20歳のソウル
監督の秋山です
昨日の中井さんの
プロダクションノートで
詳細に書かれていましたが
そうなんです
高橋克典さん
俳優として
難しい役を担ってくださっただけでなく
ロケコーディネートまで…
星野医師役
クランクアップ翌日
雨予報を吹き飛ばした
春の柔らかな日差しの中
青山学院大学に
高橋克典さんの姿が
この中です
拡大すると
爽やかな表情で
朝一番から
校内ロケを仕切ってくださいました
ロケコーディネートに立ち会ってくださったのは
克典さんの青学の同級生や、後輩の皆様
ロケハンの時から
なんとかロケが成立するように
力を貸してくださいました
緊急事態宣言は
解除されていたものの
まだまだ
ロケに貸してもらえるキャンパスは少なく
その中で
第一希望の
渋谷、青学キャンパスで撮影出来るとは…
青山学院の皆様
本当にありがとうございました
克典さん
20歳のソウル
原作本のことを
何度も
ブログにあげてくださっていました
https://ameblo.jp/takahashi-katsunori/entry-12651168524.html
高橋克典さん
ありがとうございました
ワンチャンスを生かした
素晴らしい晴天
前日まで
降雨予報70%だったのです
福本莉子さんの華やかな登場シーン
贅沢なロケとなりました
↓こちらは中井さん自らスタンドインですw
ロケの合間には
克典さんと中井さんが
話し込んでいましたが
次の舞台の構想中?
縁が広がっていくのは
素晴らしいですね‼️
20歳のソウル
高橋克典さんのシーンは
映画中盤以降
胸が締め付けられるシーンばかりです
そこに克典さんがいてくれたからこそ
我々は
命と
向き合うことが出来ました
20歳のソウル
いよいよ来月には
プレミアム試写会です
一人でも多くのかたに
届きますように
プロダクションノート
明日は
みやしーです
こんにちは!
中井由梨子です。
秋山監督からバトンを受け取り、今日は中井が高橋克典さんについてお話させていただきます!
星野医師としての役をきっちりと演じてくださった直後の撮影日。
私たち撮影隊は、福本莉子さん演じる、宮田夏月の大学でのシーンを撮影するために都内の有名大学にやってきました。
青山学院大学です!
映画の中で、大義と夏月が通っていた大学をどこで撮影させていただくか?は制作班にとっても大きな課題でした。
脚本を書いた時の私のイメージは「青学」。
2019年に、高橋克典さん演出で作り上げた朗読劇は、青山学院大学の学祭でのチャリティ公演で、私もそのご縁で学院の関係者の方と親しくさせていただいたり、何度も学舎を訪れており、その美しい佇まいに憧れを持っていました。
青山通りから正門を抜けた美しいメインロード。この道を夏月が歩くイメージで本を書きました。
その青山学院でのロケをお願いできないか?と制作班に提案され、私は学部の関係者の方に連絡を入れました。
しかし、コロナ禍でもあり、ロケとしての貸し出しは難しい状況で、断念。
他の学校も同じ理由で断られ、なかなか決まらず頭を抱えていた時、青学さんから再度連絡をいただき「4月なら」とのお返事をいただいたのです。
実は、私たちが青学さんでのロケを望んでいることを耳にして、学校に連絡を入れていただいたのが、なんと高橋克典さんご本人だったのです!
克典さんの、『20歳のソウル』のロケに解放してやってほしい、という力強いお口添えで、青山学院大学でのロケが実現いたしました!
感激しました。
本当に嬉しかったです。
そしてロケの当日。
克典さんはロケに立ち会ってくださっただけでなく、当日の出演者・スタッフのために珈琲を差し入れしてくださり(美味しかったです)ご自身の母校でのロケを優しく見守ってくださいました。
原作本を何度も読み返して、泣いてくださったこと。
この映画にとって、大義くんが夏月と過ごした大学時代はとても大事で、その景色を表現するためのロケ地をイメージ通りの場所で撮らせてあげたいというご配慮。
役を演じるということを飛び越えて、一緒に作品を作る、良いものにする、という芸能魂を見せていただいた気持ちです。
私が、星野医師は克典さんに演じていただけるなら書ける、と言った理由を皆様にもお分かりいただけたかと思います。
青山学院大学の美しい風景の中を颯爽と歩く福本莉子さん演じる夏月の姿を、ぜひスクリーンでお確かめいただきたいです。
さて、次回は高橋克典さんの第四回ですね!
