20歳のソウル
監督の秋山です
昨日の続きです
船橋市民ホールの撮影中に
お母様が亡くなり
福島まで車を飛ばした高橋健一先生
3日後の
野球場ロケ前夜に帰京して
朝一には
スタンドにいらっしゃいました
印象的な雲が空に出た日でした
先生からいただいた言葉です
「私は生まれた時から、この歳になるまで
母に守られ生かされて来たことを
痛感しております
これからは
お空から見守ってくれていると思います」
野球場のロケは
以前
みやしーが連載したように
とても過酷な撮影でした
俳優部に加え
市船吹奏楽部
市船ダンス部
市船野球部OBや野球部役の大学生
卒業生の皆様
保護者の皆様
ボランティアエキストラの皆様
700人を超える大所帯でした
スケジュール
最初は3日で考えていましたが
コロナのリスクを考え
全シーンを
1日で撮り切ることを決断
幸いにも
晴天に恵まれ
我々は
まさに我を忘れて撮り続けました
その日の写真をご覧ください
高橋健一先生は
一枚も写真に写っていません
先生は
スタンドの一番上に陣取り
ロケが潤滑に進むように
吹奏楽部だけでなく
市船関係
全ての生徒たちに
指示を出して下さっていたのです
市船ソウルが演奏される時
スタンドでは
市船独特の
応援の動きがあります
吹奏楽部の演奏だけでなく
演奏にからむ何もかもについて
高橋健一先生は
スタンドの一番上から
的確に指示を出し
先生の力をお借りして初めて
我々は
リアルな応援シーンを
撮影することが出来たのです
ロケも終盤に差し掛かり
太陽が
今にも沈もうとする中
カメラ班は
グラウンドでスコアボードなどの撮影を続け
スタンドでは
俳優部と、吹奏楽部の皆さんの
声録りが続いていました
その時
高橋健一先生が
みやしーに言ったそうです
「みやしー、俳優部に一旦待ってもらい、先に生徒たちの声を録ってくれ」
すっかり辺りは暮れていました
真夏のような日差しは
いつしか無くなり
まだ、肌寒い三月終わり
真夏の設定のため
生徒たちの服装は
半袖半ズボンでした
僕らは
撮り切ることに必死で
待って下さっている
皆さんの服装まで
気が行き届いていなかったのです
いつも
冷静に温かく
生徒たちを思いやる
高橋健一先生
吹奏楽部やダンス部の
声を録り
待ってもらった俳優部の声を録り
無事に
3日分を撮り切りました
先生は
さわやかな笑顔で
球場を後にしました
全てが終わったとき
陽は沈み
真っ暗になっていました
完成した
20歳のソウル
野球場シーンは
臨場感あふれる
迫力満点のシーンとなりました
そのシーンを見るたび
福島から
とんぼ返りして
ロケに立ち会って下さった
高橋健一先生のことを
思います
先生
ありがとうございました
20歳のソウル
監督の秋山です
昨日のプロダクションノートは
中井さんとみやしーが
懐かしの船橋市民ホールに行った話でしたね
仕事でご一緒出来ませんでしたが
僕も行きたかった…
その中に出てくる船橋市市民ホールのロケは
一年前の3月28日でした
その日は朝一で
写輪館のロケでした↓
お祖父様とパチリ↓
写輪館から移動して
僕らが市民ホールに到着した時
すでに会場では高橋健一先生の指導で
市船吹奏楽部の皆さんが入念なリハーサル
実際に演奏して
音も録音するので
緊張感が漂います
そして
高橋健一先生役の佐藤浩市さんをはじめ
吹奏楽部員役の俳優部が加わり
入念なリハーサル
客席には
市船吹奏楽部、保護者の皆様や関係者の皆様が
集まってくださいました
ありがとうございました
感染対策に始まり
皆様への謝礼にと
大量のオリジナルTシャツを
スタッフと一緒に配ってくださったのも
市船吹奏楽部関係者の皆様でした
本当に
お世話になりました
コンクールの演奏シーン
会場ホールのシーン
順調に撮影は進みます
会場ホールのシーンでは
大切な歌があり
