『20歳のソウル』Production Notes

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2022.05.04
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皆さんこんにちは!

「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。

 

 

昨日はとても熱い1日となりました!

第75回春季千葉県高等学校野球大会

関東大会をかけた、市船の試合の応援に行ってきました!

相手は強豪、拓大紅陵!

球場で監督と中井さんと待ち合わせ、チケットを購入!

球場内へ!

 

 

市船ベンチ側のバックネット付近に席を確保

準備万端です!

 

 

昨日は天気もすごく良く

「20歳のソウル」の撮影の時と同じような素敵な雲を発見しました!

撮影がとても上手くいったということもあり、我々の期待も高まります!

 

 

市船のシートノック!

関東大会をかけた試合

監督も選手も緊張しないはずはありません!

選手全員が大きな声でコミュニケーションを取らながらボールをさばいていました!

 

 

そしてついにプレイボール!

市船と拓大紅陵の試合開始です!

 

 

市船はみんなで声をかけ合い、どんな時でも楽しそうにプレーしていました!

攻守交代の時はスタンドまで聞こえてくるくらいの大きな声で戻ってきて、こちらまで笑顔になります!

対する拓大紅陵は強豪校らしいクレバーな野球

チャンスがあればここぞとばかりに得点へ繋げてくる!

守っては素人の僕から見てもわかるくらいの固い守備!

 

両校譲らずの拮抗したとてもハイレベルな試合!

8回が終わって5対4と市船が1点リード!

 

 

そしてラスト9回表!

暑い中、好投を続ける市船のピッチャー!

最終回もマウンドに上がり、きっちりおさえてゲームセット!

5対4で市船の勝利!

なんと市船は春季大会では26年ぶりとなる関東大会への出場権を手にしました!!!

市船野球部の皆さん、誠におめでとうございます!!!

 

 

 

対戦相手の拓大紅陵も見事な3位!

両校とも本当に素晴らしい試合でした!

痺れる試合をありがとうございました!

 

 

準決勝に勝利した市船は本日、

銚子商業との決勝戦です!

 

昨日の試合では、市船soulは聴くことができず

早く球場で生の市船soulを聴きたいな

とも思いますが

まずは目の前の一戦!

 

優勝目指して頑張れ!

市船!!!

 

2022.05.03
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20歳のソウル

監督の秋山です

 

市船野球部の

快進撃が続いています

 

昨日

市立船橋が2対0で

東京学館に完封勝利を挙げたことにより

 

夏の甲子園

千葉大会の

3年ぶり

Aシードを決めました

 

https://www.hb-nippon.com/chiba/report/2312-hb-chiba-game2022/22670-20220501002

 

 

それだけでは

ありません

昨日ベスト4を決めたことで

千葉の準決勝に臨むのですが

 

試合情報↓

 

5月3日(火)準決勝

VS拓大紅陵

千葉県総合SC野球場

第2試合 12:30~

 

 

今日の試合で

勝利したら

関東大会の出場権を得ます

 

となると…

 

なんと

市船ソウルが

初めて

千葉県から外に出ることに

なるのです

 

大義くんも

大応援しているに

違いありません

 

20歳のソウル

映画実現に向けては

海上先生をはじめとする

野球部の皆様に

取材段階から

大変お世話になりました

 

撮影のため

グラウンドをお借りすることで

練習の妨げになったことも

あったと思います

 

野球部OBの皆様には

用具をお借りしたり

出演もしていただきました

 

※写真は撮影時の写真です

 

 

高野連より

特別に許可をいただき

本物のユニフォームもお借りしました

 

感謝しかありません

ありがとうございました

 

※写真は撮影時の写真です

 

 

20歳のソウルには

松大航也くんが演じる

滝沢

という野球部員が

重要な役で存在しますが

 

このエピソードは

原作、脚本の中井さんが

高校野球千葉大会に通った時

 

とても優しく取材に答えてくれた

エピソードに基づいているそうです

 

 

ロケで市船を訪れた時

野球部員の皆さんの

大きな声の挨拶は

身を引き締めてくれました

 

テレビ局にいた頃

熱闘甲子園

という番組に

関わらせていただきました

 

高校球児の爽やかさは

やがてやってくる

夏の暑さを吹き飛ばしますね

 

 

