20歳のソウル
監督の秋山です
みやしーが
静岡に向かったのは
みんなで
温泉に入って
美味しいものを食べる
贅沢な休日が目的…
というわけでは
ありません
20歳のソウル
文庫本を出版していただいた
幻冬舎の見城社長と
僕がテレビ朝日時代に
お世話になった
静岡朝日テレビの
平城社長
の心遣いで
20歳のソウル
公開直前の
二時間生番組との
コラボを企画していただき
その打ち合わせと
資料をお届けするために
静岡を訪れたのです
せっかく静岡に行くなら
見城社長の著書
「極端こそ我が命」
にも詳しく記述されている
見城社長の
生まれ故郷
清水の名所を
巡ってみたいと思い
清水南高校や
折戸海岸
小糸製作所や
美保の松原
由縁のある
名所を巡りました
戸田書店には
20歳のソウル
平積みでした
行く先行く先で
迎えてくれたのは
富士山
富士山
富士山です
美しく
壮大で
パワーをたくさんいただきました
そして
三人で
静岡朝日テレビに
向かいました
ポスター
フライヤーなど
たくさんの
20歳のソウル PRグッズを
受け取っていただき
映画の
大バックアップを
約束していただきました
見城社長
平城社長
ありがとうございました
富士山のパワーを
存分にいただき
我々も
パワーアップして
東京に戻りました
東京から一時間
心と身体を
リフレッシュした
最高の一日でした
あ
そうだ
今日、59歳になりました
50台ラストイヤー
全力で
駆け抜けます
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
今週からやっと”まんぼう”が明けましたが、いかがお過ごしでしょうか?
引き続き、体調にはどうぞお気をつけてお過ごしくださいね。
昨日、僕はとあるところへ行ってきました!
もちろん「20歳のソウル」の宣伝のためです!
日活の方々にご協力頂き
大量のチラシ、ポスターなどの宣伝グッズをゲット!!
傷が付かないようにキャリーケースに収納しました!!
そして今回は新幹線にも乗っちゃいました!
秋山監督が昔からお付き合いのある方とのことですが、
僕は初めてお会いします!
監督の
「偉い人に会うよ」
という言葉に完全に緊張モードの僕は、
久しぶりにジャケットを着用しました!笑
そして無事に新幹線へ搭乗!
ドキドキしながらも
久しぶりの新幹線にワクワク感も!
新幹線からの眺めもパシャリ!
海なし県出身の僕は
海見えないかなぁと期待していたら、ほんの一瞬だけシャッターチャンスが!
昨年に撮影したもう一つの秋山純監督作品、
「劇場版TOKYO yancha BOYS」を撮影した真鶴町の近くの海です!
やっぱり海はいいですね。
心が癒されます。
あんまりうまく撮れませんでしたが。。。笑
そして新幹線に乗ること約1時間!
無事に到着しました!
僕が降り立った場所はこちら!
静岡です‼️
現地で、
秋山監督と中井さんと合流!
さぁ、
僕たちは向かった場所とは!?
また明日に続きます!
こんにちは。
中井由梨子です。
先日、大義さんの妹さん、浅野千鶴さんと中目黒でお会いしました。
秋山純監督が2021年に制作した映画「刑事JACOK」の上映会にお母様の桂子さんと訪れてくださったからです。
千鶴さんは、私が取材を始めた頃から少しずつお話をして、大義さんのことをいろいろ教えてくださいました。
お兄さんが大好きだった千鶴さん。
私がとても心を打たれたエピソードは、ソフトボール部だった千鶴さんに大義くんが「試合ができるということに感謝を忘れるな」と話をして、千鶴ちゃんが、グローブに「感謝」という文字を刺繍したということ。
大義くんの優しさが滲み出ています。
先日はゆっくりランチしながら、映画「20歳のソウル」の試写を見て下さった感想を話してくださいました。
映画が終わるまでは涙は出ず、終わった瞬間に堰を切った様に涙を流されていた千鶴さん。
いま、千鶴さんは、大義さんのTwitterアカウントを引き継ぎ、ツィートを続けていらっしゃいます。
https://twitter.com/7_____7_____77?s=21
千鶴さん、今度一緒に市船に遊びに行きましょうね。
桂子さんのラテアートのウサギさんに「ソウル」と書いちゃった千鶴さん。上手!
