『20歳のソウル』Production Notes

カテゴリー:最新情報
2022.06.03
最新情報

皆さん、こんにちは。

中井由梨子です。

 

全国公開スタートから1週間が経ちました。

SNS上でたくさんの感動の声を聞き、関係者一同感激しております。皆様本当にありがとうございます…!多くの方から「絶対見に行く!」という言葉をかけていただいているのですが、本日から上映回数が減ってしまう劇場が多く「こんなに期間短いの!?」と、とても残念です。

 

くまざわ書店シャポー船橋店にて

#おかわりソウル で皆さんが呟いてくださっている通り、この映画は2度3度見てくださって初めて分かったり気づいたりすることがたくさんあります。人の第一印象が、二度三度会ううちに変わっていくのと似ている気がします。この映画は大義くんの人となりのように、回数を重ねるごとに見せる表情を変えていく…そんな映画です。

 

皆様、貴重な上映回をお見逃しなく!

まだまだよろしくお願いします!

助監督チーフ宮下涼太のソウル

 

さて、今日は連載三回目。

この映画でも登場する市船独自の演目「吹劇」を、私が初めて高橋先生にお会いした日の夜に見せていただいた時の描写です。

その時の驚きと気づきが、この5年間の私を引っ張ってきたのです。

 

※※※

 

時計は二十二時をとっくにまわり、二十三時が近づいていました。予定を上回る長居にも関わらず、先生は快く様々なお話をしてくださいました。最後に先生はiPadを開き、仰いました。

「これをぜひ見て欲しいんです」

iPadの液晶画面に映し出されたのは、演奏会の録画でした。

 

2016吹劇「ひこうき雲~生きる~」より(市船吹奏楽部Twitterより)

 

「我々は吹劇って呼んでるものなんですが」

吹劇、という聞いたことのない単語に私は首を捻りました。そのはずで、これは吹奏楽と劇を混ぜた、市船独自の造語らしいのです。市船吹奏楽部では、毎年十二月に定期演奏会を開催します。部員にとって一年で一番大きな演奏会といっても過言ではありません。この演奏会を最後に、三年生たちは引退していきます。三年間の集大成です。その演奏会で、この十二年間、欠かさず演じられてきたのがこの吹劇でした。高橋先生が考案し、作曲家の先生、ダンスの振付の先生が製作を手掛けます。一つのテーマに沿って音楽と身体表現を使い、観客に様々なイメージを喚起させるこの試みは、ただ音楽を聴かせるよりもはるかに観客に多くを問いかけ、感情を揺さぶるものだそうです。もちろん、演奏している生徒自身も、毎年取り組む壮大なテーマに向かって、自分たちなりに考え、解釈し、表現する重要な演目です。

先生がその時、見せてくださったのは昨年(二〇一六年)の十二月二十八日に習志野文化ホールで開催された第三十三回定期演奏会で演じられた吹劇でした。

「これを大義は見てたんですよ」

高橋先生が仰いました。私は、先生が再生してくださったその画面を見つめました。再生されると、約三十分のその演目が始まると、やがて私は目頭が熱くなりました。大義くんが亡くなったのは今年(二〇一七年)一月十二日。亡くなる二週間前に、最後の力を振り絞って観に来た後輩たちの演奏会。そこでまさかこんな演目を見ていたとはと、その偶然とは思えない巡り合わせに言葉をなくしてしまいました。

その吹劇のタイトルは『ひこうき雲~生ききる~』。

 

市立船橋高校吹奏楽部 | LINE VOOM

「ひこうき雲~生きる~」ダイジェスト(市船吹奏楽部制作)

 

松任谷由実さんの歌『ひこうき雲』をテーマに、余命を宣告された主人公が、嘆き、悲しみ、苦しみを乗り越えて、やがて自らの死を受け入れ、最後の瞬間まで生ききり、親しい人に別れを告げて静かに死んでいく様を描いた物語です。生徒たちも最後は涙を流しながら演奏し、歌い、演じていました。先生がその年の吹劇のテーマを「生ききる」にしたのは、大義くんのこととは全く関係がなかったそうです。

「まさか大義が死ぬなんて思ってもいませんでしたから」

終末期医療で働く看護師さんから、余命を宣告された方は死を待つのではなく、ご自分の残された時間をどう生ききるかなのだ、という話を聞いてこのテーマに取り組むことにしたそうです。

「神様が仕組んだこととしか思えないんですよね、これを大義が見たっていうのは」

私は先生の言葉に頷きました。先生は再び視線を宙に向け、誰かに問いかけるように仰いました。

「大義はいったいどんな思いで、これを見てたんだろう」

私も大義くんに向かって問いかけるような気持ちで考えました。ふと、確信めいた答えが胸のうちに返ってきました。

「勇気づけられたのではないでしょうか」

私は先生に言いました。不安でいっぱいの中、彼は後輩たちが全身全霊で演じたこの演目から、この先を生きていく道しるべを見出すことができたのではないかと感じたのです。

「そうですね」

先生は、深く頷いてくださいました。

浅野大義さん(原作:幻冬舎文庫『20歳のソウル』より)

 

二十三時三十分。私は慌てて立ち上がりました。まだまだお話を聞いていたかったのですが、このままでは本当に帰れなくなってしまいます。私は大変な長居を先生に詫びながら学校を立ち上がりました。最寄りの東船橋駅まで、先生は車で送ってくださると仰って、一緒に立ち上がります。真っ暗な廊下に出ると、少しひんやりとした空気が漂っていました。

もと来た中庭の階段から降りていきます。登ってきた時より教室の明かりが少なくなっていて、何も見えません。本当に足元が真っ暗です。私は急ぎながらも恐る恐る階段を降りていきました。先生はさすがに慣れてらして、ポンポンと段を下っていきます。