ちなみに

今日の対戦相手

拓大紅陵は

吹奏楽部のパフォーマンスもすごいのです

 

市船野球部

四番キャッチャー片野選手の記事です↓

 

https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/04/26/kiji/20220426s00001002143000c.html

 

 

20歳のソウルのロケで

僕らが市船に通っていた頃は

一年生ですね

 

表情も頼もしい‼️

 

もちろん

高校野球は

勝ち負けではありません

 

両校ともに

 

力の限り

闘うことが出来るように

グラウンドで

怪我なく

練習の成果を出すことが出来るように

祈ります

 

今日の準決勝

僕も

応援に行きます‼️

 

※写真は撮影時の写真です

2022.05.02
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皆さん、こんにちは。

中井由梨子です。

 

 

船橋駅の「20歳のソウル」祭りはすごいですね!!

先日訪れた際、お声がけくださった皆さん、ありがとうございました☆

 

これからもちょくちょく船橋には訪れますので、もし中井を見かけましたらお気軽に声かけてください!

 

 

 

さて、試写会も御覧になった方ならお分かりになるかと思いますが、原作でとても大事にした、大義くんの後輩である「ユースケ」という存在を、映画では、大義くんの発病後に出会う後輩(小島樹さんが演じています)として描いています。

 

「ユースケ」のモデルとなった実際のNさんには、私は何度かお会いしてお話を伺っています。

実はこのNさんは、大義くんの発病時や闘病中にも傍にいて、間近に接していた一人ですので、私はかなり突っ込んでお話を伺っていました。

 

 

その頃の取材ノートから、こちらをご紹介します。

 

 

※※※

 

 

中学では男子の中でもリーダー的だった大義くんの後を継いで自分もリーダー格になり、部活では副部長を務めました。

高校進学の時に市船を考えたのも大義くんがいたからでした。

「来ればいいじゃん」と大義くんが誘われたことが大きく、本当は違う高校も考えていたそうなのですが、最終的には市船に決めたそうです。

大義くんの存在を追いかけて市船に入学してきたユースケさんは、中学時代には、華奢でひょろっとしていた体型だった大義くんが、高校にはいってみるみる筋肉をつけ、

がっしりとした体型になったことが驚いたそうです。その代わり、中学時代の悪戯精神はなりをひそめ、どちらかというとクールな感じになっていたとか。

 

「先輩、(高校では)おとなしいですね」と言うと、大義くんはニヤリと笑って「これからだよ」と言ったそうです。

しかしながら、すっかり高橋先生に心酔していた大義くんは、結局お利口なままで卒業していきました。

時々ユースケさんに「(高校での)俺は本当の俺じゃない」と話していたこともあったそうです。

周囲の皆から「クールでカッコつけ」と評されていた通り、大義くんは高校では精一杯かっこつけていて、なかなか素の自分のはけ口を見つけられずにいた中、

唯一、伸び伸びとした過去の自分を知っているユースケさんにそんなことを漏らしたのかもしれません。

 

「賢いけどバカなんですよ」

 

ユースケさんは夏の取材でそんなふうにも言っていました。

 

大学も同じ尚美学園大学に入り、よく学校の行き帰りを共にしてご飯を食べたり、構内の空いている教室で大義くんがピアノを弾いてユースケさんが歌ったりしていました。

 

https://twitter.com/au_by_KDDI_7/status/615799783492444163?s=20&t=VVYwU21ns29iajmEomB9LQ

 

https://twitter.com/au_by_KDDI_7/status/605651572446523392?s=20&t=VVYwU21ns29iajmEomB9LQ

 

 

大義くんは小さなサイズのスコアをいつも持ち歩いていて、電車の中でそれをじっくりと読むのが好きだったそうです。

決して勉強好きなタイプではなかったそうですが、楽譜と睨めっこしながら和声やコード進行や曲の仕組みを考えることだけは熱心にやっていたとか。

 

二度目の訪問ということもあってすっかり打ち解けて話ながら、ユースケさんは空き教室に案内してくださり、向かい合って座りました。

稽古の空き時間ということであまり時間がありません。私はすぐにユースケさんへの取材を始めました。話はいきなり核心に迫るものでした。

 

 

