカーの本社まで行ったりしてくれてたよね。」
松谷
「そうなんです。スポーツ用品店は行ったことあっても、
本社は初めてで緊張しました(汗)
でも今思えばなかなかできることではないので
すごく良い経験をさせてもらったと思ってます。」
宮下
「それは確かに良い経験だね!
ユニフォームはどうしたの?」
松谷
「ユニフォームに関しては、プロデューサーの方が、
実際のユニフォームを使用できるようにお願いしてくれていたんですが
公式ユニフォームの使用許可は非常に難しかったため、
こちらで別のユニフォームの発注準備も取り掛かっていました。」
宮下
「そうだったんだね。やっぱりなかなか難しいんだね。」
松谷
「はい。でもやっぱり野球のシーンは応援歌の『市船soul』が演奏される
メインのシーンでもあるので、実際の市船のユニフォームを使用したいよね
という話になって
何度もプロデューサーの方が掛け合ってくださり、
期限ギリギリの撮影2週間前に許可がおりて使用できることになりました!」
宮下
「すごいね!
やっぱり実際のユニフォームで撮影できると思い入れが違うよね!」
松谷
「そうですね。
実際にユニフォームや帽子は市船野球部のOBの方からお借りしたり、
練習用ユニフォームをお借りしたりしたんですけど
僕も高校で野球をやっていたので、皆さんがどのくらい練習していたのか
どんな思いでこのユニフォームに袖を通していたのか考えると重みが全然違いましたね。」
宮下
「そっか。やっぱり高校生のころの部活動ってすごく特別なものだよね。
対戦相手はどうやって決まったの?」
松谷
「対戦相手は東京学館船橋高等学校(以下、学館船橋)だったんですけど
この交渉もすごく緊張しましたね(汗)」
宮下
「そうなの?」
松谷
「はい(汗)
市船がメインで出てくるシーンに対戦相手としてお願いするので、
どういうふうにお願いするのが良いかすごく悩みました。」
宮下
「確かにそうだよね。」
松谷
「でも、交渉に行ったら
対戦相手を快く受け入れてくださって
“市船がヒーローならこっちはヒール(悪役)だな“
なんて冗談まで言ってくれて、すごくありがたかったですね。」
宮下
「それは本当に感謝だね。」
松谷
「はい。
それに、僕は中学校の野球部ではなく
硬式のクラブチームに所属していたんですけど
学館船橋の野球部の監督と当時の僕がいたチームの監督が知り合いで
プライベートでも会ったりする仲だったらしくて!
なんかものすごいご縁を感じました!」
宮下
「それは本当にすごいご縁だね!」
なんとか公式ユニフォームの使用の許可もおり
ご縁が繋がり対戦相手も決定しました!
しかし、映画の撮影には現役の高校野球の選手を起用することはできません。
野球場シーンでの選手やスタンドで応援する方々はどのように集められたのか。
明日に続きます!
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です!
今日からは数話にわたって
「20歳のソウル」の野球場シーンの裏側をお話ししていこうと思います!
撮影の約1ヶ月前に、
野球応援のシーンを船橋市にある船橋市民球場で撮影することが決定しました。
監督は以前野球の番組を担当していたこともあり、野球に関する知識が豊富でした。
しかし我々助監督は野球に精通するメンバーがいませんでした。
野球のシーンでは
ユニフォームや道具の発注をどうするか
また、野球・その応援のシーンは
プレーをする選手や審判は何人必要なのか
たくさんの観客をどのように集めるか
などの項目があげられました。
また、野球場のシーンは人数が多いシーンである上に
グラウンドでのプレーとスタンドでの応援を合わせるという
離れた場所での連携プレーが必要で、
難易度の高い撮影となることが予想されました。
そのため、準備や現場をしきることのできる、
野球に精通したメンバーが必要となりました。
そこで名前があがったのが
「20歳のソウル」で制作スタッフとして参加していた松谷鷹也さんでした。
(緑ジャ:松谷さん/青ジャ:松田さん)
松谷さんのお父さんはなんと元プロ野球選手!
松谷さん自身も小さい頃から野球をやっていたとのことでした!
野球に関する経験と知識は参加スタッフの中で誰よりもありました!
松谷さんの活躍ぶりはこれからのプロダクションノートで話していきたいと思います!
また今回の野球場での撮影では
映画に高校野球部が出演することが出来ないので、
市船野球部OBの方々にも
たくさんご協力していただきました。
市船野球部OBの方々が主となり後援会が発足されたそうです。
https://mobile.twitter.com/ICHIFUNASOULS
後援会のメンバーには市船野球部から初のプロ野球選手となった方がいらっしゃるのですが、
なんとその方は松谷さんのお父さんと同期だったそうです!