先生の車は中庭の脇にあり、私は促されるまま乗車しました。車を発進させながら、先生は仰いました。

「爽やかだったんですよね、大義の告別式は」

私はじっと先生の次の言葉を待ちました。

「二十歳の告別式がこんなに爽やかなのは、世界でも稀なことだと思いますよ」

今年五十六歳を迎える高橋先生は、これまでの長い教師生活の中で、教え子を三十人近く亡くしているといいます。病気や事故など、その原因はさまざまですが、どの生徒の告別式も悲しく、辛い。「なぜ先に」という思いがどうしてもぬぐえない。思い出すだけでも胸が苦しくなるといいます。大義くんの死も、先生にとっては大きな悲しみでした。

しかし、なぜか大義くんの告別式を思い出すたび先生はこう思うそうなのです。

「爽やかで、温かだった」

二十歳の爽やかな死。

どうしてそんな逝き方ができたんだろう。私は、ますます浅野大義という人を知りたくなりました。彼を育てた市船吹奏楽部が、彼の生き様に深く関わっていると感じました。

「また、来てもいいですか」

駅前で車を停めてくださった先生に私は問いました。先生は笑って仰いました。

「来るしかないでしょう」

私は深く頭を下げ、車を降りました。先生の車が学校に戻っていくのを見送ると、最終電車に向かって走り出しました。

 

 

 

※※※

 

ただいま、大ヒット上映中「20歳のソウル」引き続き劇場でお待ちしております!

どうぞお見逃しなく!

 

※中井由梨子が『20歳のソウル』を書くにあたり取材した記録。当時の様子が鮮明に書かれています。取材ノートのため、『20歳のソウル』に登場する人物以外の実名は伏せてあります。

 

2022.06.02
最新情報

皆さん、こんにちは。

中井由梨子です。

 

浅野大義くん作曲「JASMINE」。

楽譜の画像をアップさせていただきます。神尾楓珠さん演じる大義くんや、佐野晶哉さん演じる斗真が弾いたピアノバージョン。ぜひ皆様も弾いてみていただきたいです。ピアノ以外の楽器で挑戦されるのも嬉しいです!

楽譜制作:三國浩平

 

 

さて、今日の『取材ノート』第二回は、後に「佐伯斗真」のモデルとなったIさんとの出会いを描いています。なんと高橋先生と初めて市船でお会いした夜に、母校に訪ねてきていたIさんとすでにお会いしていたのです。

 

※※※

 

緑色の絨毯、壇上にグランドピアノがあります。壁際にはティンパニやハープ、木琴、コントラバスなどの大型の楽器が並べてあり、カバーがかかっています。部屋の天井は平らではなく鋭角に三角形になっていて、防音の壁は、さらに紙製の卵パックのようなもので一面を覆われています。窓際の真ん中には指揮台がありました。思っていたより狭い印象です。現在の部員も百人以上いると、さっき天野先生が教えてくださいました。その人数が全員楽器を持つとして、どうやってこの空間に全員がおさまるんだろう、と思いました。私は先生に大義くんのトロンボーンはどんな音色だったのかを聞きました。

「上手かったと思います、特に三年の時は。一年の時は下手っぴ」

高橋先生は笑って仰いました。大義くんのことを話す時は、本当に楽しそうに話されるんだな、と思いました。大義くんが高校の三年間で腕を上げたのは、やはりこの吹奏楽部での練習あってのことだったのでしょうか。

 

 

映画ロケセットに飾られた大義の部屋のプレート

 

 

「大義はとにかく音楽が好きだったから」

やはり上達には「好き」が一番なのか、と思いましたが、きっと相当練習を積んだのでしょう。再び音楽準備室に戻り、ちゃぶ台前に腰を下ろしながら私は伺いました。

「先生は音楽の先生なんですよね」

当たり前の質問をしてしまったと思いましたが、意外な答えが返ってきました。

「いえ、国語科です」

えっ!?と私は声を上げて驚きました。さきほどのトランペットの生徒への指導や、講師の方とのお話の内容から、音楽に精通した方だという印象を持っていたのでなおさらでした。詳しくお話を聞くと先生が吹奏楽の勉強を始めたのは十五年前のことです。吹奏楽部の顧問になったことがきっかけでした。指揮法を勉強するため指揮者に弟子入りし、師匠に叱られながら音楽を学んだそうです。最初のうちは全く分からず、指揮台に立って振っていても師匠に怒鳴られることも多く、「代われ!」と言われて指揮台を降ろされることもしばしばだったとか。師匠が指揮棒を振ると楽団は素晴らしい演奏をしたそうです。「なんで師匠が振ると音が変わるんだ?」という音楽の魔力に虜になり、それから何年もかけて学ぶうちに、音楽に精通するようになったとか。毎年、百名を超える部員たちを引っ張っていくカリスマ性は、膨大な勉強量と努力と挑戦にあるのだなあと思いました。

 

 

指導にあたる高橋健一先生

その時、音楽準備室のドアが再びノックされて、今度はスーツ姿の男性が入ってきました。年は二十代前半くらい。軽く私に会釈をし、勝手知ったる様子でちゃぶ台前に座ります。

「ちょっとすみませんね」

高橋先生は私に一言断った上で、その男性との話を始めました。吹奏楽部の発表会での楽曲についてでしょうか。その男性が持ってきた音源を聴きながら、先生はいろいろと指示を伝えています。本当に次から次へと忙しいなあ…と感心しました。邪魔をしないようにと、黙って座っていると、高橋先生はふいに私を向いてその男性を指差して言いました。

「こいつも卒業生です」

えっ?と私が彼を見ると、もう一度彼は「はあ、どうも」と会釈しました。そのIさんは、現在は会社員として働きながら、母校の活動のための作曲や編曲の仕事を請け負っているとのことでした。その日、先生と打ち合わせをしていたのは、市船吹奏楽部が毎年参加している『北海道ヨサコイ祭り』のヨサコイ踊りのための楽曲でした。このヨサコイ、という行事に参加することが市船吹奏楽部にとって楽器演奏と同じくらい重要視されています。私が最初に見た大義くんの告別式の映像で、大義くんが振っていた大きな旗は、まさにそのヨサコイの旗だったのでした。