私も楽しみに待ちたいと思います。
再び、監督にバトンタッチです。
20歳のソウル
監督の秋山です
「高橋克典さんに、演じていただけたら、書けるかもしれない」
こうして
星野医師は誕生しました
中井さんは
星野医師を
高橋克典さんに当て書きしたそうです
まだ
克典さんに
演じていただけるかわからない
オファーする前からの話です
中井さんと克典さんの繋がりは
NHKのドラマ
「ネット歌姫〜パート主婦が、歌ってみた〜」
に遡ります
この時
中井さんが
助監督セカンドとして
克典さんと仕事をしたのをきっかけとして
高橋克典さん企画、演出の舞台
「四人目の博士~アルタバン物語~」
青学で上演した作品にて
脚本家と演出家として
深く関わりあうことに
数ヶ月真剣勝負で向き合うことでしかわからない
絆があるのでしょう
星野医師のシーン
初稿の時から
胸に響きました
そして
克典さんに演じていただいたことで
無限の想いを
伝えていただきました
主治医の先生を書くために
中井さんは
大義くんのお母様に
たくさんのお願いをしたそうです
カルテを見ることは出来ないから
先生たちの話を聞き
目を背けたいことに
お母様と一緒に
正面から向き合い
全ては
大義くんの姿を
少しでも正確に
伝えるため
克典さんに
託すため
クランクアップの後
克典さんと中井さんの写真
いい笑顔ですね
兄妹みたいです
衣装を脱ぎ
背負っていたたくさんのものを
少し下ろした瞬間だったのかもしれません
しかし
この翌日
高橋克典さんの姿は
撮影現場にありました
なぜ?
次回に続きます
明日は中井さんにバトンを渡します
20歳のソウル
監督の秋山です
克典さんと
初めてご一緒したのは
金曜ナイトドラマ
「特命係長只野仁」
これは
シーズン1の時(2003年)
あの頃ふたりは
若かった??
いや…
変わりすぎてるのは
僕だけかな
克典さんは
20年前も今も
ずっと若々しく
カッコいい
只野仁撮影中は
体脂肪率を落とすために
チキンとスープしか
口に入れなかったり
トップランナーであり続けるには
きっとたくさんの苦労があるはずですが…
そんな中でも
主演の時は
目配りを欠かさない
ワンシーンだけのゲストや
ふんふん(わかる人にはわかる)で
絡む俳優部の
緊張感を解くために
笑わせたり
ビシッと締めたり
俳優でありながら
プロデューサー視点を持って
作品を愛する姿勢は
一貫して変わらない
心からリスペクトしてます
今回
高橋克典さんが演じる
星野医師は
病気を告知して
大義くんと
病気と
最後まで
真っ正面から向き合う役です
厳しい役です
撮影中に
心の底から
笑顔になる瞬間は
なかったと思います
クランクアップの時の写真
この表情を見るだけで
泣けてきます
克典さん…
ありがとうございました
星野医師は
原作には登場しません
なぜか?
中井さんが
「闘病の姿は
どうしても書けない」
と
あえて
書かなかったからだと聞きました
最初の脚本打ち合わせでも
闘病中の描写に
担当医師は書かれていませんでした
僕は
どうしても
大義くんと
病気と
最後まで向き合い
ともに闘った
担当医師を書いて欲しかった
太陽の光溢れる青空の下
青春を謳歌した
高校時代とともに
大義くんが
どれだけの勇気で立ち向かったのか
想像も出来ない
二年間のことを
伝えて欲しかった
映画のスタッフで
大義くんの部屋を
見せていただいたことがありました
今も変わらぬ
大義くんの部屋で
自筆のメモを見せていただきました
(その時の衝撃は
一月三日と五日に
新聞に掲載していただいた
幻冬舎文庫の
20歳のソウルスペースに
寄稿させていただきました)
数日後に
中井さんから
連絡をもらいました
「高橋克典さんに、演じていただけたら、書けるかもしれない」
明日に続きます
皆さんこんにちは!