二〇一五年の九月二十八日のことです。

この日は木曜で、大義くんもユースケさんも大学で授業がある日でした。

ユースケさんはよく、大義くんに「何限からですか?」と聞いて、時間が合えば一緒に通学することがよくありました。

大抵、途中駅の朝霞台の駅で待ち合わせていたので、この日もそこで待ち合わせて行く予定でした。

二十六日のLINEでは「行くよ~」といつも通りの返信がきていました。

大義くんはいつも先に着いて、駅のホームのベンチに座って待っていたそうです。

 

ですからその日の朝、ユースケさんはいつも通り朝霞台の駅のホームに降り立ちましたが、いつものベンチに大義くんがいません。

しばらく待ってもいっこうに現れる様子がなく、何度も携帯に連絡をしましたが応答がありません。

やっと連絡がきたと思えば、二和病院で入院しているとのことです。

激しい咳と吐き気のためです。本人はおそらく喘息だろうとのことでした。以下はユースケさんと大義くんの実際のやりとりです。

 

***

ユースケさん「まだついてないですか。いっちゃいますよ」

大義くん「入院させられた」

ユースケさん「どうしたんですか」

大義くん「喘息―」

ユースケさん「大丈夫ですか。いつまで入院ですか?」

大義くん「まだわからない~」

***

 

その日、慌てて病院へ駆けつけると、大義くんは意外に平気そうで、検査があると言っていたそうです。

ユースケさんは翌日の二十九日にも病院へ行きました。

そこで交際相手の愛来さんにも出会い、挨拶をしました。

その時の大義くんの様子はいつもと違っていました。

 

言葉少なで表情も暗く、何かを怖がっている、と思ったそうです。

この翌日くらいから咳がひどいだけではなく声が出なくなり、筆談を行っていました。

 

「気持ちで負けないでくださいね」

 

ユースケさんは力を込めてそう言いました。むしろ、そう言うことしかできなかったのです。

 

三十一日、千葉大附属病院へ転院すると聞きました。

この時点で癌の疑いがあると告げられていたそうです。

ユースケさんはとても気になっていましたが、大義くんからの連絡を待っていました。検査結果が出るのが十月一日の予定でした。

十月二日、尚美学園大学に通う元市船生のグループLINEに、大義くんからの連絡がありました。

胚細胞腫瘍と診断されました。

心臓の前、肺、肝にも転移しているとのことで、治療が必要だから十二週間くらい学校休みます、といったさらっとした文章で、よろしくと、軽いタッチで書かれてあります。

ユースケさんは病名を聞いてさっと血の気がひく思いでした。

大義くんは適当に病気のことを話しています。

その報告に対する、グループのみんなのリアクションも「頑張れ」だとか、なんだか軽い。個人的に連絡しているのかもしれないけど、事の重大さがわかっているんだろうか。

大義くんは、こういった自分に関することを周り見せない人ではあるけれど、これは放っておけない―…と、ユースケさんはすぐに個人LINEにメッセージを送ります。

 

***

ユースケさん「肺に腫瘍があるんですか?精巣から転移したってことですよね。グループLINEでは軽く言ってましたけど、がんってことですよね。本当に12週間くらいで戻れるんですか?」

大義くん「本当に順調にいけば!」

ユースケさん「順調にいけば」

大義くん「でも12週間は本当に最短」

ユースケさん「そうか」

***

 

ユースケさんは、この時まだモヤモヤしていました。誤魔化そうとする大義くんに向き合って、自分くらいはちゃんと突っ込んで聞いたほうがいいのではないかと思ったのです。本当の

気持ちを吐き出させる場所があってもいいんじゃないかと思いました。

ですから、腫物に触るように接するのをやめ、本人の怖い気持ちを汲もうと、わざとストレートに突っ込んで聞きました。とにかく気持ちを溜め込まず、吐き出させたかったのです。

 

***

ユースケさん「すごい失礼ってゆーか不謹慎かもしれないけど、この病気の最悪の場合は?」

大義くん「病気でってよりは抗がん剤の副作用でって感じがある」

ユースケさん「副作用か、じゃあ最悪の場合死とかじゃないですね?」

大義くん「抗がん剤の副作用で亡くなることもある」

ユースケさん「そうだった、それは先生からきいたんですか?」

大義くん「そうそう」

ユースケさん「抗がん剤はいつから」

大義くん「今日!」

ユースケさん「もう始まってるんですか」

大義くん「進行のスピードが早くて早めにやらないとって感じ」

ユースケさん「LINEも正直きついですか」

大義くん「大丈夫!」

***

 