 

 

大旗を振る大義くん

 

 

「大義は一番お利口さんでしたよ、俺らの中では」

Iさんはそう教えてくれました。

「お前らがひどかった」

と、高橋先生は笑って仰いました。Iさんも「たしかに」と苦笑いです。大義くんの代の部員は、全部で三十名という歴代でも部員の少ない代だったそうです。学年色は赤いジャージ。そのため、「赤ジャ」と呼ばれていました。赤ジャの中でも男子部員は六名。その六名の男子部員(男部と略されて呼ばれていたそうです)は、選りすぐりの悪ガキ揃いだったそうです。

「どんな風に悪かったんですか?」

と聞くと先生は「とにかく全員プライドが高い」と仰います。悪ガキと聞いて、私はまさか非行かな、と思ったのですがそうではなく、音楽に関するプライドが高かったために起きたトラブルが数多くあるというのです。

「根拠のない自信だけで周りをバカにして、反抗していました」

と、Iさんは内省も込めたような口調で教えてくれました。

「根拠のない自信」なら私も身に覚えがあります。高校時代、演劇に目覚めたころの私は、誰よりも面白い脚本が書けると自信を持っていました。若気の至り、世間知らずの怖いもの知らずといったところでしょうか。その自信は大人になり、世間に自分の作品を出して評価されたり、価値観の違う人とお仕事を共にすることによって見事に削られ、丸まっていきましたが。十代の頃は確かに精神的にも尖る時期なのかもしれません。

Iさんは口調も穏やかで物腰も柔らかで人当たりの良い印象でしたから、反抗していたといってもあまり想像ができませんでした。

「現役時代は目が吊り上がっていましたよ(笑)。今はだいぶ丸くなったほうだと思います」

先生は、吹奏楽部の部員の中では、家庭環境に問題を抱える生徒も少なくないといいます。その日お会いしたIさんも、吹奏楽部で過ごした三年間でだいぶ落ち着たそうです。他にも部活中の自虐行為や、自殺未遂事件、妊娠沙汰など、家庭の問題や友人の問題を抱えるありとあらゆる生徒と、先生は向き合って来られたんだそうです。

その後、Iさんは後輩たちのパート練習を指導すると言って部屋を出ていきました。卒業して三年以上過ぎてもまだ、こうやって母校とつながっている部活っていいなあと思いました。

 

※※※

 

このⅠさんとの出会いが、大義くん像を色濃くした最初のきっかけだったことは言うまでもありません。そして後に、このピアノバージョン「JASMINE」をアレンジしてくださったのはIさんなのです。

「生前は叶わなかった、大義とのコラボレーションだと思って」

そう仰って作ってくださったピアノバージョン。

 

ぜひ皆様の手で奏でていただけたら嬉しいです。

 

 

 

ただいま、大ヒット上映中「20歳のソウル」引き続き劇場でお待ちしております!

 

 

 

 

 

※中井由梨子が『20歳のソウル』を書くにあたり取材した記録。当時の様子が鮮明に書かれています。取材ノートのため、『20歳のソウル』に登場する人物以外の実名は伏せてあります。

 

 

 

 

2022.06.01
最新情報
皆さん、こんにちは。
中井由梨子です。

全国公開開始から早一週間が過ぎようとしています。

作品を御覧になった皆様のSNSなどから、「感動した」「泣いた」というお声がたくさん届いていて「生きてるって素晴らしい」といったご感想も見られ、私も胸を熱くしております。

本当にありがとうございます。

大ヒット公開中!

 

さて、これからまだまだ公開は続きます!

それに併せまして、本日からこのプロダクションノートでは、私が取材時に綴った『取材ノート』を連載したいと思います。この取材ノートは実は、『20歳のソウル』の第一稿とも呼べる作品で、大義くんの物語をどのような視点で、構成で書いたら良いか、まだ決めかねていた時に書いたものです。

自分自身の視点から、取材当時に起こった出来事を事細かに、記しています。

 

映画の脚本の中には描かれなかった、ありのままの市船の姿を書いています。さらに映画が面白く御覧いただけるのではないかと思います。

 

また、市船生の象徴として描いた「佐伯斗真」(佐野晶哉さんが演じています)がどのようにして生まれてきたか、市船生や大義くんのお友達との交流も描いていきたいと思います。

 

※※※

 

「どうぞー!」

先生の声が大きく響きました。私は一瞬どきっとしましたが、男子生徒の横から部屋の中に入りました。面食らったのはなんといっても畳とちゃぶ台です。「音楽準備室」という部屋のプレートを再度確認したくなるほどの違和感がそこにありました。ちゃぶ台を囲んで、二人の男性が座っています。手前側に座っている男性はこちらに背を向けて座っているのでお顔が見えません。向かって右手に座っていた男性がこちらを見ています。「あ、高橋先生だ」と思いました。挨拶する前に再び先生の大きな声が響きました。

「どうぞ」

先生は今度は右手で自分の向かい側を指しながら言いました。廊下の隅々にまで聞こえるかと思われるほどの大きな声に、私は一瞬怒られているのかと思って、心臓がすくみました。急いで頭を下げ、挨拶しました。

「初めまして、中井です。あの、突然お邪魔して申し訳ありません…!」

私がごにょごにょと言い終わる前に先生は再び「どうぞ入ってください」とまたも大きな声で促しました。「はい!」と入口でスリッパを脱ぎ、ストッキングの足で畳に上がりました。先生に示された通り、先生の向かい側に正座しました。ちゃぶ台には土産物らしきお菓子やマグカップが置いてありました。

ロケ用に飾られた音楽準備室

 