演奏の指導を終えた高橋先生も
ずっと立ち会って
撮影を見守ってくださいました
市民ホールのラストカットを撮り終えた瞬間
高橋健一先生のスマホに
着信がありました
高橋先生は
僕らから離れた場所で短く話すと
僕のところに来て…
「いま、母が亡くなりました。今から、福島へ帰ります」
と
実は
数日前から高橋先生のお母様の
御容態が良くないとは聞いていたのですが
コロナのため病室に入ることが禁じられていたこともあり
ずっと東京に残り撮影に力を注いでくださっていました
先生はその足で
ご自分で車を運転して
福島へ向かわれました
「三日で戻ります。野球場のシーンには、必ず立ち会うから」
そう、笑顔で話して
高橋先生から
無事に福島に到着しました
と連絡があったのは
その日の22時半
どんな想いでハンドルを握っていたのか…
想像するだけで
今でも涙が出ます
そして
言われた通りに
三日後
高橋先生は
撮影現場に戻って来てくださいました
高橋先生から
いただいたメッセージの一部です
「28日の撮影を終え母のもとへ。
30日には葬儀、火葬、納骨まで終えることが出来ました。ちょうど市船関係の撮影のない時期です。
母がそうしてくれたのか、大義がそうしてくれたのか、わかりませんが、私は明日の野球場のシーンから皆様に合流出来ます」
20歳のソウルは
高橋健一先生をはじめとする
たくさんの大義くんの仲間が
力を合わせて完成した映画です
「なぜ、毎日プロダクションノートを書くのですか?」
そう尋ねられることがとても不思議です
この物語は
誰のものでもない
大義くんを愛する
全ての人の物語だから
僕らだけが知っている全てを
伝えて行きたいのです
明日は
高橋健一先生が戻って来た
野球場のロケについて書きます
皆さん、こんにちは。
中井由梨子です。
今日は、船橋市の広報課が制作している広報番組「CITYNEWS」でのインタビューで、大義くんのお母様の桂子さんとご一緒に取材を受けました!
ふなばしCITY NEWS|動画で見る船橋市
映画のPRをさせていただけるということで、大義くんについての取材を始めてから本を書き、映画にするまでの思い出の数々を、お母様とともにお話させていただきました。
インタビューが行われたのは船橋市民文化ホール。映画では、吹奏楽コンクールのシーンのロケ地となり、大義くんも何度も演奏したことのある馴染みあるホールです。
今日は、お客様のいないがらんとした空間でしたが、撮影の時は舞台上に部員総出で楽器を設営してくださったり、ロビーで皆さんに着替えていただいたり、たくさんの保護者会の皆さんや卒業生の方がエキストラとして参加くださったり、吹部の皆さんと映画で過ごした時間が思い出されました。
なんとこの日、インタビューしてくださったのは、昨日のプロダクションノートにも書かせていただいた、大義くんの代の部長、河上優奈さんでした!
優奈さんから、本にしていく過程での取材や、映画化が決まった時のことなど、詳細なインタビューを受けながら、この5年間の懐かしい思い出がたくさん蘇りました。取材したというより、お母様の桂子さんや大義くんの周りの皆さんと楽しくお喋りしていたら、いつの間にか、形が出来上がってきた・・という5年間でした。
インタビューが終わっても、お母様と優奈さんと話がまったく終わらず、ずっと話し込んでいました(笑)
この日、大義くんのお祖父様がオリジナルで作ったという「市船soulタオル」に「絆」の文字を入れた新しいデザインのタオルをいただきました!
その後、ユッコ役を演じた佐藤美咲さんの取材も行われました。広報課からメディアに配信しているニュースレターにインタビューが掲載されるようです。
こちらにも優奈さんは携わっていて、ユッコ役のモデルである優奈さんと、ユッコを演じた佐藤美咲さんの対面が叶う瞬間でした!