映画「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
今日は「20歳のソウル」撮影までの大まかな流れについてお話したいと思います!
まず「20歳のソウル」の脚本ですが、以前の中井さんの投稿(1/30)にあったように、
完成するまでには何度も書き直しと打ち合わせが繰り返され
書き直しの数はなんと20回にものぼり…
そして打ち合わせはその倍以上で通算50回は重ねたそうです…
脚本の書き直しと打ち合わせがそんなに行われていたなんて僕も知りませんでした。
その後、「検討稿」、「準備稿」となり我々の手元に!
「準備稿」が我々のもとに届いたのが撮影開始の約1ヶ月前
そしてその「準備稿」をもとに全体スタッフのミーティングが行われました。
このミーティングでは1ページ目から、ロケ地、衣装、小道具、飾り付けで必要なものなどを全体的にさらっていきます。
その後、各担当に分かれ、ロケ地を見に行ったり(ロケハン)
作り物や衣装を集めるなど、それぞれが準備を始めます。
そして撮影開始の約1週間前に、台本が届きました!
監督が初めて完成した台本を手に取った時の写真がこちら!
台本が届いたときは本当に感動しました!
表紙もものすごくきれいです!
僕も愛来さんに直筆で名前を書いていただきました!
とても美しいです。
本当にありがとうございます。
今回の「20歳のソウル」には、僕も含め、秋山監督のもとで勉強している俳優がたくさんスタッフとして参加させてもらいました!
秋山監督は
「俳優もスタッフを経験したほうが良い」
とおっしゃいます。
きっと、俳優もスタッフを経験することで
作品が出来ていく過程を知ることができ
一つ一つを大切にすることやスタッフの方への気遣いなど
今後の俳優人生の役に立つと考えていらっしゃるのではないかと思います。
もちろん、元来プロとして数多くの作品に参加している経歴豊富なメインスタッフがほとんどです。
その中で、これだけの規模の作品にスタッフとして参加するというのは、僕自身相当な緊張感がありました。
しかし、類は友を呼ぶというものでしょうか、秋山監督のもとに集まる人間は本当に熱い仲間ばかりです。
今後は、そんな熱い仲間たちのいろんなエピソードについてもお話しできたらなと思っていますので楽しみにしていてくださいね!
今日もご覧いただき誠にありがとうございました!
次回は秋山監督です!
どうぞお楽しみに!
皆さんこんにちは。
中井由梨子です。
昨日は、調布にある日活撮影所にて、最後のダビング作業が終わりました。
秋山純監督のクランクアップです。
監督、本当に本当にお疲れさまでした!!
(秋山監督のblogより)
秋山監督はこの映画の、最初の企画者でもあります。
監督がいなければ、中野での舞台「JASMINEー神様からのおくりものー」も(この舞台の話についてはまたいつか)、小学館出版の単行本も、幻冬舎文庫も、そして今回の映画もありませんでした。
すべての始まりは2017年4月12日。
秋山監督が、朝日新聞の記事を私に送ってくださったことから大義くんプロジェクトはスタートしました。
この時の様子は、詳しくはこちらをご覧ください。
✦「誰も知らない取材ノート」中井由梨子✦
https://note.com/1000000000/n/n3468ebfff1ce?magazine_key=mfbb49fad947c
この朝日新聞の記事での大義くんの告別式の映像。
今でもここから見ることができます。
https://www.asahi.com/articles/ASK3Y44VVK3YULZU008.html
(実際のご葬儀での演奏)
衝撃的で、何度も何度も見返しました。
「映画のようだ…」と思いました。
5年の月日が経ち、この映像に映っている方々の多くが私にとって大切な方々となった今、もう一度この映像を見ると、生温かい感情が噴出してきます。
私にとっては、この映像のこの瞬間が、一歩一歩近くに感じます。最初に見た時よりも5年も時間が経っているのに、逆に私にはこの日が近く近く感じるのです。
映画では、この告別式のシーンは、実際に大義くんの告別式を執り行った古谷式典ゆいまき斎苑さんの多大なご尽力で、この日とまったく同じスタッフの方々が、まったく同じ祭壇を飾ってくださいました。
今でも、このシーンを撮影した日のことは、思い出すと心が締め付けられる思いがします。
秋山監督は企画者として、監督として、この映画の細部に至るまで心を尽くしています。
その想いが、劇場に来てくださるすべての皆様に届くことを心から願っています。
(大義くんの元恋人の愛来さんと)
ついに、映画が完成いたしました。
大義くん、いよいよだよ!