「ちょっと待ってください」

高橋先生は私にそう断ってから、隣の男性と話し始めました。隣にいる男性は、楽器の先生のようです。会話の内容からすると、顧問の先生ではなく、外部からの講師のようでした。生徒一人一人の現在の能力について、先生に話しているようです。先生はその言葉に「うん、うん」と真剣に頷きながら聞いてらっしゃいました。その相槌もいちいち大きかったので、先生の声のボリュームは怒っているわけではなくて地声なんだな、と安心しました。

高橋先生とその講師の方とのお話はまだまだ終わる気配がありません。私はじっと待ちながら、先生の様子を観察するともなく見ていました。実際にお会いする高橋先生は、想像していたよりずっとお若い印象です。髪を短く刈り上げ、身体はがっしりしていて、屈強という表現がふさわしい体型をしてらっしゃいます。声の大きさのせいだけではないと思いますが、只者ではないオーラを発していました。吹奏楽部というより野球部の監督のような印象です。この先生に一体どうやって話を切り出そう…私は待ちながら頭の中でいろいろ考えていましたが、まったくまとまらないままでした。

ふいにドアがノックされ、今度は女子生徒が顔をのぞかせました。緑色の体操服を着ています。さっき出迎えてくれた男子生徒よりも、先生に対する態度が少し堂々としている感じがします。もしかして緑のジャージが3年生なのかな、と思いました。はて、さっきの男子生徒は何色のジャージだっけ…と思い出そうとしていると、ふいに先生が私に問いました。

市船の緑ジャ

 

「飯、食いました?」

いきなり突拍子もない質問だったので、私はすっかり面食らってしまい、思わず「まだです」と正直に答えてしまいました。実際ここへくるまでの数時間、とても緊張していてご飯を食べられる心境ではなかったのです。が、そう答えた後すぐに反省したのは言うまでもありません。先生はまったく表情を変えずに「じゃあ三つ」と女子生徒に告げて、すぐに講師の先生との話に戻りました。その女子生徒もさっと部室を出ていきました。一体なんだったんだろうと思いながら、再び私は黙って先生たちの会話を聞いていました。再び部屋がノックされ、今度は赤いジャージを着て眼鏡をかけた背の高い女子生徒が入ってきました。手にトランペットを持っています。高橋先生は彼女を見るとすぐに部屋に入るように指示し、床に並べられていたケースの中から新しいトランペットを出させて、彼女に吹くように指示しました。彼女は「はい」と淡々と答えると、手慣れた手つきで楽器を構え、メロディを吹き始めました。

初めて間近で聴く、トランペットの音色でした。

オーケストラのコンサートやミュージカルなどで生の楽器の音を聴くことはありますが、こんなに間近で音が鳴っているのを耳にするのは初めてでした。プワーっという音が胸の奥にまで反響するような心地です。私は単純にその音に感動していました。知らない曲でしたが、情感があって懐かしい感じがする素敵な曲でした。金管楽器のもつ繊細ながら野太い音色は新鮮な感覚でした。大義くんはトロンボーン奏者でした。彼はどんな音色で曲を奏でたんだろう、と思いを馳せました。

高橋とその講師の先生はじっと音に耳を傾けてらっしゃったのですが、彼女が吹き終わると、次に彼女が持っていたトランペットを吹くように言いました。彼女はまた淡々と楽器を持ち替え、吹き始めます。さっきと同じ曲でした。同じですが、さっきの音ほどに軽やかでなく、深いような分厚いような音色がしました。先生はその後も交互に何度か吹かせて、「どっちが吹きやすい?」と聞きました。彼女は「こっちです」と、もともと彼女が手にしていたものを指しました。「分かった、いいよ」先生が言うと、その女子生徒はペコっと一礼して部屋を出ました。その後の高橋先生と講師の会話から、彼女に種類の違うトランペットを吹かせたいのだと分かりました。「生まれながらのラッパ吹き」と先生が彼女を形容しているのが印象に残りました。

どうやらお話は終わった様子で、先生は講師の方に「ありがとうございました」と頭を下げられました。講師の方も一礼しました。ついでに私にも会釈してくださったので、私も慌てて礼を返しました。講師の方が部屋の戸を開けて出ていく時に廊下にいた生徒たちの声がザワザワと聞こえてきました。時刻は八時を過ぎていましたが、まだ残っているのだなと驚きました。

先生は講師の方を見送った後、正面に座っている私に向き直り、こう仰いました。

 

「それで、あなたは何者なんですか」

 

よく通る声がまっすぐ私に向かって飛んできました。しかも「あなたは何者か」というダイレクトな質問。生まれてこのかた、そんな質問をされたことがありません。ですがこの時の私は先生にとってはまさに不審人物であるはずです。それ以外にどんな質問をするのかというくらいに的確すぎて、私は思わず笑ってしまいました。先生の表情は疑心より好奇心が強いように思えました。こんなにストレートに聞かれると、何を取り繕っても無駄に思えました。私は素直に自分の気持ちをお話することにしました。

「大義くんの告別式を見て、凄いと思いました。どうしてあんなことが実現できたんだろうかと…」

まず切り出したのは、そんな内容でした。いきなり本題に入るとは我ながら大胆です。ですが、先生はじっと私の話を聞いてくださいました。朝日新聞にあの告別式の記事が掲載されてから、いくつかのテレビ局が大義くんの話を取り上げたいとお話をもってきたそうです。しかし、先生はすべて取材をお断りしたと仰いました。私が「映画のようだ」と思ったことは、やはり他の方も思っていたようで「ドラマにしたい」というお話が多かったようです。ですが先生は、それらの依頼や取材をすべてお断りしたと仰いました。

「誠意と熱意が感じられなかったからです」

そう先生は仰いました。とてもフランクな方に見えますが、実際は厳しく人や状況を見ていらっしゃると思いました。そして、私にその「誠意と熱意」があるのか、再び自分を振り返ってみました。自分では、よくわかりませんでした。