(ちなみに優奈さんも美咲さんも赤ジャです)
美咲さんは、優奈さんのことを
「一番お会いしてお話してみたい先輩でした。今日お会いできて感激です!」
と仰っていました。
初めてながら、堂々と映画出演を果たした美咲さん。将来はダンサーとして活躍したいという夢を追いかけています。たくさんの可能性を試しながら、1日1日を歩んでいるそうです。
20歳になったばかりの美咲さん。
これからの活躍が期待されますね。
船橋「CITYNEWS」5月15日13時に放送されます!(YouTubeで全国どこでもご覧いただけます!)
ニュースレターは4月末に刊行されるそうです。楽しみになさっててください!
皆さん、こんにちは。
中井由梨子です。
試写会も進み、私が取材した大義くんの同級生の方も何人かご覧になっています。
その中で、今日は河上優奈さんと、坂巻知里さんからのご感想をいただきましたので、動画でお届けしたいと思います!
河上優奈さんは、原作では「ユナ」、映画では「ユッコ」として登場し、佐藤美咲さんが演じています。
大義くんの代の部長で、現役時代はサックス奏者。
「最高の形で、大義を送り出したい」
告別式で優奈さんが、集まった164人の仲間たちに伝えた言葉は、映画の中でも大切なシーンとして表現されています。
鑑賞後、お電話でお話したのですが、しばらくは言葉がなく、いつもしっかり者の印象が強い優奈さんですが、少し感慨深く、感想を話してくださいました。
現在は、船橋市役所の職員として広報課に配属され、なんと「20歳のソウル」の宣伝も担当されることになったとか!
「この巡り合わせは大義の仕業ですね」
と笑顔で仰ってくださいました。
本当に、嬉しい偶然です。
そして、同じく大義くんのお友達だった坂巻知里さんにもお話を伺いました。
5年前、取材を通して沢山のお話を聞かせてくださった大義くんのお友達の皆さん。
こうして、映画を見届けてくださって本当にありがとうございます。
「大義にまた会えた気がした」
優奈さんの嬉しいこのお言葉に恥じない気持ちで、これから公開までの1ヶ月、たくさんの方に見ていただけるよう、私も頑張ります!
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
前回は一緒に「20歳のソウル」の助監督として奮闘した伊藤まりんさんのご紹介をしました!
そして、昨日から小田急電鉄に「20歳のソウル」の中吊り広告が出ると、
プロダクションノートでお伝えしたのですが、僕の早とちりでございました(汗)
大変失礼いたしました。
改めて、ご紹介します!
「20歳のソウル」の公式Twitterでもお知らせがありましたが
昨日から、小田急電鉄とのタイアップキャンペーンがスタートしました。
こちらのキャンペーンでは、本作の劇場鑑賞券が100組200名様に当たります!
応募期間は2022年4月19日~2022年5月18日までです!
応募方法等詳しい情報は下記のURLから確認できますので、是非ご応募ください!
映画「20歳のソウル」全国共通鑑賞券プレゼント! | 小田急ポイントカード[OPカード] (odakyu-card.jp)
もし、僕の誤情報で小田急線に「20歳のソウル」の広告を
探しに行ってしまった方がいましたら、本当に申し訳ありません…
実は僕も張り切って小田急線に探しに行ってしまいました…
しかも、衣装まで着て…
その衣装とはこちらです。
野球のユニフォームです。
これで「20歳のソウル」の広告と一緒に写真撮れたら嬉しいなぁ
なんて思いながら
小田急線の全車両を歩き回って探してしまいました…
ちなみに僕は野球未経験です。
今日のプロダクションノートを見て、
野球のユニフォーム姿でうろうろしている人いたなと思った方、
きっとそれは僕です。
結局、「20歳のソウル」の中吊り広告とは出会えず
よくよく確認してみるとキャンペーンのスタートが4月19日からという…
しかーし!
