皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
今日は、昨日から始まった「20歳のソウル」野球場シーンの裏側のお話の続きです!
撮影の1ヶ月前、撮影する球場が決まり
準備、そして現場の仕切りの専任スタッフとして声がかかった松谷鷹也さん!
野球場のシーンの撮影準備がどのように進められていったのか
今回から松谷さんのインタビューを交えてお話します!
(緑ジャ:松谷鷹也さん/赤ジャ:宮下涼太)
※ここからは会話のため普段の呼び名で失礼します。
宮下
「まず、撮影の準備ってどういうふうに進めていったのか教えてください!」
松谷
「最初はボールやバット、帽子など
劇中で必要な小道具を集めるところから始めました。
タイアップで道具を貸していただける会社がないか探し、
監督のお知り合いの方から紹介していただいて、
ミズノ株式会社や株式会社デサントに行ってお願いしましたね。」
宮下
「そうだったね。鷹也と中井さんが、
メーカーの本社まで行ったりしてくれてたよね。」
松谷
「そうなんです。スポーツ用品店は行ったことあっても、
本社は初めてで緊張しました(汗)
でも今思えばなかなかできることではないので
すごく良い経験をさせてもらったと思ってます。」
宮下
「それは確かに良い経験だね!
ユニフォームはどうしたの?」
松谷
「ユニフォームに関しては、プロデューサーの方が、
実際のユニフォームを使用できるようにお願いしてくれていたんですが
公式ユニフォームの使用許可は非常に難しかったため、
こちらで別のユニフォームの発注準備も取り掛かっていました。」
宮下
「そうだったんだね。やっぱりなかなか難しいんだね。」
松谷
「はい。でもやっぱり野球のシーンは応援歌の『市船soul』が演奏される
メインのシーンでもあるので、実際の市船のユニフォームを使用したいよね
という話になって
何度もプロデューサーの方が掛け合ってくださり、
期限ギリギリの撮影2週間前に許可がおりて使用できることになりました!」
宮下
「すごいね!
やっぱり実際のユニフォームで撮影できると思い入れが違うよね!」
松谷
「そうですね。
実際にユニフォームや帽子は市船野球部のOBの方からお借りしたり、
練習用ユニフォームをお借りしたりしたんですけど
僕も高校で野球をやっていたので、皆さんがどのくらい練習していたのか
どんな思いでこのユニフォームに袖を通していたのか考えると重みが全然違いましたね。」
宮下
「そっか。やっぱり高校生のころの部活動ってすごく特別なものだよね。
対戦相手はどうやって決まったの?」
松谷
「対戦相手は東京学館船橋高等学校(以下、学館船橋)だったんですけど
この交渉もすごく緊張しましたね(汗)」
宮下
「そうなの?」
松谷
「はい(汗)
市船がメインで出てくるシーンに対戦相手としてお願いするので、
どういうふうにお願いするのが良いかすごく悩みました。」
宮下
「確かにそうだよね。」
松谷
「でも、交渉に行ったら
対戦相手を快く受け入れてくださって
“市船がヒーローならこっちはヒール(悪役)だな“
なんて冗談まで言ってくれて、すごくありがたかったですね。」
宮下
「それは本当に感謝だね。」
松谷
「はい。
それに、僕は中学校の野球部ではなく
硬式のクラブチームに所属していたんですけど
学館船橋の野球部の監督と当時の僕がいたチームの監督が知り合いで
プライベートでも会ったりする仲だったらしくて!
なんかものすごいご縁を感じました!」
宮下
「それは本当にすごいご縁だね!」
なんとか公式ユニフォームの使用の許可もおり
ご縁が繋がり対戦相手も決定しました!
しかし、映画の撮影には現役の高校野球の選手を起用することはできません。
野球場シーンでの選手やスタンドで応援する方々はどのように集められたのか。
明日に続きます!
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です!
今日からは数話にわたって
「20歳のソウル」の野球場シーンの裏側をお話ししていこうと思います!