「(告別式での演奏は)何も特別なことではないんですよ、市船の吹部にとっては。ただ、(先輩・後輩・同期などの)ほぼ百パーセントの人間が集まったというのは、大義の人柄でしょうね」

 

大義くんの実際の告別式の様子

市船にとっては特別なことではない、という言葉が私には意外で、しばらくどういうことなのか考えてしまいました。少なくとも、百六十四人もの人が楽器を持って葬儀場にやってくる姿は当たり前のことではありません。そして、卒業して数年が経つ生徒たちにそれを呼びかけることも、いくら顧問だからとはいえすぐにできることではない気がします。先生は、続けてこう仰いました。

「たとえ(亡くなったのが)大義じゃなくても、(演奏を)やりましたね」

私のそれまでの先入観が覆される言葉でした。私はきっと浅野大義くんだったからこそ、この感動的な吹奏楽での葬儀が可能になったのだと思っていました。だから、そんなふうに送り出される人がどう生きたのかを知りたかったのです。しかし先生は「大義じゃなくても」と仰いました。それは考えてもみませんでした。

再びドアがノックされ「失礼します」と生徒たちが2名ほど入ってきました。皿をのせたトレイを持っています。ちゃぶ台に皿とお茶を並べてくれました。

「どうぞ」

先生に勧められるまま、私も皿を受け取りました。プラスチック製の底の深い皿に、肉を卵でとじた丼が持ってあります。皿はまだ温かでした。さっき、「飯は」と聞かれた理由がやっと分かりました。分かりましたが、急に温かなご飯が出てきたことのほうがびっくりしました。

「今、合宿中なんですよ」

高橋先生は、皿に箸をつけながら仰いました。合宿と聞いてびっくりしました。午後八時を過ぎても部員の皆さんがいっこうに帰ろうとしていなかった理由が分かりました。まさか合宿中にお邪魔してしまうとは、と再び私は恐縮しましたが、先生は「かまいませんよ」と仰ってくださいました。ジャージでの練習といい、合宿といい、高橋先生の風貌といい、ますます運動部のようだな…と思いました。先生に促されて、私もご飯を頂きました。そのご飯は、役員の皆さん(部員の保護者の方々で構成される)が作ってくださったものだそうです。

卵とじ丼をすべて平らげると、先生は「全部食べられたんですか、大丈夫ですか!?」と笑って仰いました。私は、出されたものは残さない精神で食べたのですが、確かに量が多く満腹でした。お茶をいただきながらお礼を言うと、先生は仰いました。

「中井さんには、大義のことお話します」

大義くんが振った初代の大旗

(さらに…)

2022.05.31
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皆さんこんにちは!

「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。

 

 

今日で5月も最終日、「20歳のソウル」が全国公開して4日目となりました。

嬉しいことに、SNS等で「20歳のソウル」に関する感想をたくさん目にします。

公開して日に日に、全国の皆さんにこの物語が浸透してきているなと実感しています。

誠にありがとうございます。

 

 

昨日は原作・脚本の中井さんが

山崎怜奈さんがパーソナリティを務める、

TOKYO FM『山崎怜奈の誰かに話したかったこと』に生出演致しました。

 

https://audee.jp/news/show/92926

 

なんと、山崎怜奈さんも映画「20歳のソウル」を観てくださっていました。

ご自身も大義さんと同じでトロンボーンをやっていたとのことで、

「20歳のソウル」について熱く、中井さんと語りあってくださいました。

 

 

ラジオ中でも大義さんの作曲した、

『Jasmine〜神からの贈り物〜』

が流れました。

 

映画のチラシのキャッチフレーズにもなっている

 

『俺の音楽は生き続ける』

 

という、まさに言葉通りに

大義さんの音楽が、生き続けているなと感じます。

 

こちらの曲は

Apple Musicにある

 

『映画「20歳のソウル」オリジナル・サウンドトラック』でも

 

聴くことができるので、是非たくさんの方々に聴いて欲しいなと思います。

 

昨日の

TOKYO FM『山崎怜奈の誰かに話したかったこと』

こちらも、5/31の20時45分まで

radikoにて視聴できますので、

是非、山崎怜奈さんと中井さんの熱いトークも聴いて頂けたら嬉しいです。

 

 

話は変わりますが

実は今日で僕はこちらのプロダクションノートから卒業することになります。

 

1月の終わりから始まり、約4ヶ月間

 

「20歳のソウル」を少しでも多くの方々に知って欲しい。

 

そんな想いで、監督、中井さんと3人で毎日更新してまいりました。

 

 

「毎日プロダクションノート楽しみにしてます!」

 

と、たくさんの方々から何度も声をかけて頂きました。

我々の書くプロダクションノートを読んでくださる皆様がいたから、ここまで続けることができました。

本当に感謝申し上げます。

 

僕たちがこの作品にかけた想いが、

このプロダクションノートを読んでくださっている皆様に少しでも伝わっていれば嬉しく思います。

 

 

明日からは毎日更新という形ではなくなるかと思いますが

定期的にこちらのプロダクションノート、

または監督のブログなどで「20歳のソウル」についての情報が更新されていくと思います。

僕も、また船橋にひょっこり出没したりするかもしれません(笑)

見かけた際は是非お声がけください!

 

 

改めまして、

「20歳のソウル」

そしてこのプロダクションノートを応援頂き、誠にありがとうございました!

引き続き、「20歳のソウル」を応援していただけますと幸いです。

 

この物語が皆様の心の中でずっとずっと、生き続けますように。

 

本日もご覧頂き、誠にありがとうございました!

2022.05.30
最新情報

皆さんこんにちは!

「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。

 

昨日は、秋山監督と一緒に

千葉県柏市のAPIEで開催されている

「アピエミュージックフェスタ2022」

にお邪魔しました!

 

僕は今回、初めて柏市のAPIEを訪れました!