明日は、再び助監督の宮下くんにバトンを渡します。
20歳のソウル
監督の秋山です
市船吹奏楽部顧問
高橋健一先生と
佐藤浩市さん
お二人には
とても似ているところがあると思います
「今しかない今を、大切に生きろ」
高橋健一先生が
生徒たちに語る言葉と
全く同じ言葉を
佐藤浩市さんから
聞いたことがあったからです
それは
ドラマ「陽はまた昇る」
クランクアップの日のことでした
警察学校の生徒役の俳優たちを前に
浩市さんが言った言葉
「同じメンバーみんなそろってまた会うことは、もう二度とないだろう。一年後に、俳優を続けているのも、半分か、もっと少ないかもしれない。でも、みんなと一緒に過ごした、この夏のことは忘れないし、みんなも忘れないで欲しい。大切な人と出会った時、そのことに気付けるか、気付けないかが、大事なんだ」
若者を見つめる、厳しくも温かな目線
高橋健一先生は、生徒たちに言います
「たった一度の高校生活だ。今を大切に生きなさい」
お二人の言うことは
とても似ていると感じていました
大義くんのお母様、桂子さんと
↓
佐藤浩市さんと高橋健一先生には
大きな課題がありました
高橋健一先生を演じる以上
吹奏楽部の指揮をしなければなりません
音楽室で
コンクールで
定期演奏会で
大人数の吹奏楽部
ブラスバンドを
指揮棒一本で
まとめあげなくてはなりません
2020年に
高橋健一先生役をお受けいただいて以来
佐藤浩市さんは
移動の車の中でも
棒を振って
指揮の練習をしてくださったと聞きました
そして
佐藤浩市さんの指導役を
自ら買って出てくださったのが
高橋健一先生でした
初めて
お二人がレッスンした動画です
↓
そして
この1か月後
市船吹奏楽部の現役部員の前に
佐藤浩市さんが立ちました
その時の映像です
↓
そして
佐藤浩市さんは
コロナ禍で
定期演奏会が延期になった時
吹奏楽部のみんなに
聞いている我々も
胸が熱くなるような
言葉を
かけてくださいました
その話は
また次回に書きたいと思います
明日は
中井由梨子さんです
皆さんこんにちは!
宮下涼太です!
今日は「20歳のソウル」撮影前に市船を訪れた時のお話をしたいと思います!