20歳のソウル
監督の秋山です
昨日に続き
20歳のソウル
浅野家ロケセットの話です
「市船から近い、一軒家で、
一階リビングにピアノを置けて
二階に、大義くんの部屋を飾れる場所
階段から廊下の芝居もあり
メイク場所、待機場所も近くにあり
密にならない撮影が可能
雨降らしや、暗幕処理が可能」
探し続けていた
ハードルが高い
ロケセット
記録(スクリプター)として参加してくれた
俳優、吉木遼が
我々の救世主となりました
「僕の実家
一軒家で
いま親が二人で住んでいて
千葉にありますが
一階リビングにYAMAHAのピアノがあって
二階の僕の部屋は空いてますよ」
ロケハンしたら
まさに
理想の環境
理想の部屋
今は
空いている
二階の遼くんの部屋には
愛用のデスクが一つ
まるで
ロケに使ってください
と
言われているように
存在していました
我々は
浅野大義くんの部屋から
大義くんが愛用した
楽器、楽譜、ノート、キーボード
部屋に飾られていた
ポスター、表彰状、写真
大切なたくさんの宝物をお借りして
美術の皆様が
飾って下さり
こんな感じに
↓
リビングも
素敵に飾ってもらいました
リアルな装飾は
大義くんの実家から持ち込んだので
まさに
浅野家そのもの
美術、山田さんの
手作りのグッズが
花を添えてくれました
ピアノも
調律をして
演奏可能な
状態となりました
神尾楓珠くんが
リアル演奏を
尾野真千子さんに聞かせる
素敵なピアノシーンは
このピアノで
撮影されました
たくさんのミラクルが
重なって
浅野家ロケセットは
完成しました
そして
クランクインの日を
無事に迎えることが
出来ました
お力添えをいただいた皆様
ありがとうございました
20歳のソウル
監督の秋山です
20歳のソウルは
ちょうど一年前の
3月19日
大義くんの誕生日に
クランクインをしました
クランクイン時点では
まだ
緊急事態宣言が
発令されていたこともあり
(2日後に解除)
感染対策を徹底的に講じて
ロケを行いました
エキストラや学生の皆さんに
参加していただくロケ
学校内のロケは
解除後としたため
まず
ロケセット「浅野家」での
撮影で
クランクインすることに決めました
この
大義くんの部屋や
浅野家リビング
装飾(飾り)には
リアルな大義くんの持ち物や
楽譜、ノート、ポスター、写真など
宝物のような物たちを
お借りしました
室内のシーンでもあり
天候に関わらず撮影をしたい
また
貴重な物を飾るため
リスクを避けて
出来ることなら
物の移動を最小限にしたい
一か月飾りっぱなしにしたい
市船からの距離も
出来れば近く
ハードルが高い
ロケセット
探し続けていた場所は
まさかとしか言えない
身近なところにありました
「市船から近い、一軒家で、
一階リビングにピアノを置けて
二階に、大義くんの部屋を飾れる場所
階段から廊下の芝居もあり
メイク場所、待機場所も近くにあり
密にならない撮影が可能
雨降らしや、暗幕処理が可能」
ロケをしたことがある方なら
この条件が
どれだけシビアか
わかると思います
そんなロケセットあるわけない?
あったのです
探し続けていた
ロケハンの日々
記録(スクリプター)として参加してくれていた
俳優の吉木遼が
言いました
吉木遼は
2014年、藤井道人監督・島田荘司原作『幻肢』で主演デビューした俳優です
「僕の実家
一軒家で
いま親が二人で住んでいて
千葉にありますが
一階リビングにYAMAHAのピアノがあって
二階の僕の部屋は空いてますよ」
まさか??