 

APIE専門店街は、

最寄駅がJR常磐線柏駅の、

巨大遊園地、ゲームセンターなど、

さまざまなエンターテイメント施設が

揃った複合施設だそうです!(HPより)

 

そのAPIEさんで企画されているのが、

今回参加させていただいた

「アピエミュージックフェスタ2022」

です!!!

 

 

 

5/28,5/29に行われたイベントで、

市立柏高校の吹奏楽部OBの方や

市立柏高校の吹奏楽部の皆さん、

開智国際大学吹奏楽部の皆さんの

演奏が披露されました!

 

休日ということもあってか

とても賑わっているAPIEさんで、

 

なんと僕たち「20歳のソウル」スタッフの

トークショーのお時間をいただきました!

 

 

「20歳のソウル」の宣伝プロデューサーの西田さん、本当にありがとうございます。

 

個人的なお話になってしまいますが、

秋山監督や中井先生のインタビューに

ご一緒させていただかくことはあっても、

「20歳のソウル」の助監督としてトークショーに参加させていただくのは初めてでした!

 

正直、、、

かなり緊張しました。笑

 

トークショーでは、

「20歳のソウル」の撮影の裏側について

お話をさせていただきました!

 

参加してくださった皆さんに、

少しでも楽しんでいただけていたら嬉しいです!

APIEの皆様、本当にありがとうございました!

 

 

トークショーのあとに、市柏吹奏楽部の

皆さんの演奏があったのですが、

僕は先にリハーサルを拝見しました!!

 

「20歳のソウル」のおかげで、

市船吹奏楽部の皆さんの

素敵な演奏に出会うことができましたが、

 

市柏吹奏楽部の演奏を聴いて、

たくさんの学校の吹奏楽部の皆さんに

それぞれの歴史やストーリーがあるのだと

改めて感じる機会となりました。

 

演奏前に映画のトークショーで

お邪魔をいたしましたが、

会場にいらしている皆様をはじめ

暖かい時間を本当にありがとうございました。

 

 

「20歳のソウル」

公開から3日目。

 

部活動に打ち込む多くの皆さん、

その保護者の方々や先生方など、

枠にとどまらないたくさんの方に、

「20歳のソウル」が届きますように。

 

皆さん、本日もご覧いただき誠にありがとうございました!

2022.05.29
最新情報

皆さんこんにちは!

「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。

 

 

昨日は

船橋市民ギャラリーで開催されている

20歳のソウル特別展にて

市船吹奏楽部によるアンサンブル演奏が行われました!

 

 

会場には市船吹奏楽部の演奏を聴きに、本当にたくさんの方々がお越しになっていました!

 

昨日の演奏では

大義さんの作曲した

 

『Jasmine〜神からの贈り物〜(クラリネット4重奏)』

 

動画1(クリックして再生)

 

そして、市船の名応援曲であり

映画の野球応援でも演奏されている

 

『市船soul』

 

動画2(クリックして再生)

 

を聴くことができました。

 

 

 

『Jasmine〜神からの贈り物〜(クラリネット4重奏)』

は、僕も今回初めて生演奏を聴くことができました。

重低音から始まり、

ゆっくり、スーッと心に染み渡るようなとても素敵な音楽でした。

 

 

また、昨日の20歳のソウル特別展には

大義さんのご家族

そして、朝日新聞の『窓』で大義さんの話を綴った、岩崎さんもいらっしゃっていました。

 

観覧後に、大義さんのご家族、岩崎さん、中井さんとお話しさせて頂きました。

 

お母様が朝日新聞の『声』欄へ投書し、

それを読んだ岩崎さんが朝日新聞の『窓』へ、

そして秋山監督、中井さんへ伝わり、

今回、映画に。

 

大義さんの物語を繋いでいった方々が集まり、お話しするという

奇跡のような、それでいて必然を感じる瞬間でした。

 

 

お母様が

「よくあの投稿を記事にしようと思いましたね」

とおっしゃると

 

岩崎さんは

「読む人が読めば感じるものがあるんです」

とおっしゃっていました。

 

それはきっと岩崎さんの書かれた『窓』を読んだ秋山監督も

岩崎さんの書かれた文章に込められた想いを見ていたのではないかと思います。

 

想いを込めた文章だから、読んだ人に伝わる愛があるのだと僕は思いました。

 

 

中井さんの書かれた「20歳のソウル」は

最初に書いた脚本は3時間を越える尺だったと聞きました。

 

それでもきっと、伝えたいこはまだまだあったと思います。

脚本には書ききれなかったけど、伝わってくるもの

それがこの映画には込められていると僕は思っています。

 

 

大義さんの物語、そして音楽は

今もこれからもずっとずっと生き続けていくんだな。

 

昨日はそんなことを感じた1日でした。

 

 

映画「20歳のソウル」

公開してから直接お声がけをいただいたり、SNSなどで本当にたくさんの感想を目にします。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

まだまだこの物語が多くの方々のもとへ届きますように。

 

希望の映画

「20歳のソウル」

どうぞよろしくお願い致します。

 

 

本日もご覧頂き、誠にありがとうございました。

 

2022.05.28
最新情報

20歳のソウル

監督の秋山です

 

ついに

 

20歳のソウル

全国公開がスタートしました

 

感無量です

 

なにか

力が抜けて

ふわふわとしています

 

 

初めて

大義くんのことを知ってから

五年

 

昨日から

全国各地の

スクリーンで

大義くんの物語が流れている…

 

 

良かった…

 

ミッションコンプリート

 

 

 

 

ここまで

 

スタッフ一同

文字通り

命懸けでした

 

たくさんのミラクルがありました

 

大義くんが

守ってくれたのだと思います

 

大義くん

 

おめでとう

 

ありがとう

 

 

大義くんの生きた証は

 

僕らの生きた証です

 

 

そして

 

スクリーンにかかった瞬間から

 

見ていただいた皆様の

生きた証に

なることを祈ります

 

 