「20歳のソウル」の中吊り広告が出ないわけではありません!
ゴールデンウイークごろから駅構内に、
そしてその後、車内に中吊り広告も掲出予定だそうです!!!
皆さん、是非その日をお楽しみに!
そして僕が着用している野球のユニフォーム!
実は「20歳のソウル」で使用した衣装でもあります!
是非劇場で探してみてくださいね!
本日もご覧いただきありがとうございました!
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
本日は、僕と一緒に助監督として参加してくれた、伊藤まりんさんのお話をしたいと思います!
伊藤さんと初めてお会いしたのは秋山監督の別の作品でした!
当時、エキストラ会社に勤めていた伊藤さんの現場での仕事ぶりと人柄の良さから、
是非、秋山組に力をかしてほしいという話になり、映画「20歳のソウル」の助監督として参加いただきました!
今回、準備期間から助監督として参加していたのは僕と伊藤さんの2人だけでした。
撮影開始の約1ヶ月半前くらいから、僕と伊藤さんは顔を合わせ、スタッフルームにこもって準備をしていました!
伊藤さんに撮影当時のお話を伺ってみました!
宮下
「20歳のソウルではすごくいろんなことを準備してくれてたと思うけど、どんなことをしていたのか教えてもらえますか?」
伊藤
「撮影の準備期間は、台本を読んでシーンごとの小道具などのリストアップをしたり、原稿と言われるどんな小道具なのかを明記した資料などを作成して美術の方々に作成をお願いしていました。
あとは自分で作成できる小道具は自分で作ったりもしてましたね。」
宮下
「あとエキストラの人数の割り出しとか、手配もしてくれてたよね!」
伊藤
「そうですね。もともとエキストラ会社には務めていたのですが、依頼された人数を集めるようなことをしていたので、シーン毎に何人くらい必要かとかそういうのを考えるのは少し大変でした(汗)」
宮下
「そうだったね。監督とエキストラに関する打ち合わせとかもしたよね。
現場ではどんな感じだった?」
伊藤
「現場では監督の指示で動いたり、次のシーンの小道具などの確認をしていました。
今回は小道具として高橋先生の楽譜をお借りしたり、コンクールのメンバー表も先生が直筆で書いてくださったものをコピーして使わせてもらっているんです。
本当にありがたかったですし、リアルなものが観られるので皆さんには是非楽しみにしていただきたいです!」
宮下
「大切なものをお借りしたり、普通ならまずないことだよね。本当にありがたかったね。
今、撮影を振り返ってみてどう?」
伊藤
「撮影の時はとにかく必死でした。
こういう形で参加させてもらうのは初めてでしたし、どうしたら良いのかもわからないことばかりで、とにかく皆さんに食らいついていこうと…
いろんな方にご迷惑をおかけしてしまったかもしれませんが、頼れる美術スタッフの方々やたくさんの方々に助けていただいてなんとか乗り越えられたと思います。」
宮下
「毎日が必死すぎて、撮影終わってからスタッフルームで
明日も頑張ろうって励ましあいながら次の日の準備してたよね(笑)」
伊藤
「そうでしたね(笑)
宮下さん、本当にお世話になりました。」
宮下
「こちらこそ本当にありがとうございました!」
今回は、撮影では準備期間も含めると約2ヶ月半。
同じ助監督として現場でも一緒に駆けまわった仲間の
伊藤まりんさんからお話を伺いました!
伊藤さんの人柄と、何が何でも食らいついていこうと必死に走り回る姿に他のスタッフもパワーをもらっていたことは間違いありません!
(※エキストラ出演した伊藤さん)
それから、話は変わりますが
今日から小田急電鉄に「20歳のソウル」の中吊り広告が出ています!!!
皆さん、これは要チェックですよ!!!