「遼くん、すぐに動画撮影してきて」
その夜
遼くんから送られて来た動画を見て
我々はひっくり返りました
「まさか…浅野家とそっくりだ…」
20歳のソウル
たくさんのミラクルがありましたが
浅野家ロケセットが見つかった時も
みんなで
神様に感謝した
ミラクルの瞬間でした
ロケハンの様子です
遼くんのお父様、お母様
ありがとうございました
↓
明日に続きます
皆さん、こんにちは。
中井由梨子です。
18日に予告編解禁と共に、数々のテレビ番組で映画について取り上げていただいた録画を拝見しました。
大義くんの物語が、いよいよ広く皆さんにお伝えできる喜びと、きちんとした形でお届けしなければ、という責任を改めて感じました。
公開日の5月27日まで、一日一日大切に過ごしていきたいと思います。
さて、昨日は大義くんのお誕生日ということで、大義くんに会いに行きました。
大義くんのお母様の桂子さん、秋山純監督、ユッコ役の佐藤美咲さん、助監督チーフの宮下涼太くん、記録係だった吉木遼くん。
コアなメンバーで、とてもアットホームなお参りでした。
雨予報の空は、青空。
温かな春の風が吹いていて、心軽く出かけることができました。
コーラを7本購入。
今日は、大義くんと映画の完成を祝って乾杯したかったのです。
一年前の3月19日。
映画「20歳のソウル」はクランクインしました。
少数精鋭がポリシーの秋山組。
俳優がスタッフを兼任する全員野球スタイル。
コロナ禍での大規模ロケ。
毎日、毎日が喜びと驚き、苦しさと葛藤、不安と緊張に溢れて、眠れない日々。
1シーン、1シーン、ギリギリの準備に駆けまわりながら、必死で、心を込めて撮りました。
この映画が他の映画と大きく違っている点は、きっとこの制作過程にあると思います。
御覧いただければ「普通と違う」感じが良くお分かりいただけると思います。
予告編でも垣間見えるかもしれませんが、限りなくドキュメンタリーに近い映像です。
それは本当に市船で、本物の音楽室で、大義くんが実際に立った舞台で、映画を撮らせていただいたおかげかもしれません。
市船吹奏楽部の現役生が出演しているからかもしれません。
多くのロケを船橋で行ったからかもしれません。
けれど何よりも大きいのは、この映画に携わったすべての方々の心に、大義くんへの敬意と愛情があるからだと私は思っています。
それは、自分に与えられた過酷な試練に果敢に立ち向かい、人に優しくすることを忘れず、感謝を忘れず、精一杯生きたことへの敬意だと思います。
この映画に携わったすべての皆さんは、大義くんとの縁があって繋がっている。
今、このプロダクションノートを読んでくださっている貴方とも縁があり、
そしてこれから、この映画を通して出会ってくださる皆様も、何か縁があって繋がっているのだと思います。
この縁の輪を広げていくこと。それがこれからの私たちの仕事です。
大義くん、まだまだ見守っていてくださいね。
みなさん、こんにちは。
中井由梨子です。
映画の予告編が公開され、本ポスターが完成いたしました。
これから映画の本編映像やポスターをネット上や街中で、テレビで、劇場で、皆様に御覧いただく機会が増えていくと思います。
5月27日の公開に向けて、皆様と共にカウントダウンをしていきたい。
どうぞよろしくお願いいたします。
さて、今日3月19日は。
319、ミュージックの日。
浅野大義さんのお誕生日です。
大義くんと知り合ってから、ご命日やお誕生日、何か節目の日には大義くんのお墓参りや、ご仏壇にご挨拶に行かせていただいておりますが、今年は特に、思いを込めてお参りに行きます。
※※※
中井由梨子「誰も知らない取材ノート」より
この取材の期間中、私は何度も二和向台へと足を運びました。
駅前の忠義さんのお宅で桂子さんや忠義さんとお話するのが常でしたが、そこから歩いて十分ほどのところにあるご自宅までも、お邪魔したことがあります。
大義くんのお部屋に入らせていただくと、部屋の奥の机に鎮座する八十八鍵のキーボードが目に入ります。
机には音楽論やスコアが何冊も並び、壁には賞状やコンサートのポスターが所狭しと貼られています。
そして、机の裏にスプレーで書かれた『市船』の文字。大義くんがいかに市船を愛していたかが分かります。
(※こちらは大義さんの大切なものをお借りして飾ったロケセットの写真です。)
大義くんにとっては「なんとなく」入った市船でしたが、大義くんはすぐに高橋先生のカリスマ性に魅了されたようです。
先生の言葉や指導に影響を受け、先生の筆跡の真似をして毛筆を使うようになったのもその一つでしょう。
365日のうち355日を部活で過ごした大義くんは、ほとんど家にはいませんでした。
「この頃のことは、私より市船の子たちのほうがよく知っていると思います」
(お母様の)桂子さんはそう仰いました。