そんな驚きなご縁もありました!
明日からも野球場シーンの裏側のお話は続きます!
本日もご覧いただき、誠にありがとうございました!
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」チーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です!
今日は、昨日行われた【ふなばし朝市】のお話をしたいと思います!
昨日開催された【ふなばし朝市】
開催場所は、映画「20歳のソウル」のクランクイン前に
撮影安全祈願、そして大ヒット祈願をした、船橋大神宮!!
あれから早1年。
時が経つのは早いものです。
なぜ僕が【ふなばし朝市】にお伺いしたのか!
理由はこちらです!!!
じゃーん!!!
【ふなばし朝市】にて行われた
「20歳のソウル」のムビチケ販売にお邪魔してきました!!!
今回も朝早くから日活の方々が準備をしてくださっていました!
誠にありがとうございます!!
記念すべき50回目ということもあって
朝市開始時刻の前から入り口前にはお客様の長蛇の列!
「20歳のソウル」のムビチケもちゃんと売れるかなぁ
なんて期待半分、不安半分。
しかし、そんな不安なんて全く必要ありませんでした!
開始時刻になるとムビチケは大好評!!!
僕らのチラシ配りにも精が出ます!
今回も秋山監督から頂いた、市船の赤ジャを身にまとい参戦!
そしてなんと今回は
原作・脚本の中井先生と
原作本の出版社である幻冬舎から、武田さんも来てくださり
一緒に宣伝活動をしてくださいました!
誠にありがとうございます!
チラシ配りをしていると
「ラジオできいたことあるよ」
とか
「新聞でみたよ」
とか
「本読んだけど感動しちゃった」
とか
本当にたくさんの方々からのお声が聞けて
嬉しい限りです。
気づけば、あっという間に2時間が経ち
【ふなばし朝市】の終了時刻。
今回、チラシを受け取ってくださった皆さん、そしてムビチケを購入してくださった皆さん
誠にありがとうございました。
次回はいつになるかわかりませんが、またこのような機会があれば僕も是非参加したいと思います!
一人でも多くの方々にこの物語が届きますように!
今回もご覧いただき誠にありがとうございました!
こんにちは!
中井由梨子です。
3月。
卒業シーズンですね。
東京の桜の蕾はまだ固いですが、あと数週間で一気に開花するんでしょう。
「20歳のソウル」でも、美しい桜の景色が登場します。
そこも、船橋の桜の名所の一つ。
ロケ時には、お花見の屋台が立ち並び、俳優部の皆さんもロケの合間に楽しいひと時を過ごされたようです。
さて、映画で「市船吹奏楽部」としてメインで出演をしてくださった、市船吹奏楽部「咲月たちの代」の皆さんが卒業されました。
先日、みやしーが紹介した「友理たちの代」の皆さんにも本当にお世話になりましたが、その次の代、咲月さんたちには、本当にたくさんのご苦労をおかけしました。
メインで撮影した音楽室は校舎の4階。
現在、吹部の皆さんが拠点として活動している第三体育館の地下から、本校舎の4階へ、重い楽器を上げたり下ろしたり……。撮影のたびに持っていき、並べて終わると練習のためにまた下ろして…。
すべてを部員の皆さんがやってくださいました。
ヨサコイの衣装も、旗の準備も。
楽譜のセッティングも、椅子並べも。
コンクールのシーンや定期演奏会のシーンでは、大きなトラックでの運搬、搬入、搬出。舞台セットのセッティング。
すべてを咲月さんたちがやってくださったのです。
普段やっていることだから、と高橋先生や咲月さんたちは明るくおっしゃってくださいましたが、本当に大変だったことでしょう。
何度でも、感謝を申し上げたいです。
ありがとうございました。
咲月ちゃんたち(青ジャ)の皆さんは、もっとも多くスクリーンに登場します。
市船の皆さんの「本物」の笑顔や演奏をぜひご覧いただきたいです。
昨日~今日と、卒業したばかりの咲月ちゃんたちは、高橋先生と日光にいました!!
最後の思い出、卒業旅行ですね。
卒業してたった数日なのに、なんてみんな大人っぽくなっているんでしょう。
高校時代と変わらず、今日の一日を分厚く生きる人生を歩んでください。
ご卒業、おめでとうございます!!
©2022「20歳のソウル」製作委員会