撮影の約1ヶ月前に、
野球応援のシーンを船橋市にある船橋市民球場で撮影することが決定しました。
監督は以前野球の番組を担当していたこともあり、野球に関する知識が豊富でした。
しかし我々助監督は野球に精通するメンバーがいませんでした。
野球のシーンでは
ユニフォームや道具の発注をどうするか
また、野球・その応援のシーンは
プレーをする選手や審判は何人必要なのか
たくさんの観客をどのように集めるか
などの項目があげられました。
また、野球場のシーンは人数が多いシーンである上に
グラウンドでのプレーとスタンドでの応援を合わせるという
離れた場所での連携プレーが必要で、
難易度の高い撮影となることが予想されました。
そのため、準備や現場をしきることのできる、
野球に精通したメンバーが必要となりました。
そこで名前があがったのが
「20歳のソウル」で制作スタッフとして参加していた松谷鷹也さんでした。
(緑ジャ:松谷さん/青ジャ:松田さん)
松谷さんのお父さんはなんと元プロ野球選手!
松谷さん自身も小さい頃から野球をやっていたとのことでした!
野球に関する経験と知識は参加スタッフの中で誰よりもありました!
松谷さんの活躍ぶりはこれからのプロダクションノートで話していきたいと思います!
また今回の野球場での撮影では
映画に高校野球部が出演することが出来ないので、
市船野球部OBの方々にも
たくさんご協力していただきました。
市船野球部OBの方々が主となり後援会が発足されたそうです。
https://mobile.twitter.com/ICHIFUNASOULS
後援会のメンバーには市船野球部から初のプロ野球選手となった方がいらっしゃるのですが、
なんとその方は松谷さんのお父さんと同期だったそうです!
そんな驚きなご縁もありました!
明日からも野球場シーンの裏側のお話は続きます!
本日もご覧いただき、誠にありがとうございました!
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」チーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です!
今日は、昨日行われた【ふなばし朝市】のお話をしたいと思います!
昨日開催された【ふなばし朝市】
開催場所は、映画「20歳のソウル」のクランクイン前に
撮影安全祈願、そして大ヒット祈願をした、船橋大神宮!!
あれから早1年。
時が経つのは早いものです。
なぜ僕が【ふなばし朝市】にお伺いしたのか!
理由はこちらです!!!
じゃーん!!!
【ふなばし朝市】にて行われた
「20歳のソウル」のムビチケ販売にお邪魔してきました!!!
今回も朝早くから日活の方々が準備をしてくださっていました!
誠にありがとうございます!!
記念すべき50回目ということもあって
朝市開始時刻の前から入り口前にはお客様の長蛇の列!
「20歳のソウル」のムビチケもちゃんと売れるかなぁ
なんて期待半分、不安半分。
しかし、そんな不安なんて全く必要ありませんでした!
開始時刻になるとムビチケは大好評!!!
僕らのチラシ配りにも精が出ます!
今回も秋山監督から頂いた、市船の赤ジャを身にまとい参戦!
そしてなんと今回は
原作・脚本の中井先生と
原作本の出版社である幻冬舎から、武田さんも来てくださり
一緒に宣伝活動をしてくださいました!
誠にありがとうございます!
チラシ配りをしていると
「ラジオできいたことあるよ」
とか
「新聞でみたよ」
とか
「本読んだけど感動しちゃった」
とか
本当にたくさんの方々からのお声が聞けて
嬉しい限りです。
気づけば、あっという間に2時間が経ち
【ふなばし朝市】の終了時刻。
今回、チラシを受け取ってくださった皆さん、そしてムビチケを購入してくださった皆さん
誠にありがとうございました。
次回はいつになるかわかりませんが、またこのような機会があれば僕も是非参加したいと思います!
一人でも多くの方々にこの物語が届きますように!
今回もご覧いただき誠にありがとうございました!
こんにちは!