ユースケさんは、この時、自分の父が亡くなった時のことを思い出したそうです。

高校二年(二〇一三年)の春、ユースケさんが二年生にあがったばかりの五月でした。

父の容態が思わしくないのを分かりながら部活をやっていたユースケさんのもとに、亡くなったという連絡がきました。

その時、大義くんはじめ男部のメンバーは、下手に気遣う様子は一切なく、ダイレクトに話をしてくれたといいます。

辛いことでも、オブラートに包んだりせず、はっきりと話せる関係。

大義くんは中学から一緒だったのもあり、父が亡くなったユースケさんのことを気にかけ、言葉をかけてくれていたそうです。

だからこの時のユースケさんには、気遣いや迷いがありませんでした。十月四日にお見舞いに行き、再度大義くんを励ましました。

 

 

※※※

 

 

この頃、お父様を亡くした経験を持つユースケさん。

平気なふりをする大義くんのことを、放っておけなかったといいます。

 

 

実際の浅野大義くんが、心から気を許し、可愛がっていたユースケさん。

他の誰にも話さない本音を話していたであろう相手。

 

けれど、それでも病気のことはほとんど話さなかったようです。本当にかっこつけですね!!

 

 

 

私はこの大義くんのかっこよさは、やはり優しさから出るものだと思っています。

人に優しいから、人に甘えずかっこよくなれる。

ユースケさんに余計な心配をさせないように、優しさから、大義くんはそのポリシーを貫いたのでしょう。

 

 

その「かっこいい」大義くんの姿を、私は映画に昇華しました。

ぜひ、ヒーローのような姿をスクリーンで御覧ください。

 

 

公開まで、あと25日!!

 

 

https://twitter.com/au_by_KDDI_7/status/756704167822065669?s=20&t=VVYwU21ns29iajmEomB9LQ

 

 

 

 

2022.05.01
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皆さんこんにちは!

「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。

 

 

市船の吹奏楽部が練習している第3体育館には、

今もたくさんの歴代の先輩たちの写真が飾られています!

そして浅野大義さんが在学中には、それらの写真は音楽準備室に飾られていました。

 

大義さんが在学時代の音楽室や音楽準備室、

そして大義さんの家や病院などさまざまなロケ地の飾り付け

 

 

また、食事のシーンでは食事の準備をしてくださり

映画を彩るさまざまな装飾品を作ってくださったのが

美術スタッフの中で『装飾』を担当する方々でした。

 

今日はそんな「20歳のソウル」の素晴らしい装飾の数々をご紹介したいと思います!

 

 

「20歳のソウル」の装飾を担当してくださったのが、竹原丈二さんと山田将大さんです。

美術チームの方々もロケハンから参加し、そのロケ地ではどんな装飾品が必要なのか細かくチェックしていきます。

 

 

 

 

また大義さんの部屋の飾り付けは、

ほとんど何もない状態から

 

 

大義さんのご家族から大切な物たちをお借りして、

こんなに素敵に飾り付けてくださいました!

 

 

それだけではありません!

こんなものまで作ってくださっています!

芸術作品です!!!

 

※大義さんの部屋の名前プレートです。

トロンボーンも、とても素敵です!

 

※こちらは…

ぜひ「20歳のソウル」をご覧になった時に探してみてください!!

 

 

装飾の方々は他にも、

コンクールや定期演奏会、卒業式などで使用する看板などを手配してくださったり、

その当時の時代感や世界観を創り出すためになくてはならない

さまざまな物を作成、手配し、飾り付けてくださっています!

 

 

「20歳のソウル」では本当に素敵な装飾品がたくさん出てきます!

さまざまなシーンでの飾り付け、装飾品一つ一つに是非ご注目ください!

 

本日もご覧いただき、誠にありがとうございました!