本日もご覧いただきありがとうございました!
こんにちは!
中井由梨子です。
映画の中で、私が一番苦しい想いをしながら描いたシーン。
大義くんが発病し、闘病を続ける映画後半のシーンの数々です。
原作『20歳のソウル』(幻冬舎文庫)/『20歳のソウル~奇跡の告別式、一日だけのブラスバンド~』(小学館)では、この闘病生活を描くことに強い抵抗を覚えていました。
今も残る、お母様の手帳のメモ。
「2015年10月1日 千葉大学医学部附属病院。肺癌と診断される」
この一行を目にしただけで、私の心臓はぐっと音を立ててへこんでしまうような気持ちになります。
どれほど怖かったことか。
大義くんの気持ちを考えるとどうしても現実を直視できませんでした。
ですから、原作では極力闘病の様子を描くことを避けました。
けれど、映画の脚本を書くときに監督が仰いました。
「大義くんが見た闇を描かなければ、彼が見出した光も描くことはできないよ」
以前、このプロダクションノートでも取り上げましたが、高橋克典さんに担当医役をお願いできたことにより、私はかなり救われました。
克典さんのような先生なら、きっと「闘おう」と大義くんも思えたはず。
最後まで共に歩んでくれる担当医の先生を描くことができました。
(ちなみにお母様によると、実際の先生も高橋克典さんとよく似ていらっしゃるようです…!)
数々の闘病シーンの中で、なんといっても重要になるのが医療監修です。
その大切なセクションを担ってくださったのが、以前のプロダクションノートでもご紹介させていただきました、伊勢友加里先生です。
すべての撮影に立ち会い、真摯に監修をしてくださった伊勢先生から、試写のご感想をいただきましたので掲載いたします。
「友人の松田好太郎(「20歳のソウル」制作担当)からのお誘い。
―映画の医療指導をしてくれないかな?
そこから始まりました。
私自身、経験のないことでもあり、自分でいいのかと不安だらけでした。
しかし「20歳のソウル」のストーリーを聞き、何か私にできることがあれば協力したい、そんな気持ちになりました。
みなさまのサポートを受け続け、私にできることをさせていただきました。
しかし、医療従事者として、複雑な心境は正直ずっとありました。
亡くなった息子さんの映画を見て、ご家族はどのような心境なんだろう、、、
作品を見たら辛かった時のこと、絶対思い出すよね、、、
大義くんのお母様とは何度か会わせていただいています。
わたしの不安とは異なり、大義くんのお母様は、
「たくさんの人に、この映画を広めたい!みんなに観ていただきたい!」と話されます。
お母様の想いを感じながら作品を見させていただくと、涙が止まりません。
そんな素晴らしい作品に関わらせていただけた事に深く感謝しています」
伊勢先生も感じてくださった、大義くんのご家族の想い。
この映画は希望の映画です。
見た人に、力と勇気を与えることができる映画です。
この感動を、想いを、日本中の皆さんと共有したい。
4月28日(木)いよいよ完成披露試写会、皆様に御覧いただけることが本当に待ち遠しいです。
たくさんのご応募をお待ちしております!!
こんにちは!
中井由梨子です。
4月28日(木)いよいよ完成披露試写会が開かれますね!
皆様に御覧いただけることが本当に待ち遠しいです。
登壇は、浅野大義役神尾楓珠さん、宮田夏月役福本莉子さん、佐伯斗真役佐野晶哉(Aぇ! group/関西ジャニーズJr.)さん、高橋健一役佐藤浩市さん、そして秋山純監督です!
皆さんでお話できるのは一年前の撮影日以来。
懐かしいながら、完成を一緒にお祝いできるというのは本当に嬉しいことです。
現在、応募受付中(4月21日締め切り)です。
皆様からのご応募、心からお待ちしております。
さて、それに先立って、マスコミ・関係者試写会は何度か行われております。
今日は市船の保護者会の皆様が御覧くださったご感想を掲載させていただきます!