中井由梨子です。
3月。
卒業シーズンですね。
東京の桜の蕾はまだ固いですが、あと数週間で一気に開花するんでしょう。
「20歳のソウル」でも、美しい桜の景色が登場します。
そこも、船橋の桜の名所の一つ。
ロケ時には、お花見の屋台が立ち並び、俳優部の皆さんもロケの合間に楽しいひと時を過ごされたようです。
さて、映画で「市船吹奏楽部」としてメインで出演をしてくださった、市船吹奏楽部「咲月たちの代」の皆さんが卒業されました。
先日、みやしーが紹介した「友理たちの代」の皆さんにも本当にお世話になりましたが、その次の代、咲月さんたちには、本当にたくさんのご苦労をおかけしました。
メインで撮影した音楽室は校舎の4階。
現在、吹部の皆さんが拠点として活動している第三体育館の地下から、本校舎の4階へ、重い楽器を上げたり下ろしたり……。撮影のたびに持っていき、並べて終わると練習のためにまた下ろして…。
すべてを部員の皆さんがやってくださいました。
ヨサコイの衣装も、旗の準備も。
楽譜のセッティングも、椅子並べも。
コンクールのシーンや定期演奏会のシーンでは、大きなトラックでの運搬、搬入、搬出。舞台セットのセッティング。
すべてを咲月さんたちがやってくださったのです。
普段やっていることだから、と高橋先生や咲月さんたちは明るくおっしゃってくださいましたが、本当に大変だったことでしょう。
何度でも、感謝を申し上げたいです。
ありがとうございました。
咲月ちゃんたち(青ジャ)の皆さんは、もっとも多くスクリーンに登場します。
市船の皆さんの「本物」の笑顔や演奏をぜひご覧いただきたいです。
昨日~今日と、卒業したばかりの咲月ちゃんたちは、高橋先生と日光にいました!!
最後の思い出、卒業旅行ですね。
卒業してたった数日なのに、なんてみんな大人っぽくなっているんでしょう。
高校時代と変わらず、今日の一日を分厚く生きる人生を歩んでください。
ご卒業、おめでとうございます!!
みなさん、こんにちは。
中井由梨子です。
3月8日。
船橋ロータリークラブの皆様に招かれ、講演会をさせていただきました。
このご縁は、映画のスチールとしても入ってくださっていた青木写真館の青木さんからいただいたものです。
青木さんは、市船の目と鼻の先にある写真館として、長年市船の生徒さんを撮り続けてこられました。
もちろん、現役時代の大義くんのことも撮影しています。
そこで、私たちも映画のスチールを青木さんにお願いしたのです。
普段、生徒さんたちの生き生きした顔を撮っていらっしゃる方だからこそ。
そこにも「本物」にこだわる秋山組の精神があります。
ご出席された会員様は70名以上。
皆様、日々地域の活性化に貢献されています。
「20歳のソウル」では、多くのロケを船橋で行っています。
市立船橋高校、通学路、コンサートホール、病院、大義くんの家、ご葬儀の式場…。
すべてが船橋でした。
そして細部にわたって「本物」にこだわりました。
船橋の皆様が、この呼びかけに応えてご協力をくださったからこそ、まるでドキュメンタリーのような骨太な映画が出来上がったといっても過言ではありません。
だからこそ、船橋の魅力あふれる映画になっていると共に、決して「ご当地映画」にとどまらないスケールの大きな世界観に仕上げることができたのだと思います。
この講演会で私がお伝えしたかったことは、「誠意は必ず届く」ということです。
少し前のプロダクションノートでもお伝えしましたが、ロケ地交渉では、秋山組の制作担当、松田好太郎が本当に粘り強く頑張ってくれました。
大義くんの人生を描いたこの物語がなぜ人の心を打つのか、なぜ今、この映画を作らねばならないのか、この映画に溢れる想いを、伝え続けてくれました。
そして、船橋の多くの方々がその気持ちに賛同してくださいました。
今回、お話させていただいたロータリークラブの皆様も、私の話に熱心に耳を傾けてくださり、共感くださいました。
「映画、必ず観ます」
その言葉をたくさんいただきました。
ありがとうございます。
船橋で生まれ育ち、市船を愛した大義くん。
この映画で、故郷に錦を飾ってもらえたらと願います。
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
映画「20歳のソウル」の撮影開始時
当時の市船吹奏楽部の3年生は既に引退していたものの
ヨサコイのシーンなどで協力していただきました。
当時の市船吹奏楽部の3年生であり、部長を務めていたのが
勝部友理さん(ゆっぺさん)です。
市船吹奏楽部は、部長の名前をとって『○○たちの代』と呼んでいます。
友理たちの代が3年生になったばかりの年の4月
コロナの影響により市立船橋高校も休校となり、部活動自粛を余儀なくされていました。
そんな中、
市船吹奏楽部の取り組んでいた、テレワーク企画がありました。
たくさんのテレワーク企画動画が掲載される中に、『応援ソングに挑戦』があります。
こちらには浅野大義さんが作曲した『市船soul』も登場しています!