2022.04.30
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皆さん、こんにちは。

中井由梨子です。

 

28日の完成披露試写会、たくさんの方にご応募いただき、満席の会場でのお披露目、本当に嬉しかったです。大義くんのご家族や友人、大切な方々も来てくださり、市船グッズの販売もあり、心温まる素敵な会でした。

 

集まってくださった俳優の皆さん、盛り上げてくださったスタッフの皆さん、そして応募してくださった全ての皆様、この映画を知ってくださった皆様に心からの感謝をお伝えしたいです。

 

 

さて、一夜明けて昨日は。

船橋駅直結の東武百貨店さんが、「20歳のソウル」の特別展示を大々的に行ってくださっているとのことで、秋山監督と、記録として参加した俳優の吉木遼くんと一緒に訪れました!

 

凄い。

巨大パネルの数々に、皆様の本気を感じました。

監督とご一緒に、パネルにサインさせていただきました。

大義くん、ありがとう!

 

 

 

動画1(クリックして再生)

 

サイン中に、お声がけくださった皆さん、ありがとうございます。そして立ち止まって写真を撮って下さった皆さん、映画をよろしくお願いします!

 

 

そして。

6階旭屋書店さんでの、この素晴らしい陳列!

映画を間近にした新しい帯です。

 

 

どこまでも続く「20歳のソウル」パネル!

圧巻でした・・!

 

 

本当なら今日あたりから店頭に並ぶ予定だったそうですが「一日も早く出したい!」という旭屋書店さんの熱い想いと共に、幻冬舎の皆さまも一緒に作業を進めてくださったとか。中には、編集を担当してくださった武田さんも自らお手伝いくださったとのことで、もう皆さまのお気持ちに感激しています。

 

ありがとうございます。

 

 

そのあと、久しぶりに高橋先生にお会いしました。いつもですが、先生にお会いすると、生徒の1人になった気持ちになります。

 

昨日のプロダクションノートで、秋山監督が私の5年間を書いてくださりましたが、私が歩んだ道はとてもユニークで、高い山をなんどもよじ登って越えていくような、体当たりの毎日だった気がします。

 

けれど、その険しい道の先で、大義くんと一緒に見た景色は、他の誰も手に入れることができない私だけの、宝物のような景色でした。

 

その景色が胸の奥にある限り、私はこれからの人生も、生き切っていけると思っています。

 

 

大義くん、ありがとう。

 

2022.04.29
最新情報

20歳のソウル

監督の秋山です

 

この写真は

岡本太郎さん?

 

 

いや

中井さんの

20年前

舞台演出家時代の写真です

 

今日は

中井由梨子さんについて

書きたいと思います

 

 

昨夜は

20歳のソウル

完成披露試写会でした

 

ご来場くださった皆様

ご応募してくださった皆様

応援くださった皆様

ありがとうございました

 

スクリーンにたどり着くまでの

五年を思うと

感無量でありますが

 

僕以上に

長い時間

大義くんと向き合って来た

中井さんにとっては

大切な一日だったに違いありません

 

2017年4月28日

 

ちょうど5年前に

 

中井さんは

高橋健一先生から

メッセージをもらい

一人で市船吹奏楽部に向かいました

 

その日は

10年勤めて

作家に専念するために退職した

中井さんの送別会が予定されていた日でした

 

あの日

中井さんが

自らの大切な送別会を辞退して

高橋健一先生に会いにいかなければ

 

20歳のソウルは

存在しなかったと思います

 

 

あの日から5年

 

中井さんは

まず

「Jasmine〜神様からの贈り物」

という舞台で

大義くんの物語を上演して

 

 

原作

20歳のソウル

を書き

 

 

映画化が決定すると

 

自ら、シナハンで

市船に通い

リアルな脚本を20稿まで書き

 

 

そして

ロケハンにも立ち会い

 

 

クランクインすると

自ら

現場プロデューサーとして

撮影に立ち会い

ご家族、俳優部をアテンドしたり

走り回って

現場を進行して

 

 

まだ

終わりません

 

 

撮影終了後の

ご挨拶から

全てのイベントに足を運び

 

 

大義くんの物語と

向き合ったのです

 

 

それは

普通

原作者や、脚本家が

やることではない

 

 

そんなことを

言う人が

たくさんいました

 

 

しかし

普通って

なんでしょう?

 

「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである」

 

アインシュタインの

有名な言葉です

 

 

5年の月日を

この映画に捧げた

中井さんの献身無くして

 

20歳のソウルが

存在出来なかったことだけは確実です

 

 

大義くんと一緒に

僕が言います

 

 

中井さんありがとう

 

2022.04.28
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皆さんこんにちは!