東京は

朝から土砂降りでした

 

嵐のようでした

 

 

それが

午後になると

晴れ間が出てきて

 

青空が広がってきました

 

 

大義くんのところに

行く時は

必ず

そうなのです

 

 

雨のち快晴

 

 

雨上がりの空は

澄み切って美しく

 

雨上がりの空気は

気持ちよく

透明です

 

 

最後の最後まで

 

大義くんの

演出に違いありません

 

 

テレ朝時代

通い慣れた

六本木ヒルズで

 

 

二度の舞台挨拶

 

 

青空が

気持ちよかったです

 

 

さて

 

中井由梨子さんと

宮下涼太と

3人で

 

 

毎日書いてきた

プロダクションノートですが

 

 

宮下涼太は

今月いっぱいで

卒業します

 

次は俳優として

 

是非是非

応援してあげてください

 

 

みやしー

 

お疲れ様でした

 

 

あと数日

 

魂のプロダクションノートを

よろしくお願いします‼️

 

みやしー卒業後は

 

僕と中井さんで

プロダクションノートは

続けていきます

 

 

引き続きよろしくお願いします

 

2022.05.27
最新情報

皆さん、こんにちは。

中井由梨子です。

 

 

ついにこの日がやってきました。

本日より、全国の劇場にて『20歳のソウル』が公開されます!!

 

 

昨夜はTOHOシネマズ日比谷にて、前夜祭が行われました。

 

 

ビデオで市船soulを演奏してくださる市船吹奏楽部と共に、市船ダンス部〝パイレーツ″の皆さんが、野球のスタンドと同じように市船soulで踊り、オープニングを飾ってくださいました。

市船のダンス部は野球応援でも「名物」と言われる、クオリティの高いダンスパフォーマンスで全国大会出場も成し遂げるほどの、代々の実力派チームです。

映画でも応援シーンでご出演いただき、スクリーンを華やかに彩ってくださいました。

 

そんなダンス部の皆さんが躍る中、出演者の皆さんと監督が登場。

「20歳のソウル」ではすっかりお馴染みとなってくださった笠井信輔さんの司会進行でご挨拶がありました。

 

 

いよいよ翌日から公開、ということもあり、それまでの試写会とはまた違った、緊張感のあるトークだったように思います。

特に、市船出身で実際に部長を務めていた佐藤美咲さんは、緊張の中でも「ただ生きるではなくて生ききる、ということを感じてほしい」とお話していて、撮影の時の緊張感を思い出しました。

神尾さんと秋山監督も、劇中の一日は神様からのギフト、という大義くんが『Jasmine』という曲に込めた思いを語られていました。

 

 

そして、この後。サプライズがありました。

高橋健一先生からの、お手紙です。

 

先生からの手紙、と聞いただけで。

 

……泣きますよ。

 

 

客席には、大義くんのお母様の桂子さん、妹の千鶴さん、そして恋人だった愛来さんがいらっしゃいました。

大義くんにとって一番大切だった三人の女性の存在が、私の涙腺をさらに刺激しました。

 

5年前、生きることに迷い、人生に迷っていた私の背中を押してくれた大義くん。

まるで自分自身に闘いを挑んでいるような…と先生がおっしゃったように、私は必死でした。

きっと何かを見つけたかったのでしょう。

生きる意味、私がやらなければならないことは何か、必死で探していたのでしょう。

 

光を見せてくれたのは、大義くんでした。

生きるって楽しいじゃん!と笑ってくれたのは大義くんでした。

 

お母様の桂子さんはじめ、素晴らしい方々からたくさんの愛をもらいました。

その愛に応えたくて、舞台を作り、本を書きました。

そして映画へと。

 

 

この映画を企画したのは、メガホンをとった秋山純監督です。

 

 

2017年4月12日の早朝。

私にLINEで朝日新聞のニュースを送ってこられたことがきっかけでした。

 

 

秋山監督は以前、テレビ朝日で『ママが生きた証』という実話を元にしたドラマを監督なさっています。

監督は、実話を使わせていただく時の強い信念を持たれています。

 

 

「僕らは、大義くんの物語を使わせていただいている。何事も、大義くんありきだよ」

 

 

折に触れて監督はそうおっしゃいます。

 

大義くんにとって、私達、映画組はあくまでも他人。

 

だから、彼が大切にしていた領域に、土足で入ってはいけない。

 

 

その信条は、作品の細部に宿っています。

 

 

この映画がドキュメンタリーのような仕上がりを魅せているのは、秋山監督のきめ細やかな配慮であり、大義くんへのリスペクトです。

 

 

「今日も一日を大切に生きます」

 

 

大義くんを想い、監督は毎日こう仰っています。

 

 

こんなに純粋に作品作りをする監督を、私は知りません。

 

 

ここだけの話ですが、なんと秋山監督は公開に向けて毎日1本、コーラを飲んでいます。

これはコーラが大好きだった大義くんへのリスペクトを込めているそうです。

(ちょっとお体が心配になりますが)この心意気は誰も真似できないですよね。

 

 

監督が私達映画スタッフに、名前入りの市船ジャージを買ってくださったのも、衝撃でした。

そこには「大切な時間を映画のために使ってくださっている市船の皆さんと、少しでも一体になりたい!」という想いがこめられていました。

 

 

どこまでも優しく、他人への想像力が豊かな秋山純監督。

そんな秋山監督だからこそ撮れた、奇跡のような映画です。

 

 

 

「大義は明日から日本中を旅します。きっと空から

 

やったぜ!日本中の人に会えるぜ!ありがとう中井さん!