それでも数々の大会やコンクール、YOSAKOIなども必ず応援へ行かれたそうです。
一年生の頃は高橋先生に「下手っぴ」と酷評されたトロンボーンの腕前はみるみるうちに上がり、三年の時には「上手いな…」と先生を唸らせるほどに上達していきました。同期のYさんは、きっと大義くんの腕が伸びたのは、下級生の頃から人数合わせのためにコンクールメンバーに入ったことで、先輩たちの中で練習を重ねて上手くなったのではと話してくれました。それに高橋先生はそう簡単には褒めません。大好きな先生に認めてもらいたくて、時間を忘れて練習していたのではないでしょうか。同期だったAくんは「大義は練習が大好きだった、ずっと楽しそうに吹いてた」と回想します。
大義くんを回想する時に、みんなが共通して出てくる言葉が「笑っていた」「楽しそう」というもの。
歯を食いしばって根性を見せた…というより、クールにカッコつけながら人知れず努力していた、という大義くん像が浮かび上がってきます。
桂子さんはご自身のスマートフォンで録画した動画を見せてくださいました。
それは大義くんが高校を卒業した直後、市船の仲間たちと船橋市文化会館でトロンボーンのミニコンサートを開催した時のものでした。
NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』のテーマソングを、仲間たちと一緒にノリノリで吹く姿が写っていました。
高橋先生に「吹くときは体を動かすな」と再三言われていたそうなのですが、そこに記録された大義くんは思いっきり身体をスウィングさせながら吹いています。
この『あまちゃん』のオープニングテーマが大好きだったという大義くん。
大好きな曲を大好きな仲間たちと吹くことができる喜び、それを聴いてくれる人がいるという喜びを全身で表していました。
「大義がトロンボーンを吹く姿、私、大好きだったんです」
桂子さんは少し照れたように仰いました。
私は頷きました。かっこつけ、ではなく本当にかっこいい姿がそこにありました。
※※※
この映像を見るたびに、もし、私が大義くんに出会っていたら、と想像します。
きっと…、気が合っていたと思います(笑)
自分の舞台で使用する楽曲を依頼したりして、共に創作活動を行っていたかもしれません。
何より、桂子さんと私の関係がそうであるように、話し始めたら止まらず、ずっと笑いあっているような気もします。
そんなことを考えながら、今日も大好きなコーラを持って、大義くんに会いに行きたいと思います。
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
今日は昨日までに引き続き野球場シーンの裏側について、ついに最終回です!!
撮影当日と撮影後のお話について、一部松谷さんのインタビューを含めてお伝えします。
野球場シーンは迫力満点です!
広いグラウンドでプレーをする野球部の選手、
客席では応援する野球部員、吹奏楽部、そしてたくさんの観客がいます。
なんとこの日の撮影のために、実際の市船ダンス部も駆けつけてくださいました!
迫力満点の野球応援シーンは、まさに市船の応援そのものです!
この日の撮影のために用意されたカメラの台数は・・・
なんと8台!!!
普段から常時4カメを使用する秋山組ですが、
この日は限られた時間内で大掛かりな撮影ということで、
いつもの倍の数を用意して挑みました!
ついに撮影開始!
監督、助監督の僕と伊藤さんはスタンドで撮影準備を、
グラウンドではユニフォームを着た松谷さんが仕切りを、
大人数の撮影に最少人数のスタッフ
さばききれない部分はスタイリスト助手の橋谷さん、記録の吉木さん、制作部の方や原作者の中井さんがカバーをしてくれました。
(左:秋山監督/右:吉木さん)
(橋谷さん)
(左:伊藤さん/右:中井さん)
当日のグラウンドでの様子を松谷さんに伺ってみました。
宮下
「グラウンドの様子はどうだった?」
松谷
「グラウンドは熱気にあふれてましたね!
ベンチは “声出そうぜー!”って自然と盛り上げくれて。」
宮下
「そうだったんだ!
あと今回はかなり計算された演出プランだったよね。
撮影の時間内にうまくいくか不安だと言っていたけど、当日どうだった?」
松谷
「そうですね。
監督からすごく細かい演出プランを頂いていたので、みんなに事前に説明して撮影に臨みました。」
細かい演出プランでプレーを連続して続けるのは、とても難しいことです。
そこでなんと奇跡的なことが起こりました。
プレーが想像以上に連続して進み、監督はカットをかけずにプレーが進むのを見守っていると、長いシーンでカットがかからずに、細かい演出プラン通りうまくいったんです!
あれは本当にびっくりしました!」
宮下
「あの時はスタンドも本当に盛り上がったよ!」
松谷
「グラウンドから聞いていて、スタンドの応援がすごかったですもん!