「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です!

 

 

今、船橋が熱いです!!!

船橋駅に隣接した東武百貨店船橋店にて、「20歳のソウル」公開記念フェアを実施しているんです!!!

期間は2022年4月27日~6月21日までです!

 

先日、公開記念フェアに向けた準備があるとのことで僕も船橋までお手伝いに行ってきました!

結果、プロの仕事のため何もお手伝いできなかったのですが(笑)

それでも船橋駅、そして東武百貨店船橋店がすごいことになっていくのを実際にこの目で見てきました!!!

本日はその様子を熱くお伝えしたいと思います!!!

 

 

まずは船橋駅のコンコースから!
柱には「20歳のソウル」ポスターがずらり!

 

 

そして反対の面には「20歳のソウル」公開記念フェアポスターも!!!

 

 

しかもこれだけではありません!!!

 

なんの変哲もないこちらの白壁

 

 

只今、作業中…

 

 

少しずつ全貌が見えてきました…

 

 

そして出来上がったのがこちらだー!!!

どーん!!!

 

 

「20歳のソウル」超巨大パネルです!!!

通りすがりの人みんなが振り返るこちらのパネル

それもそのはずです!

 

なんとこちらのパネル、

縦3メートル超、横5メートル超もあるんです!!!

本気でこれはすごいです!!!

最初に完成したのを見たときは開いた口が塞がりませんでした!

 

 

更に、駅前のロータリーからは20メートルもある「20歳のソウル」の懸垂幕が見られます!!!

 

 

これだけではありません!!!

東武百貨店船橋店の7階では「20歳のソウル」の写真展を開催しております!

 

 

僕も写真を見させていただきましたが、素敵な写真ばかりでした!

「これはあのシーンの時の写真だなぁ」なんて思い出しながら、

本当にこの作品がたくさんの方々に届いてほしいなと考えていました。

 

東武百貨店船橋店さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。

誠にありがとうございます。

 

 

さて、本日のレポートいかがだったでしょうか?

船橋駅を降りたらびっくりするくらい「20歳のソウル」です!(笑)

 

東武百貨店船橋店の「20歳のソウル」公開記念フェアは6月21日までです!

ご都合のつく方は是非、足を運んでみてくださいね!

 

本日もご覧いただき誠にありがとうございました!

2022.04.27
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皆さん、こんにちは。

中井由梨子です。

 

このプロダクションノートも90回を迎えました。

毎日毎日読んでくださっている皆様、ありがとうございます!

 

今日から1ヶ月後の5月27日、いよいよ「20歳のソウル」公開となります!

 

このノートでも、多くのスタッフの皆さんをご紹介してきました。

今日は、とても大切なセクションを担ってくださった

アクション・スタントチームをご紹介させてください。

 

「20歳のソウル」でスタント?アクション映画じゃないのに?

そう思われる方も多いかもしれません。

しかし映画でのスタントチームは、単に派手な殺陣や身体を使ったアクションだけでなく、

危険な高い場所での撮影や、車の走行・運転シーンでの牽引なども担っているのです。

 

今回、そのスタントをお願いしたのは秋山監督と旧知の仲、シールズの高橋昌志さんです。

 

 

高橋昌志さんは、秋山監督がテレビドラマのディレクターを務めていた頃から、

カーアクションや水中撮影など、カッコ良いアクションシーンを彩ってこられました。

 

 

そして「20歳のソウル」では、その全幅の信頼に応えて、

前述のような高所、車のシーンを安全に円滑に進められるよう段取ってくださいました。

 

どのシーンかは、映画をご覧になった際に探してみてください!