このような企画が注目され
千葉テレビ放送さんに特集されたそうです!
しかし、その後もコロナの猛威は拡がり続け
部活動の出来ない期間や大会やイベントの中止などいろいろなことがあったと思います。
例年12月に行われている定期演奏会
この年は延期を繰り返しながらも、なんとか3月に開催することが出来ました。
その様子も、再び千葉テレビ放送さんに特集されています。
コロナに翻弄されながら、引退公演となる定期演奏会も延期を繰り返し
本当に大変な1年間だったと思います。
高橋先生のおっしゃる
やり続けることの大切さ
いろいろな思いもあったと思いますが
今できることを一生懸命やろう
そんな市船吹奏楽部の皆さんの前向きな姿に僕もたくさん勇気をもらいました。
定期演奏会から数日後
「20歳のソウル」の撮影がスタートしました。
激動の年を過ごし
つい先日定期演奏会が終わったばかりにも関わらず
そんな様子など一切見せず
いつも明るく元気で素敵な笑顔の友理たちの代の皆さん!
そして部長のゆっぺさんには、
「20歳のソウル」では浅野大義さんを演じた神尾楓珠さんのトロンボーン指導や吹き替えをやって頂いたり
たくさんご協力いただきました。
本当にありがとうございました。
昨年開催された、後輩たちの定期演奏会では
たくさんのお客さんを前に、堂々とした姿で司会進行を務めていたゆっぺさん。
友理たちの代の市船吹奏楽部への熱い思い、魂は後輩たちに確実に引き継がれているはずです!
本日もご覧いただき誠にありがとうございました!
みなさん、こんにちは。
中井由梨子です。
3月6日に行われた初号試写の後、はじめてゆっくりとお母さまの桂子さんとお会いしました。
朝に降っていた雨も上がり、空からは少し光が射していました。
船橋駅前の珈琲店。
しっとりと落ち着いた雰囲気。
16時に待ち合わせして、入店。
介護士のお仕事をしていらっしゃる桂子さん。
夜勤明けにも関わらず、いつも通りの明るい笑顔で来てくださいました。
瑞々しい苺のケーキに胸を躍らせながら、私たちは堰を切ったようにたくさん、たくさんお話しました。
「闘病中のシーンは、意外と冷静でした。経験済みのことですし、やはり現実のほうが辛かったので…映画のシーンを見ている時は、冷静でした」
「それよりも、一番嬉しかったことは、大義がこんなにキラキラとした、すっごく楽しい高校生活を、送っていたんだなって知ることができたことです。それが何より嬉しかった」
目を潤ませながらそうおっしゃいました。
そうです、この映画が一番伝えたいことは、大義くんが20歳で亡くなった、ということではないのです。
大義くんが、20年という月日を、力一杯、生ききった、ということなんです。
決して死を描く映画ではない。
生を描く映画なのです。
「ラストシーンで、大泣きすると思っていました。でも違いました。温かにじんわりと胸にくる感じで、でもだからこそ、心に強く残る」
とにかく、多くの方に見ていただきたい。
桂子さんは強くおっしゃってくださいました。
それは、ご自身の息子さんの人生の物語だから、という理由ではなく、すべての人がみな、一つずつ持っている、そして一つしかない「命」の物語だから。
「もし、この映画を、青年が若くして亡くなる辛い物語、泣ける物語だと思って敬遠する方がいたら、そうじゃなくて、これは希望の物語です。決して辛く悲しいだけの物語ではないと言いたいです。とにかく、みんな見て!って言いたい(笑)」
変わらない明るい笑顔。
そしてとても客観的な目線で、この映画を高く評価してくださいました。
このインタビューの様子は、後日「後編」として、動画で投稿させていただきます。
お店を出たのは20時。
(店員さんに「閉店ですので」と言われて席を立ちました。笑)
話しても話しても、お話が尽きない。
私と桂子さんは、この5年、いつもこんな感じです。
皆さんこんにちは。