そのおかげでプレーする選手もさらに盛り上がったんだと思います!」
撮影が終わったときはすっかり日が暮れていました。
グラウンドで大きな声で指示を出していた松谷さんの声はがらがら。
そして今回参加してくださったエキストラの皆さん一人一人に御礼を伝えながら、
20歳のソウルTシャツを配る中井さん、プロデューサーの松本さん、佐藤浩市さんのチーフマネージャーの笹野さんの姿が。
その中には今回スタッフが不足していると聞き、応援に駆けつけてくれた南翔太さん(僕が所属する東京やんちゃボーイズのリーダー)の姿もありました。
激動の1日を一緒に戦ってくれた南さんにも秋山監督から市船ジャージをプレゼント。
青ジャの3人でパシャリ!
(左:吉木さん/中央:松田さん/右:南さん)
秋山組の現場は全員野球!
それぞれが足りない部分をみんなで補い合います。
野球場シーンの撮影もまさにその全員野球で、
難しいと思われた撮影を乗り切りました!
野球場シーンの撮影時は、夕方は寒さの残る季節でした。
そんな中、吹奏楽部の皆さんやダンス部の皆さんには、真夏の野球応援の格好で長時間の撮影にご協力いただきました。
観客として参加してくださった皆さんは、実際の市船タオルや応援グッズをご持参いただきました。
野球部員として参加してくださった皆さんやご紹介頂いた方々。
本当にたくさんの方々のご協力なくしては撮影は成り立ちませんでした。
誠に感謝申し上げます。
撮影の翌日、お借りしたユニフォームの手洗いをしたのですが、原作の中井さんと、そして市船吹奏楽部の皆さんが手伝ってくださいました。
誠にありがとうございました。
野球場シーンはキャスト、スタッフ、ご協力頂いた皆さんの思いが奇跡を生んだ熱いシーンとなっております!
是非、劇場でご覧になってください!
本日もご覧いただき誠にありがとうございました!
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
昨日は野球場シーンでの野球部の選手や観客の方々に
どのように集まって頂いたのかをお話しました。
たくさんの方々にご協力いただき、なんとか準備は整いました。
さあ、ついに野球場シーンの撮影当日!
今日そして明日は撮影がどのように進んでいったのか、
引き続き松谷さんとお話ししていこうと思います!
宮下
「今日は野球場シーンの撮影当日の話を聞かせてください!」
松谷
「野球場シーンを撮影する数日前に、監督からプレーに関する演出プランがスタッフに渡されていました。
それを事前にチェックしていて、当日は行きの車の中で監督や演出部のスタッフと打ち合わせをしてから撮影に臨みましたね。」
宮下
「そうだったね。
野球の演出プランは、見ても全くイメージがわかなかったんだよね(汗)」
松谷
「自分は野球をずっとやっていたので理解することはできました。
ただ、かなり計算された演出プランだったので、撮影の時間内にうまくいくかなという不安は少しだけありましたね。」
宮下
「やっぱりそんなに難しかったんだ。」
松谷
「撮影時間が限られていたことと、演出プランに合わせて打つ方向やタイミングもプレーをしながら合わせなければいけなかったので、それが難しかったですね。」
宮下
「なるほどね。
確かに1日で撮り切れる量ではなかったよね(笑)
秋山監督じゃなかったらたぶんやろうとも思わなかったよね(笑)」
松谷
「そうですね(笑)
神がかってましたね。」
宮下
「球場に着いてからはどうだったの?」
松谷
「まず、一部のユニフォームが当日球場での受け取りだったんですよ。
なので最初に背番号を縫うところから始めました。
そしてなんと、浅野大義さんのお母様と市船吹奏楽部の保護者会の皆さんが一緒に手伝ってくださったんですよ。」
宮下
「そうだったね。本当にたくさん助けていただいたよね。」
松谷
「はい。スタッフの人数も最小限でしたし、僕らだけでは間に合わなかったかもしれません。
本当に皆さんには感謝してもしきれません。」
宮下
「そうだね。」
松谷
「その時は応援席の準備は、どんな様子だったんですか?」
宮下
「応援席では、横断幕を準備して、皆さんの着替えが終わったら位置についてもらって、楽器の準備をしてもらったり、応援グッズを渡したり、あと野球応援の時の部員の踊り練習とかをしてたよ。」
松谷
「そうだったんですね。」
宮下
「それもすごいありがたくてさ。
踊りの振付と掛け声を市船野球部のOBの方々率先して皆さんに教えてくれて、すごく助けていただいたんだよね。」
松谷
「それも本当に感謝ですね。」
宮下
「そうだね。
そういえば鷹也、撮影の時ユニフォーム着てベンチにいたよね?」
松谷
「はい。すぐ指示が出せるようにそれでやろうっていうことになって。
自分もメンバーの一員としてやらせてもらいました。」
宮下
「鷹也やっぱりユニフォーム似合ってたもんね!」
松谷
「あの時は久しぶりにユニフォーム着たのもあって、すごいテンションあがりましたね!」
いよいよ撮影当日の準備が整い、ついにプレイボール!