ヒントは、どのシーンにも、斗真(佐野晶哉さん)が登場しています☆

 

 

「スタントマンというのは、誰よりも慎重で怖がりじゃないといけないんです。命知らずに無鉄砲に突き進んでしまったら必ず怪我をする。ダメだと思ったら無理をしない。じゃないと命がいくつあっても足りないでしょ」

 

 

そんなことを昌志さんが以前仰っていました。

 

スタントマンはカッコよくて怖いもの知らず、勇気があってどんな難所にも果敢に、人間ができる技の限界に挑む人たちです。けれど、だからこそ、たった一つの命の尊さをしっている。そんな気がします。

 

 

 

ここで、ある方をご紹介させてください。

 

私は以前、高橋昌志さんの弟さんで、同じスタントマン出身でありプロ級のサーファー、映画プロデューサーでもあった高橋幸司さんの手記の出版で、構成として関わったことがあります。

 

 

末期の肝臓がんにより48歳の若さで余命2ヶ月と宣告された幸司さんが、それから1年半という年月を生き永らえ、命とギリギリまで向き合った力強い記録です。

 

「まだ望みはあります」高橋幸司著(さくら出版)

http://sakurasha.com/2019/05/%e3%81%be%e3%81%a0%e6%9c%9b%e3%81%bf%e3%81%af%e3%81%82%e3%82%8a%e3%81%be%e3%81%99/

 

幸司さんが病床でつぶやいた言葉。

 

「俺も映画撮らなきゃな。こんなとこで寝てる場合じゃない」

 

幸司さんは2019年5月30日に、大義くんと同じ場所へ逝ってしまいました。

心のどこかで「幸司さんなら大丈夫」と思っていた自分がいて、私は呆然としました。

 

たった一つの尊い命。

 

映画「20歳のソウル」の脚本は、幸司さんの取材で共に過ごした時間に支えられて描いています。治療の様子も病と向き合う怖さも。失った時のなんとも表現できない空しい想いも。

 

あの日、幸司さんがつぶやいた言葉を引き継いで、まだこの世に留まっている監督と私は、映画を作りました。希望の映画を作りました。

 

 

大義くんと一緒に、幸司さんが見てくださっていることを願います。

2022.04.26
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皆さんこんにちは!

「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。

 

 

今回は「20歳のソウル」で大活躍したメイクスタッフをご紹介したいと思います!

「20歳のソウル」では、田中紫央さん、ナカヤスミクさん、みうらまいかさんの3名がヘアメイクスタッフとして参加してくださいました。

 

3名とも何度も秋山監督の作品に参加してくださっている方々で

秋山組をよく知るメンバーでもあります。

 

 

今回は、3名のうち、ナカヤスさんにロケの時のお話やヘアメイクというお仕事についてお伺いしてみました!

 

 

 

宮下

「まず、ヘアメイクというお仕事について

映画の現場ではどのようなことをしていたのか教えてもらえますか?」

 

ナカヤス

「映画の現場では、現場入りして準備した後

スケジュールに沿って俳優部のヘアメイクに当たります。

撮影現場でも汗をかいたり直しなどもあるので、現場に残る人と、

順番に入ってくる俳優部の準備をする人と手分けしてやっている感じです。」

 

宮下

「20歳のソウルでヘアメイクとして意識していたことなどはありますか?」

 

ナカヤス

「今回は、高校でも学年の違うシーン

そして卒業後のシーンなど、何年間にも渡る物語でした。

なので、その年代の人として俳優部が演じやすいようにヘアメイクすることは意識していました。」

 

 

宮下

「そうだったんですね!

たしかに、俳優は実年齢とは全然違う年齢を演じることもたくさんあるけど、物語の中で年齢が変わっていくと、メイクで外見に変化を見せるのは大切な要素ですよね。」

 

ナカヤス

「そうですね。年代ごとにメイクプランをみんなで考えたり、大変なことも多かったですが、その分とてもやりがいのある現場でした!」

 

宮下

「20歳のソウルの撮影で思い出に残っていることはありますか?」

 

ナカヤス

「メイクに関して言えば、

学校での撮影は本当に駆け回ったなという印象です。

支度場所から現場までの距離もあったのですが、

何より秋山監督のスピードが速すぎて…(笑)

どんどん俳優部を送りだして、現場行って直してという感じでした(笑)

あと、印象に残っているシーンで言うと

佐伯斗真役の佐野晶哉さんが弾いていたピアノのシーンですね。

メイクのみうらさんと一緒に撮影中に感極まってしまい…

いろんな方から目真っ赤だよと指摘されてしまいました(汗)」

 

宮下

「あのシーンも本当に素敵なシーンでしたよね。

最後に、秋山組、20歳のソウルに参加してみていかがでしたか?」

 

ナカヤス

「今回は監督から撮影の数か月前にお声がけいただき、参加させてもらいました!