「20歳のソウル」チーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
今日は昨日に引き続き、プレミアム初号試写会のお話をします。
初号試写会の開場準備が整うと
我々も入口で皆さんをお出迎えしました。
ご家族の皆さん
高橋先生を始めとする市船吹奏楽部顧問の先生方
愛来さん
そして「20歳のソウル」の原作本の出版社、
幻冬舎の見城徹社長も足を運んでくださいました。
また、キャストの方々や
市船吹奏楽部の卒業生であり、「20歳のソウル」にも出演してくださった
佐藤美咲さんと小島樹さんもご来場くださいました。
初号試写会は
原作・脚本の中井由梨子先生の挨拶でスタートし
上映後は秋山純監督の挨拶で終了しました。
きっと大義さんも観てくれていたと思います。
昨日の初号試写から一夜明けた
秋山監督のブログです。
https://www.akiyanj.com/post/20220307
秋山監督と中井先生のお言葉をお借りします。
「この映画は希望の映画です」
浅野大義さんの映画を
そしてこれからも一生色褪せることのない魂を
どうかたくさんの方々に届けたい
大義さん、ご家族の皆さん、高橋先生、この映画に関わってくださった全ての皆様
心より感謝申し上げます。
「大義くんが自分たちを選んでくれたのだと思います」
と、いつも口にする秋山監督と中井先生。
一人でも多くの方々にこの作品を届けるために
一日一日を大切に
我々も走り続けます。
本日もご覧頂き、誠にありがとうございました。
皆さんこんにちは。
「20歳のソウル』でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
2022年3月6日(日)晴れ
朝起きると、「20歳のソウル」の撮影初日と同じような青空が広がっていました。
テレビをつけると東京マラソンがやっていて
ゴール目指して一生懸命走っている選手の姿が、
公開日に向けて日々進んでいる僕らと少し重なりました。
今日は
「20歳のソウル」
プレミアム初号試写会の当日。
ご家族や高橋先生たちに「20歳のソウル」を初めてお披露目する大切な日。
試写会の会場となる東劇ビルへ。
今日の試写会はこの作品にとって、とても大切な方々へのお届けとなります。
試写会の会場に到着すると、日活の方々が既に準備をしてくださっていました。
素敵な「20歳のソウル」のポスターも飾られ、準備はばっちりです。
静かな試写室
その中に、秋山監督を発見
やはりとても大切な初号試写ということもあり、少し緊張した様子です。
ご家族と一緒に観てもらおうと、もちろん大義さんの席もご用意しました。
「大義くん、コーラ好きだから」
と、監督から大義さんへ差し入れです。
原作・脚本の中井さんも緊張した面持ちで準備を進めていました。
秋山組で一緒のメンバーも揃い
少し打ち合わせをしてから開場。
ここからは明日に続きます。
皆さん、こんにちは。
中井由梨子です。
明日は、初めて大義くんの記事が
朝日新聞に掲載されてから1799日目。
本日、2022年3月6日。映画『20歳のソウル』初号試写が行われます。
場所は築地、松竹本社にある東劇の試写室。
開館は1930年という伝統ある場所です。
やっと。
この世に映画として、産声を上げます。
大義さん。
大義さんのご家族。
高橋健一先生をはじめとした、市船吹奏楽部の先生方に見ていただく日。
お母様が朝日新聞の「声」欄に投書し、記事として取り上げられ、それを秋山監督が見て、私が取材に行きました。
それが2017年の4月。
ちょうど5年前のことです。
取材を続けながら、その年の11月、私は小説に先立って舞台『JASMINE~神様からのおくりもの~』を上演いたしました。
大義くん、恋人の愛来ちゃん、そして親友のヒロアキ。
たった三人の登場人物。
中野の小さな劇場での、ささやかな芝居。
まだ大義くんが亡くなって1年も経っていませんでした。