明日に続きます!
皆さんこんにちは!
「20歳のソウル」でチーフ助監督を務めました、俳優の宮下涼太です。
ここまで、
野球場シーンの小道具がどのように集められたか、
野球のユニフォームがどのように使用許可がおりたか、
そして対戦相手となる高校にどのように交渉したのかを
ご紹介してきました。
まだ読んでいない方は、ぜひご覧ください!
今回は、野球部の選手・スタンドの応援している観客などの
実際の撮影シーンのメンバーをどのように集めたのか、
引き続き、松谷さんにお話を聞いていきたいと思います!
宮下
「今日は、野球場のシーンの選手やスタンドの方々が、どのように集められたのか教えてもらえますか?」
松谷
「まず、野球部の選手に関してはユニフォームは使用許可が出たのですが、実際の高校野球部の選手は出演することができませんでした。
なので、市船や学館船橋の野球部のOBの方々に協力して頂きました。」
宮下
「そうだったね。スタンドにいる部員も結構な人数が必要だったよね。」
松谷
「そうですね。スタンドも野球部員だけで50人近く必要でした。」
宮下
「その部員たちはどうやって集めていったの?」
松谷
「最初はSNSを使っていろんな大学の野球サークルに声をかけていったんですけど、なかなか出演してくれるところが見つからなくて…」
宮下
「そうだったんだね。」
松谷
「そこで監督からある方を紹介して頂いて、その方から大学のサークルや関東地区大学準硬式野球連盟を紹介して頂きました。」
宮下
「関東地区大学準硬式野球連盟にも交渉に行ってたよね。」
松谷
「はい。関東地区大学準硬式野球連盟の理事長の方にお会いしました。」
宮下
「なかなかそんな機会ないよね!」
松谷
「そうですね!
そしたら理事長の方も20歳のソウルの原作本を読んでくださっていたんですよ!
“感動しました!是非協力させてください!”と言ってくださって!
本当にありがたかったですね!」
宮下
「そうなんだ!本当に色んな方が協力してくれたよね。
ところで、ここが一番大変だったみたいなのってあるかな?」
松谷
「鉢巻坊主ですかね(笑)」
宮下
「鉢巻坊主?(笑)」
松谷
「市船の野球応援のYouTubeとか見ると、坊主頭で鉢巻をして応援してる部員が数名いるんですよ。
でもなかなか坊主頭の人が見つからなくて(汗)」
宮下
「そうだったね。危うく俺たち坊主にするところだったよね(笑)」
松谷
「はい(笑)
自分とタクさん(スタイリスト助手の橋谷さん)とみやしーさんが坊主にするって話もありましたもんね(笑)」
宮下
「でもなんとか集まったんだね。」
松谷
「はい。
スポーツ系専門のエキストラ会社も当たってみたんですけど、人数も必要だったのもあって結構な金額で(汗)
そこは最終手段にしようという話になって、好太郎さん(制作の松田さん)の知り合いの方に当たってもらったり自分の知り合いとか色々当たって、色んな方に協力してもらいました。」
宮下
「そうだったね。観客は市船の関係者の皆さんが協力してくれたり、伊藤さん(助監督)が募集したりしてくれて結構集まって頂けたよね。」
松谷
「そうでしたね!
ご協力いただいた皆様に、本当に感謝です。」
このようにたくさんの方々のご協力のもと
集めるのが難しかった野球部の選手やスタンドの観客を、
目標人数まで集めることができました!
明日は撮影当日の様子をお届けしたいと思います!
お楽しみに!
本日もご覧頂き、誠にありがとうございました!
©2022「20歳のソウル」製作委員会