撮影に入る前、メインのロケ地となる市船には撮影に向けて何度か訪問し、
教室などのロケ地、市船の吹奏楽部の活動の様子などを見学しました。
例年、市船の吹奏楽部の3年生は12月に行われる定期演奏会を最後に卒部となります。
しかし、昨年度はコロナの影響により定期演奏会を行うことが出来ず、延期を繰り返していました。
僕らが市船に訪問した時、市船の定期演奏会の見せ場の一つ
“吹劇“の通し稽古を見させていただきました。
当時の僕は今まで見たことのない“何か”に圧倒され、とても感動しました。
そしてそれと同時に、部員のみなさんから不安や恐怖に似た感情が伝わってきたのを今でも覚えています。
きっと定期演奏会が延期を繰り返し、部員の皆さんにはいろんな思いがあったのだと思います。
そんな状況でも高橋先生は決して諦めることはなく
「この子たちになんとか定期演奏会をやらせてあげたい」
と何度もおっしゃっていました。
そして、
3月になんとか3年生の卒部公演となる定期演奏会を行うことが出来ました。
ここで是非、『市立船橋高校吹奏楽部部員日記』を紹介させてください。
当時の吹奏楽部部長の勝部友理さんの投稿です。
http://blog.livedoor.jp/ichifunawoc/archives/9668070.html
唐突にコロナという未知のウイルスによって、毎年当たり前のように行われていたヨサコイやコンクールもなくなり、部活動や友達に会うことも制限され
ましてや3年生最後の公演となる定期演奏会の度重なる延期に、僕らには計り知れない程のストレスや不安を感じていたことと思います。
それでも
「市船吹奏楽部に入って本当によかったです」
(上記の部員日記より引用)
この言葉がすごく印象的でした。
高校生にとって、部活動という場所はそれほど大きなものなのではないかと思います。
これだけ激動の1年間を送ってきた市船吹奏楽部ですが、僕らにいつも笑顔で接してくれました。
きっと残りの春休み期間、次の代に向けての準備や自身のやりたいことがあったはずです。
それでもいつも笑顔で撮影に協力してくれました。
肌寒い日の撮影でも1日中、半袖で何度も演奏してくれました。
僕は「20歳のソウル」を通して市船の皆さんから大切なことをたくさん学びました。
本当にありがとうございました。
さて、次回のプロダクションノートは秋山監督です!
是非お楽しみに!
こんにちは、中井由梨子です。
映画『20歳のソウル』ができるまでのエピソードを何回かに分けて語っています。
今日は、とっておきのエピソード。
私がはじめて、大義くんの「市船soul」の楽譜を手にした日のことを、『誰も知らない取材ノート』からの抜粋を交えてお話します。
(『誰も知らない取材ノート』連載中 https://note.com/1000000000/m/mfbb49fad947c)
✦✦✦
その日は、私は予定通り早めにお暇することにしました。
まだまだお話は尽きませんでしたが、また合宿の邪魔をするわけにはいきません。
「浅野さんにさっそくご連絡します」と頭を下げて立ち上がろうとしましたが、私には、今日こそどうしても先生にお願いしたいことがありました。
「市船soulの楽譜、見せていただけますか」
考えてみれば真っ先にお願いすべきことなのでしょうが、一回目の訪問でも二回目の訪問でも私はそれを切り出しませんでした。
大義くんが先生に差し出した『市船soul』の楽譜は、先生にとって(市船吹部にとっても)宝物のはず。
それを見ず知らずの人間に易々と見せてくれとお願いするのはとても図々しく思えて言い出せずにいました。
先生はそんな私の遠慮を払拭するように「いいですよ」と軽やかに答えて、机から四枚の楽譜を出して私に手渡してくださいました。
最上段に『市船soul』とタイトルが入っていて、パートごとに五線譜が分かれています。
手書きではなく作曲用のソフトを使ったのか、パソコンで打ち出されたものでした。
四枚のうちの二枚目と三枚目の繰り返し部分に、黒いマジックで大きく×印がつけられています。
高橋先生が「長い」といってカットした部分です。
話には聞いていましたが、マジックで思いっきりつけられた×印に私はおかしくなって笑ってしまいました。
屈託のない、互いの思惑を出し上えるサバサバとした関係が伺えました。