私たちは稽古場で、舞台で、大義くんの魂を感じ続けていました。
傍にいてくれている感覚がしていました。
会場には大義くんから贈られた青と白の花
客席に溢れた温かい涙。
そして翌年の2018年。
ついに小説という形で小学館さんから単行本が出版されます。
この小説を書くにあたり、一度も大義くんに会っていない私が書くには、あまりに高いハードルで、書くことを何度も躊躇しました。
お母様の目線で書くことも、私がやってはいけない気がしていました。
大義くんを知るたびに
「私が書いてはいけない」
そう思いました。
そんな私の背中を押してくださったのは、大義くんのお母さまの桂子さんの笑顔と、ご家族の温かさ、そして高橋健一先生と市船吹奏楽部の清々しい“市船魂”でした。
「中井の思う通りに書いてみろ」
高橋先生は、何度もそう言ってくださいました。
一章、一章、少しずつ進みました。
途中で「大義くん、もう分からないよ。助けて」そう言って投げ出したくなったこともあります。
けれどやめずに最後まで書ききることができたのは、皆さんの温かさがあったからです。
2021年1月26日。
秋山監督と私は
一本の電話を受けとりました。
幻冬舎の見城徹社長です。
(見城社長の755より)
「20歳のソウル」文庫版。
夢が目の前に現れた瞬間でした。
幻冬舎の皆様の誠意あるご尽力で、このお話からたった4ヶ月後の5月26日。
高橋健一先生の「後書き」をいただき、新しい姿で大義くんが世の中に出ていきました。
この文庫で、大義くんを知ってくださった方も数多くいらっしゃることでしょう。この本を愛して、日々お力添えをくださる幻冬舎の皆様に感謝は尽きません。
そしてコロナ旋風が吹き荒れていた2021年の春に、映画の撮影は敢行されました。奇跡的に、一度もコロナ感染者を出すことなく、予定から遅れることもなく、撮り漏れることもなく。
すべてのシーンを美しく、カメラに収めることができました。
大義くんと秋山組、そして市船をはじめご協力頂いたすべての皆さんの成せた神業でした。
舞台。
小学館さんからの単行本。
幻冬舎さんからの文庫本。
そして、今回ついに生まれる映画「20歳のソウル」。
すべての瞬間瞬間で手を差し伸べ、助けていただいた、たくさんの方々に心からの感謝を伝えたい。それがこの「映画」として伝えることができたなら。
本を出版してから、たくさんの方に言われました。
「どうして中井さんがこの話を書くことになったのですか?」
なんと言っていいのか分かりません。成り行き?巡り合わせ?
「船橋のご出身なんですか?」
「吹奏楽部だったんですか?」
どれも、違います。
本当に、どうして私が大義くんの話を書かせていただくことになったのでしょう。
なんのために私と大義くんが出会ったのか、今日、答えが分かる気がします。
映画を観た感想というものは、一人一人違うものです。
ですから「こう思ってほしい」という考えを押しつけることはできない。
けれど、確実に伝えたいことはあります。
今、なぜ大義君の物語を世の中に出さなければならないのか。
今日という、なんでもない一日を、生ききる。
それが一番尊いこと。
そして、一番幸せなこと。
神様の、命という贈り物なのだと。
全世界の皆様に、大義くんからのメッセージを伝えたい。
一人の人間が、その人生を精一杯生きること、生ききること、そしてそれを互いに支え合うことが「愛」なのだと。
当たり前の今日が、明日も続きますように。
平和な日々を心の底から祈りながら、新しい命が生まれる、今日の瞬間を待ちます。
大義くんの、もう一つの人生の始まりとなることを願うから。
そしてそれは、私たちすべての人間が、死んでなお続く魂を持っていることを、この映画は思い出させてくれるはずだから。
この映画に秋山監督が託した想いが、世界中に届くことを祈って。
「この映画は、希望の映画です」
©2022「20歳のソウル」製作委員会