何度もこのプロダクションノートでご紹介している通り、保護者会の役員の皆様のご協力なくしては、この映画は成立しませんでした。
映画の撮影を、部活動の大切な活動と同じようにとらえて、惜しみないご尽力をくださったことに心から感謝いたします。
今日は大義くん役のトロンボーン吹き替えも担ってくれた立役者「友理たちの代」を支えた保護者会の会長、勝部真紀子さんと、その次の代でもっとも多くのシーンで登場する「咲月たちの代」の会長だった横山恭子さんのご感想をご紹介させていただきたいと思います!
「大義さんの切ない想いと…
桂子さんの「生きていてほしい」という願いと…
懐かしい学校と…
あの時の情景と…
途中からは涙と鼻水との闘いで…大変でした(+_+)
素晴らしい映画を…
本当にありがとうございました!」(勝部真紀子)
「すっごく切なくて、悲しくて、辛いけど、すっごく大切なことを教わった映画でした。
私なんかが映画を見ただけで分かった気になってしまっては決してだめだと思いますが、大義先輩の強さ、自分と向き合う姿、立ち向かう姿、弱さを見せない姿、本当に素敵な方だったんだろうなと思います。
私も今年で20歳になるので、すごく自分の今と重ねて見てしまいました。
自分のことばかり考え、毎日をなんとなく過ごしている自分がとても恥ずかしく、情けなくなりました。
もっと色んな人、色んなこと、色んなものを大切に、何気ない毎日を大切に生きていこうと思いました。
大切なことを大義先輩からたくさん教わりました。
上手く言葉にできないですが、もうとにかく途中から涙が止まらず、鼻水も止まらず、大洪水でした、、。
あと佐藤浩市さんが高橋先生にしか見えなくなるという現象が起きました(笑)本当に浩市さんすごいです、、。
今日のこの言葉にできない大切な感情を忘れないようにしたいです。
今回は本当にありがとうございました。そして、映画に携わらせて頂きありがとうございました」(勝部友理)
「希望の物語でした。
時間の長短ではない…ひとりの人が生ききる姿がありました。
私は訪問看護師です。
最期までその方らしく生ききるためのお手伝いをしたい、と常に考えています。
その人らしく生ききるとはどういうことなのか…それは人それぞれで正解はありません。
でも、昨夜、確信したことがあります。
そうか…私は私で、その時その時をしっかり生ききる覚悟を持たなければ、誰かが生ききるためのお手伝いなんてできるわけがないんだな、と。
今日という日は神様からのプレゼント…昨夜、大義先輩と秋山組の皆さまから頂いたプレゼントを胸に、本日も張り切って働いてまいります!
ありがとうございました」(横山恭子)
皆さんと作り上げた大切な映画を、こんな風に皆様がしっかりと受け止めてくださり、私も感無量です。
この感動を、想いを、日本中の皆さんと共有したい。
完成披露試写会、たくさんのご応募をお待ちしております!!
20歳のソウル
監督の秋山です
今日は
ナイツの塙 宣之さんの
撮影エピソードを
なんと
塙さんは
20歳のソウルの
映画化が決まる前に
原作を手に取っていただいたそうで
ご自分の番組でも
すごい本だと
大宣伝してくださっていたそうです
大変光栄です
ありがとうございます
なので
今回の出演が決まった時
すごく喜んでくださったと聞いています
20歳のソウルの
世界観を大切に思っていただける
塙さんに
ご出演いただき
嬉しかったです
短いシーンですが
印象的な大切なシーン
その時の衣装が
↓
おや?
この衣装は?