秋山組の皆さんは監督を筆頭に皆さんが常に全力投球!

ヘアメイクも田中さん、みうらさんと連携を取りながら必死に参加させてもらいました!

何より、いつもご一緒させていただいているメンバーと20歳のソウルという作品を全力でやれて、1日1日本当に楽しかったです!

本当にありがとうございました!」

 

宮下

「ナカヤスさん、本当にありがとうございました!」

 

 

今回は、ヘアメイクチームからナカヤスさんにお話を伺いました!

田中さん、ナカヤスさん、みうらさんの3名はどんな時でもいつも全力でぶつかってくれる仲間です!

この3名が試行錯誤しながら「20歳のソウル」に必死に取り組んでくれていたのは、映画を観ていただければわかるはずです!

皆様、どうぞお楽しみに!

 

 

本日もご覧いただき誠にありがとうございました!

2022.04.25
最新情報

皆さんこんにちは!

「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。

 

 

昨日、一昨日と監督が忘れられないロケのお話をしてくださいました。

以前、僕もプロダクションノートに書かせていただきましたが

音楽ホールと野球場のシーンはどちらも人数の多い撮影で、時間とのたたかいもあり

スタッフも俳優陣も必死の撮影となりました。

 

 

 

音楽ホールのシーンは

市船吹奏楽部の演奏の見せ場のシーンです。

入念なリハーサル、そしてコンクールや定期演奏会の時のような、皆さんの緊張感を出すには高橋先生の存在はなくてはなりませんでした。

 

高橋先生には感謝してもしきれない思いでいっぱいです。

 

 

 

 

昨日、監督が書いてくださった

野球場で高橋先生からかけられたお言葉は今でもはっきり覚えています。

 

3日分を1日で撮るという濃密な撮影スケジュール。

また、いつコロナに関する宣言が出るかわからない状況で、撮りこぼしがあってはいけません。

 

撮影は開始と同時にすごいスピードで進められていきました。

緊張感のある撮影に必死なあまり、いつしか僕は周りが見えなくなっていました。

 

日も暮れるころ

先生から

 

「あとどのくらい時間かかる?みんな風邪ひいちゃうから」

 

と声をかけられた後、

周りを見渡すと1日中半袖短ズボン姿で過酷な撮影に協力してくれていた皆さんの姿がありました。

 

当たり前ですが、僕は上着を着ていて

日が暮れだしてから気温が下がってきていることに全く気づきませんでした。

 

周りが見えなくなっていた自分を反省すると共に、

どんな状況下でも生徒のことを1番に考え、周りの方への気配りを忘れない高橋先生の姿にたくさんのことを学んだ1日でした。

 

 

また、中井さんの「誰も知らない取材ノート」より

高橋先生の方針の一部をご紹介します。

 

市船の吹奏楽部では、練習や合宿に必要なプリントを作ったり配布物を配ったり、楽器や部屋を片付けたりといった雑事を、上級生が率先して担当します。

普通の部活では逆ではないでしょうか。下級生が雑事をやり、上級生は楽器の練習だけをしているという構図が一般的な気がします。

しかし、高橋先生は、右も左も分からない一年生に雑事は任せられないというのです。

下級生は上級生の背中を見て育ちます。その姿を見ながら「ああすればいいのか」「こうすれば上手くやれるんだな」と学んでいくのです。

上級生も自分たちが通ってきた道ですから、下級生が自分たちの姿を見ていることを知っているのです。だから、いい加減な態度でいることはできません。

下級生に対して偉そうにふるまっても、そこから下級生が何も学ばないことをよく分かっているのです。

主にリーダーは三年生が勤めているのですが、その指示の出し方も冷静で、「~してください」「~するようにお願いします」と、丁寧語を使っています。

一年生に対しても命令口調ではありません。

 

このお話もとても印象に残っています。

 

 

 

さて、話は変わりますが

今月28日はついに

『完成披露試写会』です!

本日、25日には『モニター試写』もございます!

 

公開日に向けて、やっと皆様に少しずつお届けできるようになってきました!

 

 

公開日まで残り約1ヶ月!

全国の皆様にお届けできる日を楽しみに、1日1日を大切に過ごしていきたいと思います。

皆様も「20歳のソウル」の公開日を是非お楽しみに!

 

©2022「20歳のソウル」製作委員会