ちなみに高橋先生は毛筆が得意で、部員に配るプリントや楽譜などにもしばしば毛筆でメッセージを添えたりしています。
大義くんはその先生の字が大好きで、自分も毛筆で書く練習をしていたとか。
そんな先生につけられた大きな×印ですから、大義くんは「ハイ」と言って笑っていたに違いありません。
私も小学生から高校生までピアノを習っていましたので、簡単な楽譜なら読むことができます。
やはり印象に残ったのは冒頭のドラムと太鼓です。
「タカタカタッタ、タカタカタッタ、タカタカタッタ、ドンドンドン」と繰り返される早いテンポのリズム。
このドラムを聴くだけで「市船soul、きた!!」と高揚感が湧くのです。
資料としてコピーを一部いただけないかとお願いすると先生はすぐに用意してくださいました。私は深く感謝してコピーを受け取りました。
「作曲者のところに名前がないぞと言ったら、後で入れときま~すと言ってましたね」
例によって高橋先生は楽しそうに大義くんのことをお話します。いただいた楽譜には名前がないままでした。
先生は、この四枚の楽譜を額に入れて部屋に飾っておくつもりだと仰いました。
私はいただいたコピーを胸に抱え、いつも以上に深々と頭を下げて準備室を出ました。
夕闇の迫る校舎を眺めながら中庭への階段を降りていくと、窓にも廊下にもオレンジ色の光が射して漏れ聞こえる楽器の音がノスタルジーを誘います。
不思議な縁だな、と思いました。
千葉県船橋市。
私にはまったく縁もゆかりもないと思っていた場所。
そこにまるで幼馴染かと錯覚するほど親しみの湧く青年が住んでいた。
彼との出会いは彼の死後。
私は彼自身ではなくその周りの人々から彼自身を知ろうとしている。
でもその旅が、私自身の人生をゆっくり変えていく。
そんな気がしました。
写真)音符を描く大義くん。ご友人提供。
✦✦✦
明日はふたたび、秋山組での撮影秘話が聞けることでしょう。
どうぞお楽しみに!
「20歳のソウル」
監督の秋山です
20歳のソウルは
市船吹奏楽部で
トロンボーン奏者として
青春を謳歌した
浅野大義くんの
生きた証を描いた映画です
大義くんは
いつも仲間たちのど真ん中にいて
市船吹奏楽部を
誇りとしていました
主演、神尾楓珠くんが
大義くんを演じるということは
真剣に
トロンボーンと向き合わなければなりません
ヤマハの佐野先生、藤下先生を
リーダーとした
楽器指導チームの
厳しくも温かな指導に
神尾楓珠くんも熱意で応え
トロンボーンの腕前は
日に日に上達していきました
そして
プロの先生方に加え
大義くんが所属していた市船吹奏楽部も
高橋健一先生
トロンボーン奏者でキャプテンの
勝部友理さん(ゆっぺちゃん)
トロンボーン奏者の小島樹くんを中心に
神尾楓珠くんの楽器練習に
全面バックアップをスタートしました
いきなり
市船吹奏楽部の部活に
神尾楓珠くんを参加させたり
高橋健一先生の指導は
スパルタでしたが
コロナで
部活の時間が大きく制限された中
映画のために
力を貸してくれた
市船吹奏楽部の皆さんの
心意気がすごかった
「大義先輩は
市船吹奏楽部の誇り」
そんな言葉を
度々耳にしました
吹奏楽部の皆さんが
俳優部や、
我々映画のスタッフのことを
どれだけ認めてくれたのか?
きっと
最初から認めてくれたわけではないでしょう
吹奏楽部のメンバーと
我々に
絆を作る
高橋健一先生は
そこに力を注いでくださいました
そんな
市船吹奏楽部の皆さんの
本気の協力を引き出したのは
ひとりひとりが
大義くんの物語と向き合う
真剣な想いだったに
違いありません
神尾楓珠くんの
トロンボーンへの
大義くんへの想いが
日に日に強くなっていくのを
身近で確かに感じました
そして
初めてトロンボーンを手にしてから
わずか一月
神尾楓珠くんの腕前は↓
音は
隣りでリードしてもらっているのですが
指使いは
1か月前とは雲泥の差です
トロンボーン奏者にとって
ビシッと決めたら最高にカッコいいけれど
弾きこなすことが難しい
市船ソウル
スクリーンでの
市船ソウル
華麗な演奏シーンが浮かびました
「トロンボーンは
絶対に
クランクインに間に合う」
確信した瞬間でした
プロダクションノート
明日は
中井さんです
©2022「20歳のソウル」製作委員会