一目でネタバレwとなる
◯◯隊長役
しかも
セリフのやりとりは
佐藤◯◯さんと
ツーショット
どれくらい大切なシーンかと言うと…
(全てのシーンが、大切なシーンなんですが)
◯◯浩市さんは
相手役がわかる前から
そのシーンの在り方について
僕に
何パターンもの
演出プランを提案してくださり
二人で
かなりディスカッションして
臨んだシーンだったのです
当日
現場入りした塙さん
緊張感を隠せない感じでした
衣装は
リアルな◯◯隊長の制服を
お借りしました
そして
◯◯隊員は
リアルな◯◯隊員
本物の皆様が
その時間に出動にならなかったら
の
条件付きで
撮影に協力してくれたのです
(※撮影前に入念な打ち合わせを行いました。)
オレンジのユニフォームに身を包み
周りは鍛え上げた男たち
我々のテンションも上がります
実は
塙さんには
事前に言わなかったですが
佐◯◯市さんは
塙さんのお笑いが
大好きだった‼️
ナイツをテレビで見たら
声が出ちゃうくらい
大好きなコンビで
塙さんのことを
天才だとおっしゃっていたのですが…
緊張感を壊さないように
雑談は一切しないで
いよいよ出番です
軽くテストをした後
本番は?
複数カメラで
一発撮り
一発OKでした‼️
「別のアングルいらない?」
◯◯浩市さんから
笑顔で言われましたが
いつもの通り
全てのアングルは
一発で
撮りました
塙さんが
現場入りして
紹介してから
撮影が終わるまで
数分間
しかし
映画をみていただけたら
数分間のやりとり
温かく、シビアで
クスッと笑えて
じわじわ泣けてくる
そんな
素晴らしいシーンとなりました
(※市船での撮影時の写真です。)
僕は
一番良いかぶりつきのポジションで
見せていただきました
いつも思うのですが
監督は
空気感を作って
役の説明さえすれば
あとは
信頼してお願いした俳優部と
優秀な技術スタッフに
委ねるだけ
素晴らしいシーン
是非是非
スクリーンで
ご覧ください
そのあと
リアルな◯◯署に移動して
塙さんのシーンは続きました
屈強な男たちと
走る塙さんにも
大注目です
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
昨日、佐藤浩市さんの映画「20歳のソウル」に関する取材が行われました!
広尾にあるスタジオで行われた佐藤浩市さんの取材、お話を伺ったのは秋山監督です!
取材前に話す内容をしっかりチェックしている監督ですが、話し出すと止まらない止まらない(笑)
熱が入りすぎてチェックしている内容と全然違う内容のお話になっていました(笑)
しかし、その熱さが監督の魅力です。
皆さんが気になるようなことを、佐藤浩市さんからたくさん聞いていました!
取材を受けている佐藤浩市さんの様子をパシャリ!
撮影は約一年ほど前のことですが、
脚本のこと、役柄について、印象的なシーンなどなど
本当に鮮明に覚えててくださっていました。
とても嬉しくもあり、俳優として一つの作品に臨む姿勢などすごく勉強になりました。
秋山監督から聞く佐藤浩市さんのお話で特に印象的なのは
「高橋先生と初めてお会いしたとき、高橋先生役は佐藤浩市さんしかいないと思った。」
とおっしゃっていたことです。
佐藤浩市さん主演ドラマ、秋山監督作品「陽はまた昇る」で
警察学校生徒役で出演していた、三浦春馬さん、池松壮亮さん、高橋努さん、そして、たくさんの俳優を始めたばかりの生徒役のメンバーの前で、佐藤浩市さんがおっしゃった言葉。
「一年後会ったときに俳優をやっている人は半分もいないかもしれない。
でも一緒に過ごした、今というこの時間は一生の失うことのないかけがえのない時間だ。」
という言葉が、まさに高橋先生のおっしゃる『今を生きる』という事だと感じたそうなんです。
『今を生きる』
この言葉は「20歳のソウル」において、大切なキーワードの一つになっているのではないかと思います。
高橋健一先生役の佐藤浩市さんをどうぞ劇場でご覧ください!
本日もご覧いただき、誠にありがとうございました!
©2022「20歳のソウル」製作委員会