 

と言っている声が聴こえます」

 

 

先生がこう仰るように、大義くんが笑ってくれていたら、本当に嬉しい。

 

 

 

高橋先生の言葉です。

 

「人は二度死ぬという。一度目は肉体の死。二度目は人の記憶から忘れ去られること」

 

本によって、映画によって、大義くんに二度目の死は迎えさせない。

それどころか、多くの方の胸の中でずっと生き続けていけるように。

 

そしてそれは、大義くんだけではなく、すべての人がそうなのだということを、この映画は伝えてくれます。

 

 

 

 

この映画は大義くんの物語であり、貴方の物語でもあります。

 

 

 

人は誰も死ぬ。

やるべきことは、生ききることだけ。

 

 

 

どうか皆さん、劇場で大義くんに会ってください。

 

2022.05.26
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皆さんこんにちは!

映画「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。

 

 

先日オープンした20歳のソウル特別展には、

市船の卒業生の方々や船橋市に在住の方々、「20歳のソウル」の出演者のファンの方々など、幅広くたくさんの方々にご来場頂いているようで大盛況とのこと!

 

そんな20歳のソウル特別展に

「20歳のソウル」の撮影でとてもお世話になった、古谷式典さんからお花を頂きました!

 

 

「20歳のソウル」では、古谷式典さんの

ゆいまき斎苑で撮影をさせて頂きました。

 

ゆいまき斎苑での撮影は全てタイアップで、

当時のスタッフの方々を集めてくださったり

祭壇も当時を再現して頂いたり

告別式のシーンで必要なありとあらゆるものを揃えて頂きました。

 

大変お世話になった古谷式典さんの中でも、

特に、ご担当の木村さんにはたくさん相談にのっていただき、大変お世話になりました。

誠にありがとうございました。

 

木村さんは、映画の中で石黒賢さん演じる『木村』役のモデルとなった方です!

是非、映画でも注目してみてくださいね!

 

 

そんな古谷式典さんからお花が届いたと聞き、昨日も20歳のソウル特別展にお伺いしてきました。

 

エレベーターを上がるとすぐに発見しました!

 

古谷式典さんから届いたお花は

大義さんのおじいちゃんから送られたお花のすぐ横に

 

『浅野大義君へ』

 

と綴られ、飾られていました。

 

 

 

撮影で多大なるご協力を頂き、1年以上経った今もお心遣いを頂いていることに

とても胸が熱くなりました。

 

入り口だけでなく、20歳のソウル特別展内にも

古谷式典さんから届いたお花が、たくさん飾られていました。

 

 

 

主催の方々も

「お花を頂き、華やかになってとてもありがたいですし、

観に来て頂いた皆様にも、とても喜んで頂いています」

と、おっしゃっていました。

 

 

本日は前夜祭。

そして明日はついに「20歳のソウル」全国公開の初日です。

 

本当にたくさんの方々に支えられ、ここまで来ることが出来ました。

「20歳のソウル」の撮影期間を振り返ると、

今日、明日という日が奇跡のような2日間に感じます。

きっとこれも、神からの贈り物なのではないかと思います。

 

一日一日を大切に。

 

映画「20歳のソウル」

是非劇場でご覧ください。

 

2022.05.25
最新情報

皆さんこんにちは!

20歳のソウルでチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。

 

昨日、5月24日

船橋スクエア21の3階、船橋市民ギャラリーにて

ついに、20歳のソウル特別展が始まりました!!!

 

朝10時から開催されたオープニングセレモニーには、

「20歳のソウル」から

池田朱那さん、佐藤美咲さん、

原作・脚本の中井由梨子さん

監督の秋山純監督が出席されました。

 

オープニングセレモニーではテープカットや

池田さんのオープニングアナウンスに合わせた、くす玉の演出などもあり

とても華やかに行われました!

 

 

秋山監督が着用しているジャンパーは、監督の誕生日に浅野大義さんのご家族から頂いた世界に一つだけの名前入りジャンパー!

 

 

着用していたTシャツも市船吹奏楽部の定期演奏会と20歳のソウルがコラボした記念Tシャツです!

 

 

 

20歳のソウル特別展では、

撮影中に撮ったたくさんの写真やキャストの皆さんが着用した衣装、

市船吹奏楽部に関連するもの、

大義さんのおじいちゃんがやられている写輪館からお借りしたお写真など

いろんなものが飾られています!

また、訪れた方が更に楽しめるようなフォトスポットもございます!!

 

昨日も平日にもかかわらず、たくさんの方々が来てくださいました!

是非、我々が過ごした時間を皆様と共有できたら嬉しいなと思います!

 

映画「20歳のソウル」公開記念 特別展覧会!

是非お立ち寄りください!

 

 

その後、

船橋駅近くにある、

くまざわ書店シャポー船橋店と

旭屋書店船橋店に伺いました。

 

くまざわ書店シャポー船橋店では、

「20歳のソウル」をポップを用いて華やかに宣伝してくださっています!

 

 

今回は「20歳のソウル」コーナーを担当した方にはお会いできなかったのですが、

監督と中井さんのサインをポスターとパネルに記させて頂きました!

 

 

 

 

旭屋書店船橋店では、

先日、中井さんのトークショー&サイン会を開催していただいたり

昨日は何と中井さんの直筆サイン本を発見しました!

 

 

中井さんのサイン本はなかなか手に入らないと思うので

是非一度、旭屋書店船橋店にも訪れてみてください!!!

 

 

話は変わりますが、

昨日は個人的にすごく嬉しいこともありました!

なんと2名の方から

「プロダクションノート見てますよ!」

と、お声がけ頂きました!!!

 

このプロダクションノートを始めてから約4ヶ月間

監督と中井さんと毎日更新してきました。

たくさんの方々のご協力のおかげで、

「20歳のソウル」が広まってきているなと

ここ最近すごく感じております。

誠にありがとうございます。

 

明日はついに前夜祭

そして、明後日から全国公開が始まります。

 

全国のたくさんの方々にこの作品が届き、

皆様が感じていただいた「20歳のソウル」を大切にしていただけたらとても嬉しく思います。

 

 

本日もご覧頂き、誠にありがとうございました。

 

 

 

©2022「20歳のソウル」製作委員会